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ひそひそ話の裏側で 2

 夢で見た通りだと思う。

 タガートは、ジゼルを伴って夜会に来ているようだ。

 もしブラッドがおらず、1人で乗り込んでいたら、婚約解消を言い渡されていたに違いない。

 

(気になるけど……見ちゃダメなのよね……)

 

 絶対に見るなと、さっきブラッドに耳元で言われている。

 タガートに視線を向けたくなるのを紛らわせるためにも、ドリエルダは、ずっとブラッドだけを見ていた。

 いつもとは違い、少しだけ表情がある。

 

(もしかして、演技してる?)

 

 思うと、ちょっぴり笑いたくなった。

 ブラッドは、いつも無表情なのだ。

 意図的にではなく、癖のようなものかもしれない。

 日頃から彼は、言葉の不躾さほどには感情を露わにしないし、淡々としている。

 

(王族に向かって、手袋を投げるなんて、少し演技過剰な気もするけど)

 

 不敬罪に問われでもしたら、どうするのか。

 ほんの少しだけだが、ドリエルダも心配したのだ。

 もちろん、ブラッドに目算があってのことだとは、わかっていた。

 彼女が思いつくような事態を、ブラッドが予測していないはずがない。

 

「久しぶりだね、ドリー」

 

 ドリエルダは、無理に笑みを浮かべて相手に挨拶を返す。

 アドルーリット公爵家の子息だ。

 前に「夢のせい」で、関わったことがあった。

 

 このチャールズという、アドルーリットの次男を挟み、痴情のもつれで、死人が出るところだったのだ。

 チャールズの金髪と青い眼は偽物らしい。

 チャールズが弄ぼうとしていた令嬢が話していたのを覚えていた。

 ドリエルダの介入で、結局、その令嬢とは1回限りの関係で終わっている。

 痴話喧嘩にも、発展しなかった。

 

「ええと、ブラッドだったかな。ブラッド……」

 

 チャールズが、わざとらしく考え込むようなフリをしている。

 ブラッドから家名と爵位を引き出そうとしているのが、透けて見えていた。

 チャールズは、いかにもな貴族で、気位が高い。

 爵位を振りかざし、優位に立とうとしている。

 

「ただのブラッドでいい。俺は、家名を出すのを好まんのだ」

「ああ、そう……いいさ、ブラッド。そういうこともある」

 

 すげなく返されて、チャールズが不快感を滲ませていた。

 とはいえ、追求すれば、恥をかくのが己だということも承知している。

 だから、あえて踏み込んでは来ない。

 ブラッドは、チャールズの鼻柱の高さを見越して返答したのだろう。

 

(やっぱり頭がいいわ。嫌がるそぶりも見せないんだから……ブラッドの勝ちね)

 

 チャールズは、不快が顔に出てしまっていた。

 飄々としているブラッドのほうが、周りからは「立派」に見えるはずだ。

 

「ところで、きみは、ドリーと親しいようだね」

「やめろ」

「は……? 彼女との関係を否……」

「チップ」

 

 きゅっと、チャールズが眉間に皺を寄せる。

 不快の上に、不愉快が上乗せされた表情だ。

 

「それと同じだ」

「意味がわからないのだが?」

「チップと呼ばれるのは、不快であろう」

 

 ブラッドの言葉に、ドリエルダは、ハッとなった。

 気づかれていたと、気づいていた。

 彼女は、その話をブラッドにしていない。

 

「彼女が、その愛称を嫌っていると知らんのか?」

「あ、いや……」

「俺ほどに、これ(DD)の顔を見つめる者はおらぬようだ」

「それなら、そうと言ってくれれば……」

 

 ハーフォーク伯爵家にいた頃、ドリーというのは愛称ではなく蔑称のようなものとして使われていた。

 そのせいで、ドリエルダは、その愛称を嫌っている。

 けれど、ブラッドが気づいていたとは思っていなかった。


「彼の面目を保ってやるため、あえて嫌とは言わず、我慢していたのか。お前は、優しいな、DD」

 

 肩に回した腕で、ブラッドが、ドリエルダを、ぐいっと引き寄せる。

 軽く頬に口づけられた。

 やわらかな感触に、頬が、ふわっと熱くなる。

 あの日「練習」はしたが、まだ慣れることができずにいた。

 

「きみは……彼女に夢中なようだが、噂を知らないのだろうね」

 

 悔し紛れともとれるチャールズの言葉にも、ブラッドは平気な顔をしている。

 そして、ドリエルダは、びっくりしてひっくり返りそうになった。

 

 なんと、ブラッドが、あの無表情なブラッドが、うっすら笑んだのだ。

 フ…と。

 

 演技も忘れ、ドリエルダはブラッドを、まじまじと見つめる。

 彼を「見初めた」時に思ったことは、大当たりだった。

 笑みを浮かべたブラッドは、とても魅力的に見える。

 そもそも年上ではあるが、いかにも余裕のある大人の男性といったふうだ。

 

「噂など(らち)もない。俺は、己の目と耳を信じる。自分ほど信じるに足る者はおらんからな。違うか、チップ?」

 

 チャールズが言い返そうとしたのだろう、口を開いた。

 が、なにか言う前に、鈴の音が鳴る。

 主役の登場を意味する音だ。

 チャールズは口を閉じ、2人から離れた。

 

 今しがたまであったざわめきは消え、ホール内が静まり返っている。

 奥に設置されている、玉座へと視線が集まっていた。

 カーテンが開き、国王と王太子が入ってくる。

 

 赤味のある金髪と紫の瞳が印象的な2人だ。

 親子であるのが、ひと目でわかるくらい似ていた。

 護衛騎士隊長の義父はともかく、ドリエルダは、自国の国王とはいえ、これほど間近で会ったことはない。

 

(王太子殿下は、お手振り以外では、初めてだわ)

 

 ドリエルダと同じ16歳とは思えないくらい、大人びた雰囲気をまとっている。

 口元に浮かべた微笑みと、ほっそりとした体格とが相まって、とても優しそうに見えた。

 周りの令嬢たちも、ぽうっとなっている。

 

「今夜は、私のために、これほど多くの方々に、お集まりいただけたことを嬉しく思います。王太子としては、まだ学びの途中ではありますが、自らの意思で勤めを果たせる歳となりました。未熟な私ですから、きっと、皆さまに教えを乞うこともあるでしょう。その時は、どうか力添えを、お願いいたします」

 

 今夜の主役は王太子だ。

 だからなのか、国王は、隣に立ち、うなずくだけだった。

 ホールから大きな拍手がおくられる。

 王太子が、にっこりと微笑んだ。

 

「あまり長話をするのは嫌われますからね。挨拶は、ここまでにいたしましょう。さあ、皆さま、本日の夜会を、ゆっくりと、お楽しみください」

 

 本当に、16歳とは思えない。

 非常にそつがなく、感じが良かった。

 国王が席につく。

 音楽が鳴り始めた。

 

 王太子が、玉座のある高い位置から階段を降りてくる。

 きっと、どの令嬢も、胸を高鳴らせているに違いない。

 通常、夜会では地位の高い者からダンスを始める。

 王族より上の者はいないので、必然的に王太子が、最初に踊ることになるのだ。

 

(誰が最初のパートナーに選ばれるかしら。たぶん決まってるんだろうけど)

 

 行き当たりばったりにダンスの相手を決めるなんてことはないだろう。

 相性が悪かったり、息が合わなかったりしたら最悪だ。

 前持って、打ち合わせている令嬢がいるに違いない。

 

 アドルーリットか、その次に格の高いと言われているラウズワースか。

 いずれにせよ、公爵家の令嬢だろうと思う。

 なぜなら、公爵家より格下の貴族は、王宮に入ることもままならないからだ。

 ほかの貴族より、事前に打ち合わせている可能性は高い。

 が、しかし、ドリエルダは忘れていた。

 

 彼女も「公爵令嬢」だということを。

 

 王太子がにこやかに微笑みながら、近づいて来る。

 ような気がする。

 思わず、ぎゅっと、ブラッドの腕にしがみついた。

 その仕草も虚しく、王太子が目の前に立つ。

 

「シャートレー公爵令嬢、ドリエルダ姫。1曲、お願いできますでしょうか」

 

 手を差し出され、ドリエルダは焦った。

 こんな事態は想定していない。

 ちらっと、ブラッドを見上げる。

 ひどく気に入らないといった表情をしている、ように見えた。

 

 とはいえ、王太子からの申し出を断ることはできない。

 とくに、今夜の主役ともなれば。

 

「私でよければ……」

 

 小さく答え、ドリエルダは王太子の手を取る。


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