ひそひそ話の裏側で 3
「スペンスの奴め……」
「ブラッドに話しかけるなって言われたのを、根に持ってるんスよ」
「で、あろうな。ゆえに、“DDに”声をかけたのだ」
「ブラッドには話しかけてないもん!って、まだまだ子供っスね~」
ピッピは笑っているが、ブラッドは笑えない。
スペンスが、ドリエルダによけいなことを言うのではないかと心配している。
「それで? 身内に手を回したのは、お前か、ピッピ?」
ピッピは、給仕係として夜会に紛れ込んでいた。
いくつかのグラスを乗せたトレイを片手に、さりげなく隣に立っている。
「王族主催の夜会なんスよ? ブラッドが“お忍び”でも関係なく、みーんな、傍に寄って来るに決まってるでしょ? ていうか、こっちに来たそっスよ、あの人ら」
むう…と、ブラッドは顔をしかめた。
ピッピに言われるまでもない。
話しかけられこそしていないが、そこここにいる「身内」が、ちらちらと視線を向けてくるのを感じている。
わかっていて、無視しているのだ。
チラとでも目が合おうものなら、いそいそと近づいてくるのは目に見えている。
貴族たちも似たようなものなので、目立たないのが幸いだ。
でなければ、身元が露見していたかもしれない。
「しかたないスね。ガルベリーは、知りたがりで庇護欲強い人、多いスもん」
ピッピは、言外に、ブラッドも同じだと言っている。
ブラッドは、スペンスとダンスをしているドリエルダに視線を注いでいた。
ツイーディアの花の色をした髪が、ターンをするたび、ふわりと揺れる。
小柄で華奢で、強気な物言いをする割に、頼りなくてしかたがない。
ガルベリーの気質はともかく、あんな調子では、手を貸してやりたくもなる。
なにしろ、彼女は、およそ「無」しかつかない女なので。
「おっと……ベルゼンドの奴が、こっちに来てるっス」
言って、ピッピが、すうっと離れて行く。
入れ替わりに、女を連れたタガート・ベルゼンドがブラッドに声をかけてきた。
スペンスがダンスに誘わなければ、飲み物でも取りに行くという口実で、1人になる予定だったのだが、予測通りであるのは変わりがない。
「少し、かまわないかね?」
「むろんだ、ベルゼンドのご子息。俺は、ブラッドでいい」
タガートの眉が、ぴくりと動く。
ブラッドがタガートを知っていることに、なにがしかの思いをいだいたらしい。
ドリエルダから聞いていたのか、とか。
ブラッドは、わざとらしくタガートの隣にいる女に、視線を投げた。
「ジゼル、きみは令嬢たちと話があったのではないかな?」
「え、ええ……そうでしたわ。ご挨拶もできず、申し訳ありません」
「かまわんさ」
そっけなく返すと、会釈だけを残して、そそくさと女が令嬢たちの集まっているほうに歩いて行く。
その背を見てから、改めて、タガートに向き直った。
タガートの瞳に、わずかながら感情が見てとれる。
ふぅん、と思った。
(存外、DDに入れ込んでいるようだな。これは嫉妬、か)
それならば、やはり自分の「読み」は正しかったのだ、と思った。
タガートはドリエルダに、なんの思い入れもないわけではない。
むしろ、気持ちを残している。
嫉妬を押し隠せていないのが、なによりの証だ。
(邪魔立てしているのは、さっきの女であろうよ。あのような女を身近に侍らせておくから、目が曇るのだ)
ドリエルダは、タガートとほとんど会っていないと言っていた。
そして、彼女が心を打ち明けに行った日、タガートはジゼルの言葉に激昂して、ドリエルダを追い返している。
つまり、ドリエルダの言葉よりジゼルの話を優先させた、ということだ。
悪評まみれで、たまにしか会わない女と、気遣いを見せ、頻繁に会う女。
心が苦しい時ほど、人は居心地のいい相手を好む。
23歳というタガートの年齢から考えれば、険しい道を躊躇うのもわからなくはない。
だからといって、擁護も同情もしないのだけれど、それはともかく。
「きみと彼女は、どういう関係か、教えてほしい」
どうやら、タガートは率直な人物らしい。
言葉を飾るのを好まないブラッドにすると、持って回った言いかたをされるより好感は持てる。
タガートの心情も、おおよそ把握はできていた。
さりとて。
ブラッドに、計画を変更する気は、まったくない。
正当な理由でもって、ドリエルダのほうから婚約を解消させる。
そのために、彼は、ここにいるのだ。
「お察しの通りだ」
「彼女と親密な関係だと言うのか?」
「そう見えたのなら、そうなのだろうよ」
一瞬、タガートの瞳に、強い嫉妬の炎が宿った。
が、すぐに消える。
夜会とはいえ、王族が主催しているのだ。
公とも言える場で、騒ぎを起こすのは避けたかったのだろう。
「では、その関係を断ってもらいたい」
「なぜだ?」
「彼女が、私の婚約者だからだ」
「それが、どうした」
「不逞なことをしている自覚はないのか」
その言葉を、ブラッドは、はっと軽く鼻で笑い飛ばす。
思っていた以上に、タガートは、ドリエルダに「本気」だとわかった。
だからこそ、攻撃の手は緩めない。
「2年近く婚姻を引き延ばしておいて、今さらであろうが」
あえて痛い腹をつついてやる。
案の定、タガートが言葉を詰まらせた。
ブラッドは、さらに畳みかける。
「婚約者の立場で牽制するとは笑わせる。さっさと婚姻していれば、こうはなっておらんだろ」
自覚はあるようだ。
タガートからの反論はない。
もちろん、反論できるはずがないと知っていて、言っている。
「碌に婚約者としての役も果たさず、俺に指図をするか、タガート・ベルゼンド」
タガートは、己の行動を恥じているらしかった。
ブラッドが指摘したことは、なにひとつ間違ってはいないからだ。
噂に惑わされたのも、婚約期間を引き延ばしたのも、大事にすべき「婚約者」の言葉に耳を貸そうとしなかったのも、すべてタガート自身の判断による。
「ともかく、俺は、あれとの関係を断ち切る気はない」
タガートは、黙っていた。
自覚はしていても、人から己の行動を批判されたのだ。
客観的に見ても「酷い」言動であったと、明確にされたに等しい。
両手を握り締め、うつむいているタガートに、ブラッドは用意しておいた言葉を投げかけた。
「あれが、お前の元に戻りたいと望むのであれば、話は別だがな」
ハッとしたように、タガートが顔をあげた。
が、ブラッドは、スッと視線を外す。
いかにもドリエルダが気になっているという様子で、ダンス中の2人を、じっと見つめた。
今夜、ドリエルダは、タガートとの婚約を解消する。
ドリエルダもまた、タガートに気持ちを残しているのは知っていた。
けれど、ブラッドは、ドリエルダの「夢」が気になっている。
タガートは、彼女の手紙を読んでいないのだ。
今ある感情が、いっときの嫉妬心ではない、とは言い切れなかった。
自分のものだと思っていたものが、他人の手に渡る。
それが、感情を煽っているのかもしれない。
今のタガートは本気だろう。
本気でドリエルダを望んでいる。
だとしても、その気持ちが、永続的なものとは限らないのだ。
ジゼルという女の存在もある。
いっときの感情で婚姻まで行き着けたとしても、その先は?
婚姻とは起点であり、終着点ではない。
(タガート・ベルゼンドは、必死にならねばならん)
ドリエルダの心を取り戻すために。
それこそ、なりふり構わず必死になり、誠意を尽くすべきなのだ。
この2年、彼女は一心にタガートを信じ、待ち続けている。
そのことごとくは、打ち砕かれた。
理由はどうあれ、タガートは、ドリエルダに報いなければならない。
(奴が、真に本気であれば、どのようなこともできよう)
意地や自尊心、立場ですらも投げ打つ覚悟はあるか。
ブラッドは、心の裡で、タガートに、そう問うている。
その程度の覚悟もないのなら、彼女の愛を受け取る資格はない。
ドリエルダが望んでいるのは、永続的な「愛」なのだ。
いっときの「愛」に流されれば、同じことを繰り返す。
(あれは、どうせ人助けをやめられんのだ。あの男が、DDの言葉を心から信じ、手を貸してやるくらいでなければ、結局、破綻する)
互いに想う気持ちがあったとしても、それだけでは道は開けない。
気持ちひとつで戦えば、ドリエルダが負けるのは、目に見えていた。




