ひそひそ話の裏側で 4
ドリエルダは、シャートレー公爵家の養女になってから貴族教育を受けている。
12歳からの4年間で、令嬢に必要とされることは、だいたい身につけていた。
ハーフォーク伯爵家では、読み書きすらできなかったが、今はこうしてダンスも踊れる。
とはいえ、なにか落ち着かない。
(王太子殿下と踊っているせいかしら)
王太子は、挨拶と同様、そつなくドリエルダをリードしていた。
なにもおかしなところはなく、とてもスマートだと言える。
彼女のリードをしながらも、常に笑顔。
整った顔立ちと優しい雰囲気に、ぽうっとなってもいいくらいなのだけれど。
街で会った2人組の男たちを思い出す。
彼らもにこやかで、感じが良かった。
けれど、路地に入ったとたん豹変したのだ。
王太子を、街のゴロツキと同一視するなど不敬極まりない、とは思う。
なのに、似た感覚を振り払えずにいた。
そのせいで、ドリエルダのほうは、笑顔が引き攣りそうになる。
「きみは、彼と親しいのかい?」
「はい、殿下。親しくさせていただいております」
「どの程度?」
「程度、と仰いますと……?」
くるんとターンしたドリエルダの体を、王太子が簡単に支えた。
引き寄せられ、顔が近づく。
紫色の瞳は、めずらしい宝石のように綺麗だ。
が、しかし、感情があるような、ないような、そんな感じがする。
「ベッドをともにするほどかどうかってことさ」
「……まだ、そこまでは……」
これは、ブラッドの「指南」におかげだ。
きっと、そうした質問を受けるからと、あらかじめ答えかたを教わっている。
少し「はにかんだ」様子で、「まだ」と否定をするのが肝心。
咄嗟のことではあったが、我ながら、うまくできたと思った。
「これから、そうなるかもしれない?」
「どうでしょうか。私だけの話ではございませんから」
「確かにね」
急に、王太子が小さく笑う。
明らかに、さっきまでと様子が変わっていた。
ちょっぴり「胡散臭い」と感じていた笑みとは違い、親しみを感じる。
「彼は、きみの噂を信じていないね。それなら、私も彼に倣うことにするよ」
その言葉に、嘘はなさそうだ。
王太子にさえ影響を与える人物だったのかと、驚いてしまう。
「さきほど、かなりの腕前だとトレヴァジル殿下が仰っておられましたが、王太子殿下も、ブラッドの料理が、お好きなのですか?」
王太子は、一瞬、きょとんとした表情を浮かべた。
が、すぐにまた、くすくすと笑う。
この様子なら、正妃選びに苦労はしないだろうと思った。
「本当は、今すぐ王宮に戻ってほしいくらいさ。ただ、あまりしつこくして、彼を怒らせる気はないからね」
「まさか、王太子殿下に怒るなんて有り得ませんわ」
「本当に、そう思うかい?」
「…………いいえ」
トレヴァジルに対しても、ブラッドは不遜な物言いをしている。
不敬罪を適用されるなどとは、微塵も思っていない様子だった。
あの平然とした態度を見ると、王太子に怒るというのも、あながち、なくはない気がした。
王太子が含み笑いをもらしたところで、曲が終わる。
手を取られ、ドリエルダはブラッドの元に戻った。
ダンスの途中で、ブラッドがタガートと話しているのを垣間見ている。
予定通りにいった、と考えるのが妥当だ。
「あなたの、美しい人を、お返ししますよ」
「ありがたいことだ」
「お2人でダンスをされては?」
「……いや、それはあとにする。王太子とのダンスで、彼女は緊張している。喉も渇いているはずだ」
王太子はニコニコしているが、ブラッドは無表情。
いつものことではあるものの、微妙な空気を感じる。
ここ最近、ブラッドの無表情にも「種類」があると気づき始めていた。
彼は、王太子が苦手なのかもしれない。
(王宮の料理人だった頃、無理な注文でもされたのかもしれないわね)
今でこそ大人だが、王太子も幼かった時期はある。
年相応の我儘や無茶を言っていた可能性はあった。
「俺と彼女は、テラス席に行く。失礼」
王太子の返事も待たず、ブラッドがドリエルダの手を握り、歩き出す。
まるで、ついて来るなと念押しでもするような言いかただった。
肩越しに振り返ると、王太子が手を振る。
ドリエルダは、軽く会釈をしておいた。
「王族が相手の時は、態度を変えたほうが良くない?」
「必要を感じないことはしない主義だ」
「恐れ知らずなのね」
「恐れる必要がないからな」
2人はテラス席につき、飲み物を頼む。
驚くほどの速さで、給仕係が、注文通りのグラスを持ってきた。
ブラッドは赤ワイン、酒に弱いドリエルダはシードルだ。
それを口にしつつ、ホールに視線を向けたくなるのを我慢する。
(タガートは、どういう反応をしたかしら……ブラッドに私をあずけられるって、ホッとしているかもしれないわね……結局、ジゼルを連れてきてるもの……)
「気持ちはわからんでもないが、溜め息はつくな」
「わかってるわ。ちゃんと楽しそうに振る舞えるわよ」
「ならば、よい」
ブラッドを見つめ、シードルを口にした。
ブラッドもワインを飲んでいる。
その姿に、つくづくと不思議な人だと思った。
(必要がないことはしない主義だって言ってたけど、見捨てずに、私につきあってくれてるじゃない。ぶっきらぼうで少し偉そうだし、失礼なこともよく言う割に、根は優しい人なのよね)
それに、彼のささやかな笑みは、非常に魅力的だ。
とはいえ、無表情でなくなったら、今の3倍、いや5倍は女性が集まってくるに違いない。
なんとなく、ブラッドの笑顔は、自分だけの秘密にしておきたくなる。
「奴は、今ところ、お前との婚約を解消するつもりはない」
「そうなの? でも、ジゼルと一緒に来てたじゃないの」
「だが、夢とは状況が異なっているだろ? お前は1人で夜会に乗り込まず、奴に詰め寄ってもおらんのだ。奴の思いが変わっても、なんら不思議ではなかろう」
タガートは、婚約解消を考えていない。
もしかすると、自分との婚姻に、前向きになってくれたのだろうか。
そう思いかけたが、儚い希望という気もする。
長く放っておかれたことや、追い返されたこと、手紙を読んでくれていないことなどが、ドリエルダを臆病にさせていた。
「策は、このまま進める」
「わかった。私も……そのほうがいいと思う」
中途半端に計画を取りやめ、タガートの元に戻ることはできるだろう。
けれど、また傷つくことになるかもしれないのだ。
タガートがジゼルのエスコートをしている時点で、すでにドリエルダは傷ついている。
「この場をしのげても、夢と同じ結果にならないとは限らないものね」
ブラッドが、うむ、と鷹揚にうなずいた。
それから、ワイングラスをテーブルに置く。
ちょいちょいと、指で手招きされた。
首をかしげつつ、ドリエルダもグラスを置き、体を前にかしがせる。
近づけという合図だと思ったからだ。
そのドリエルダの顎に、ブラッドが手をかける。
そして、耳元に口を寄せてきた。
傍目には、頬に口づけているように見えるはずだ。
実際、少しふれているし。
「わかっていると思うが、ここからが大事なのだぞ」
「え、ええ……失敗しないように気をつける」
「失敗するのはかまわん。なにが起きようと、俺がどうとでもしてやる。ゆえに、変に緊張するな。いつものお前でよいのだ」
耳に、ブラッドの息がかかって、どきどきする。
単なる打ち合わせに過ぎないのに、愛を囁かれているかのようだった。
ドリエルダは、貴族子息の上っ面だけの愛の囁きしか耳にしたことはないけれど、それはともかく。
軽く頬を撫で、ブラッドが耳元から口を離す。
ホッとする間もなく、額に口づけられた。
ふわわわっと、ドリエルダの頬が赤く色づく。
演技だとわかっているのに、鼓動が速くなっていた。
(こういうのには、本当に慣れない……すごく心臓に悪いわ……)




