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想いの欠片を手に 3

 タガートは、自分の屋敷の小ホールにあるソファに、どすんと腰を落とした。

 全身から力が抜けている。

 混乱に、頭痛までしてきた。

 

 今しがた夜会から帰ってきている。

 帰る前に、ドリエルダに声をかけたかったのだが、できずにいた。

 あの2人は、いつの間にか姿を消していたからだ。

 

 そして、たった今、ジゼルから聞いた。

 ドリエルダが令嬢たちとしていた話は、タガートに大きな衝撃を与えている。

 

「彼女が……そのようなことを……」

「本気のはずがありませんわ。あの子は、今……少しのぼせあがっているだけなのです。すぐに落ち着いて、考えを改めるでしょう」

 

 ソファに深く座り込んでいるタガートの(そば)に、ジゼルがしゃがみこんでいる。

 彼の手を取り、うつむいていた。

 ジゼルが慰めてくれているのは、わかっている。

 けれど、ジゼルの言うようにはならない気がした。

 

(まさか……私との婚約解消を考えていたとは……)

 

 そのことに、タガートは大きな衝撃を受けている。

 自分のしてきたことを振り返れば、当然とも言えた。

 だが、なぜかドリエルダから言い出すとは思っていなかったのだ。

 彼女は自分を望んでいると、思い込んでいた。

 

「ジゼル……悪いが、しばらく1人にしてくれ……」

「わかりました」

 

 ジゼルがタガートの手を離し、立ち上がる。

 見送る気力もなかった。

 

「どうか、お気を落としになられませんよう。私からも、あの子に、手紙を出しておきますから」

「ああ……ありがとう。気遣いに感謝するよ、ジゼル」

 

 扉が開き、ぱたんと閉まる音がする。

 同時に、ソファの背もたれに、体を深くあずけた。

 額を押さえ、頭痛に耐える。

 混乱は、おさまる様子がない。

 

 すべては自分の招いたことだ。

 

 それだけは、はっきりしている。

 夜会が終わったら、などと悠長に構えていたのが間違いだった。

 自分の愚かさに呆れる。

 自尊心なんか放り出してでも、彼女の元に駆けつけるべきだったのだ。

 

 あの日、ドリエルダは、タガートに、なにかを話そうとしていた。

 それを突き放し、追い返している。

 彼女の傷ついた瞳が思い浮かぶ。

 同時に、ブラッドの言葉が聞こえた。

 

 『(ろく)に婚約者としての役も果たさず、俺に指図をするか、タガート・ベルゼンド』

 

 その通りだ。

 タガートには、ドリエルダに、なにを言う資格もなかった。

 逆に、身勝手だと責められてもしかたのない理由が、多くある。

 

 タガートが、ドリエルダを見捨てずにいたのではない。

 彼女が、タガートを見捨てずにいてくれたのだ。

 

 けれど、それも、あの日まで。

 あの日、彼女は決めてしまった。

 

「……きみに見捨てられるのも……当然か……」

 

 今夜、彼女が、とても幸せそうに笑うのを、タガートは見ている。

 長く、彼が見ずにいた笑顔だ。

 昔と変わらず、純粋でまっすぐなドリエルダが、そこにはいた。

 噂に引きずられ、見ようとしなかっただけで、彼女は変わっていなかったのだ。

 

「シャートレー側から言い渡されたら、私に成すすべはないな……」

 

 公爵家からの申し出を受け、同じ公爵家から婚約解消を言い渡される。

 下位貴族であるタガートに選択肢はなかった。

 どちらも覆すことはできない。

 

 『シャートレーの娘が、誕生日の贈り物に、お前の息子をねだっているのさ』

 

 ブレインバーグ公爵は、タガートの父に、そう告げている。

 ドリエルダの14歳の誕生日の、ひと月前のことだ。

 

 『形としては、シャートレーからの申し入れとなるが、根回しは必要だからな。お前の息子に、婚約者ができることを伝えておけ』

 

 タガートの父は、見栄張りで欲深い。

 放蕩なところもあり、ブレインバーグ公爵の言葉に飛びついた。

 公爵家の中でも格上のシャートレーが後ろ盾になると大喜びしていた姿を、彼は冷めた目を見ていたのだ。

 

 情けないかな、自分は、ドリエルダの「誕生日の贈り物」に過ぎない。

 

 それが、タガートの自尊心を大きく傷つけた。

 結果、ドリエルダに対しても、(はす)に構えた態度しか取れなくなったのだ。

 ハーフォークにいた彼女と同じように接するには、傷が深過ぎた。

 

 挨拶に行った時も、自尊心が邪魔をしている。

 上等なドレスに身を包んだドリエルダは、14歳とは思えないくらいに大人びていて美しかった。

 けれど、侯爵家とは比較にならない豪奢な室内と、そのドレスに、タガートは、皮肉っぽく感じている。

 

 12歳の時に、自分が贈ったドレスなどゴミ同然だった、と。

 

 実際、彼は、ドリエルダが、そのドレスを身につけているのを見ていない。

 直後、行方知れずになってしまったからだ。

 ジゼルから話を聞き、タガートもできる限り手を尽くして探した。

 自ら、王都のほうまで出向いたこともある。

 とはいえ、長く領地を空けられず、見つけることができずにいた。

 

 その後、再会したのが、見違えた彼女だったのだ。

 ブレインバーグ公爵が言った「シャートレーの娘」が、ドリエルダのことだとは、その時まで、彼は思わずにいた。


 タガートの立場では、彼女が手紙で書いていた「シャートレーさま」が、本当に「シャートレー公爵家」か、確認は取れない。

 なにより、うっすらと聞こえてくる「養女となった娘」の噂と、タガートの中にあるドリエルダの印象が、まるきりそぐわなかったのだ。

 

 シャートレーには分家もあるし、彼女がどういう暮らしをしているのか、タガートは知らなかった。

 ドリエルダが養女になったのは知らされていたものの、手紙のやりとりが途絶えていたからだ。

 そのため、様々なことを心配してもいた。

 ドリエルダの死までも危惧して、不安や恐怖をいだいたこともある。

 それらすべてが、憤りに変じた。

 

 しかも、タガートは「彼女の贈り物」として、その場にいたのだ。

 

 ある意味では、ドリエルダに偏狭な気持ちを持ってしまったのも、いたしかたがない状況ではある。

 彼女を守りたいとの想いも、その時には、逆に作用した。

 自分の手など、ドリエルダには、もう必要ないのだ、と。

 

「だが、すべて、どうでもよかった……どうでもいいことだった。彼女だけを見ていれば……こんな過ちを、おかさずにすんだかもしれない」

 

 酷くなるいっぽうの頭痛に、両手で顔を覆う。

 時間は巻き戻せないのだ。

 口から出してしまった言葉も取り消すことはできない。

 ドリエルダの離れた心も戻りはしないだろう。

 

 コンコン。

 

 小さな音に、タガートは、のろのろと顔を上げる。

 叩きかたで、執事のムーアだとわかっていた。

 1人でいたかったが、領地内で問題が起きた可能性もある。

 些細な用件であれば、ムーアが片づけているはずだ。

 

「入ってくれ」

 

 申し訳なさそうに、ムーアが入ってくる。

 タガートに歩み寄り、封書を差し出してきた。

 封蝋(ふうろう)には、シャートレーの印璽(いんじ)が押してある。

 ひと目で、それがどういう類の手紙かが、わかった。

 

「もういい。下がってくれるか」

「かしこまりました」

 

 開くまでもない。

 中身には予想がついている。

 執務室や私室ではないので、ペーパーナイフを置いていなかった。

 わざわざ、そのために部屋を移動するのも億劫になっている。

 

 タガートらしくもなく、乱暴に封を開けた。

 封蝋が砕け、小さな欠片を落とす。

 中から、手紙を取り出した。

 

 『タガート・ベルゼンド様。ドリエルダ・シャートレーとの婚約が、解消となりますことを、ここにお伝えいたします。なにとぞ、お受け入れくださいますよう、お願いいたします。当家より申し入れたにもかかわらず、このような結果となり、申し訳なく思います。シャートレー公爵家当主 バージル・シャートレー』

 

 その紙を握った手が、だらりと体の横に垂れ落ちる。

 は…と、小さく声がもれた。

 

「ずいぶんと簡単だ……このような紙切れ1枚で……」

 

 あっさりと婚約の解消が成されている。

 ドリエルダとの関係は、否応なく断ち切られていた。

 

 『きみの髪は、空の色をしている』

 『そんなことを言うのは、ゲイリー様だけよ』

 『そうかい? 大人になったら、大勢の男性から言われることになるさ』

 『関係ないわ。私にはゲイリー様の言葉が、1番だもの』

 

 かつての会話が耳に蘇る。

 タガートは、あまり笑うほうではなかったが、ドリエルダといる時だけは、よく笑っていた。

 

 ベルゼンド侯爵家の唯一の後継者であることは、12歳のタガートには重荷で、かつ、父親の放蕩にも悩まされていた時期だ。

 そんな中、彼女といる時だけは、気負わずにいられた。

 ドリエルダの声が聞こえる。

 

 『ゲイリー様の瞳は、青い海の色。空と海はね、繋がっているのよ』

 

 あの笑顔を、声を、心を、自ら手放してしまったのだ。

 後悔に打ちのめされるタガートの手から、婚約の解消の手紙が滑り落ちた。


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