想いの欠片を手に 1
ブラッドは、ム…と顔をしかめる。
追いはらったはずの、トレヴァジルが近づいてきたからだ。
せっかく壁際へと「避難」してきたのに、これでは意味がない。
「1人にして大丈夫なのかい?」
「1人にはしておらん」
「ああ、近くにピアズプルがいるねえ」
ドリエルダは、今、令嬢たちの輪の中心にいた。
給仕係の格好をしたピッピが、彼女の近くにいる。
まるでトレヴァジルの言葉が聞こえたように、ピッピは、ひらっと手を振った。
が、すぐに令嬢たちの注文に応じている。
「あっちへ行け」
「そうつれなくするものじゃないよ、ブラッド。ほかのみんなも、本当は、きみの傍に来たがっている。見ろよ、みんな、そわそわしているだろう?」
「俺に構うな、と言いに行って来い」
「言う必要はないさ。きみに怒られるとわかっているからね」
トレヴァジルは、軽く笑って、ブラッドをいなした。
4つも年下のくせに、トレヴァジルは人あしらいがうまいのだ。
スペンスほどではないが、それでも苦手な部類に入る人物だった。
「陛下なんて、きみに相手にもしてもらえず、涙ぐんでいらしたよ?」
ふんっと、ブラッドは鼻を鳴らす。
とかく「身内」は、誰も彼もが心配症で過保護なところがあった。
「俺は、もう30になるのだぞ? お前より年上だ」
「それでも、心配せずにはいられないんだよねえ」
トレヴァジルの言う意味はわかっている。
現在、王族とされる者の中で、ブラッドが特殊だからだ。
ガルベリーの名を持つ、ほかの誰とも異なっている。
おかげで、幼い頃は、王宮から1歩も外に出られなかった。
初めて王宮から出たのは、今のスペンスと同じ16歳だ。
周りの制止を振り切って、街に行くと言い張った。
兄は号泣するし、周囲の身内もブラッドを宥めようと必死になるしで、ともかく大騒ぎになっている。
結果、様々な条件をつけられた上で、街に出ることを許された。
本来、16歳になれば、自分の意思で行動を決められるというのに。
行き帰りは、必ず点門という魔術を使っての移動。
点門は、点と点を繋ぐ魔術であり、その際に現れる柱を抜ければ、即座に到着。
なんの面白味もない。
街では、姿を消した大勢の魔術師や身内に取り囲まれていたと知っている。
その中には、呆れたことに兄もいた。
おまけに、服には汚れがつかないだとか、攻撃を防ぐだとかの魔術をありったけかけられていたのだ。
だからこそ、20歳になるや、ローエルハイドの勤め人となっている。
逃げ込んだと言っても過言ではない。
ローエルハイド公爵家であれば、ブラッドを王族扱いしないし、王族の者たちも口を出して来ないからだ。
ブラッドは、現在、唯一、魔力顕現していないガルベリーだった。
つまり、魔術が使えない。
公にはされていないが、ガルベリー11世の代から王族は魔術師の血筋となっている。
魔力の量や才能に違いはあれど、魔力顕現しないガルベリーはいなかった。
ブラッドが初めてだ。
「魔術など使えずとも、なにも困ってはおらん」
「もちろん、知っているよ。きみが、自分の身くらい自分で守れるってこともね」
「ならば、放っておけ」
「そうはいかないなあ。みんな、きみのことが大好きだもの」
ブラッドは魔力顕現していない「持たざる者」だが、それを理由に、虐げられはしなかった。
ブラッド自身、魔力がなく、魔術を使えない己の身を嘆いたこともない。
むしろ、ローエルハイドの勤め人になって思い知った己の「世間知らず」ぶりを嘆いたほどだ。
(20歳にもなって、俺は、靴紐ひとつ結べなかったのだぞ……)
それは、侍従が世話をしてくれていたからではない。
兄をはじめとして「身内」が、魔術でなんでもしてくれていたからだ。
とくに、20と歳の離れた兄は、なにかとブラッドの面倒を見たがった。
ブラッドが3歳の頃には即位し、国王となっていたというのに、だ。
魔術道具にも事欠かず、手を動かすことなく、羽ペンが文字を書いてくれたり、めくらなくても本の頁は、勝手に繰られたりしていた。
そういうものだと思い込んでいたため、ローエルハイドの屋敷で、どれほど恥をかいたかしれない。
魔術は便利なものであるし、大きな力でもある。
たいした攻撃魔術でなくとも「持たざる者」を殺すのは簡単なのだ。
そのため、魔術師だらけのガルベリーは、ブラッドを心配していた。
だが、ブラッドにはブラッドの生き方というものがある。
無駄に心配されるのは、わずらわしかった。
「ところで、陛下が、きみが、シャートレーの令嬢と婚姻するのかと、いたく気にされておられたよ?」
「しないと伝えに行け」
「しないのかい? 本当に?」
「なにか疑う理由でもあるのか、トレヴァ」
トレヴァジルが、ダークグレイの瞳を、わずかに細める。
魔術師の目だった。
とはいえ、人の心を覗いたり、操ったりする魔術はない。
トレヴァジルは、ブラッドの表情を読み取ろうとしているだけだ。
「スペンスも気に入ったみたいだし、悪くはないと思ってね」
「そういう間柄ではない」
「にしては、イチャイチャしていたじゃないか」
「理由があってのことだ。むろん、お前には話さんがな」
先に釘を刺しておく。
すると、急にトレヴァジルが話題の矛先を変えてきた。
「今夜もウィリュアートンは来ていないね」
「あの家の者が、このような行事に参加するわけがなかろう」
「きみが来ると知っていたら、来ていたかもしれないよ?」
「絶対にない」
兄ルイシヴァは、父が20歳の時に迎えた最初の正妃の子。
ブラッドの母は、父の2度目の妻だ。
兄の母が亡くなって20年後、父が40歳の時に、正妃として迎えられている。
「きみにとっては、実家も等しいのに」
「俺と、あの家は、なんの関係もない」
母の父、すなわちブラッドの祖父、リシャール・ウィリュアートンとは面識すらないのだ。
母ですら、ほとんど会ったことがないと聞いている。
乳母と教育係、メイドたちに任せきりで、父親としての、いっさいの責任を放棄していたらしい。
(たとえ魔力顕現しなかったのが、ウィリュアートンの血の影響だとしても、あの家は、俺とは無関係なのだ)
そんな今さらな話を、あえて、トレヴァジルが持ち出してきたのはなぜか。
ブラッドは、理解できずにいる。
問い質したいのはやまやまだが、ぐっと堪えた。
情報の不足を、ブラッドは嫌う。
わからないことをわからないままにしておくのは、気持ちが悪いのだ。
ドリエルダのことがなければ、ただちに「尋問」していた。
腹いせに、トレヴァジルに嫌味を言う。
「その髪色は感心せんな。緑が透けているぞ」
「ブラッドの眼がいいだけだよ。ほかの者は気づいちゃいないさ」
トレヴァジルの曾祖母は、ガルベリー17世の正妃だ。
当時はまだ存続していた、リフルワンスから嫁いできている。
その曾祖母の髪色を、トレヴァジルは受け継いでいた。
トレヴァジル本来の髪の色は、ロズウェルドにはない、緑なのだ。
「彼女はいいね。隠したほうが生き易いというのに、堂々としている」
「あれは、生き易さになど、こだわりを持っておらん」
こだわっているなら、そもそも人助けなんて、していない。
そのせいで、放蕩娘だと嘲られ、貴族からは嫌われている。
あげく、婚約者とはこじれているし。
(人のことなど放っておけばよいものを……それが、できぬ女なのだ、あれは)
恐る恐るという様子で「夢」のことを打ち明けるドリエルダの姿を思い出した。
信じてもらうことを諦めながら、わずかな希望も持っていたようだ。
彼女は「夢」の話を、ブラッドが前提として受け入れた時、驚いていた。
と、同時に嬉しそうにもしている。
(あの男に、あの突飛な話を受け入れる器量があればよいのだが)
ブラッドに抱き着いてきた時の、ドリエルダの体の震え。
その感覚が、まだ腕に残っている気がした。
彼女自身が「正しい」と信じる行いを、婚約者に受け入れてもらえなかったのがつらかったのだろう。
「認める気はないのかな?」
「なにをだ」
頭でドリエルダのことを考えつつ、トレヴァジルの言葉もしっかり訊いている。
言われた言葉の意味までは理解できなかったけれど、それはともかく。
「彼女が、きみにとって、特別な存在だということをだよ」
視線の先で、ドリエルダが、わずかに困った顔をした。
ピッピも合図を送ってきている。
トレヴァジルと、無駄話をしている場合ではない。
「寝言は寝て言うものだぞ、トレヴァ」
言い捨てて、サッと壁際から離れた。
どうとでもしてやる、との約束を果たすため、ブラッドは彼女の元に急ぐ。




