互い違いの相手 4
「ブラッド……なの……?」
「ほかに誰がいる」
「だって、なんか見違えたっていうか……夜会服、ちゃんと持ってたのね」
「勤め先の主に借りたのだ」
ブラッドの勤めている貴族屋敷については訊いていない。
訊きたい気持ちはあるのだが、訊けない雰囲気もあったからだ。
ドリエルダのことは、かなり話してしまっているが、ブラッドのことはほとんど訊いていなかった。
ブラッドは、彼女自身の問題を解決するための協力者に過ぎない。
もとより、ドリエルダに協力する理由もないのに、手を貸してくれている。
そんな彼に、あまり私的なことを訊くのは不躾な気がして、躊躇われたのだ。
信用していないと、受け取られるのも嫌だった。
それにしても、と思う。
夜会服に身をつつんだブラッドを見つめた。
あの巻毛も整えられており、いつも以上に精悍さが際立っている。
なんとも趣があって、気品すら感じた。
お定まりのタキシードとは、デザインの異なる夜会服だ。
黒のテールコートに、シルバーのウエストコート。
胡桃材のボタンには、細かな細工が施されている。
白銀の四角いカフスリンクスは、上品な細い金で縁取られていた。
ウエストコートと同色のズボンには、濃い灰色の細い縦縞が入っているからか、ギラギラして見えない。
むしろ、すっきりとしていて、足の長さを強調している。
黒いシルクハットは、やや丸みを帯びている、独特の形をしていた。
そして、貴族が愛用しているものほどの高さはない。
これなら、小脇にかかえても邪魔にならなさそうだ。
同じく黒の革靴も見るからに仕立てがいい。
紐の端に、ごくわずかな房がついているのが、とても「お洒落」だ。
緩過ぎず、窮屈過ぎず、ブラッドの足に、ぴったりと沿っている。
ブラッドは借りたと言っていたが、あつらえだと言われても信じられた。
「な、なに……?」
ブラッドを、じっと見ていたドリエルダだったが、ふと、自分に向けられている視線に気づいて焦る。
それなりに見える格好をしたつもりではいた。
だが、見違えたブラッドを前にして、自信をなくしている。
「奴からもらった贈り物をつけてはおらんだろうな?」
「つ、つけて……」
ない、と言おうとして言葉が止まった。
つい、いつもの癖で、タガートにもらったネックレスをつけていたからだ。
ブラッドが、スッと目を細める。
いかにも、気に食わないといった雰囲気だった。
「お前という奴は……これから、なにをしに行くのか、わかっているのか?」
「そ、そうよね。これは、外して別のものを……」
婚約の解消を目的に夜会に行くというのに、その相手にもらった物を身につけていくのは、どう考えてもまずい。
慌てて、屋敷内に戻ろうとした腕が掴まれる。
「屋敷に戻る必要はない。早く馬車に乗れ」
御者のレストンが扉を開いて待っていた。
先にブラッドが差し出した手に、自分の手を乗せ、馬車に乗り込む。
すぐにブラッドも乗ってきた。
2人が座ったのを確認してから、レストンが扉を閉める。
馬車が動き出すと、ブラッドがドリエルダの隣に席を移った。
なんだか、胸が、どきどきする。
民服の時も、ブラッドの外見の良さは目立っていた。
が、今の姿は「目立つ」どころではない。
きっとホール内の女性の大半が目を奪われるはずだ。
「後ろを向け」
黙って、言う通りにする。
短いつきあいではあるが、ブラッドが、理由のないことはしないし、言わない人だと、わかっていた。
カチリとネックレスの留め金が外される。
首筋に当たるブラッドの指先に、勝手に鼓動が速くなっていた。
今夜のドリエルダの濃い青色のドレスは、いつも以上に「大胆」なものなのだ。
ジゼルには負けたくないとの理由から、気合いが入っている。
肩が見えるくらいまで首元のラインが大きく開いたデザイン。
袖は短く、丸い筒状になっていて、そこに、二の腕を通しているだけ。
胸元は、谷間を覗かせつつの大きなV字型編み上げ式。
腰は、きゅっと締まっており、太腿までのラインを露わにしていた。
そこから足元に向かって、ふわりと流れ落ちていく。
そして、背中は、脇下まで深い曲線で切り抜かれているのだ。
水色の髪を綺麗に結い上げているため、首元や背中を隠すものはない。
ブラッドの手がふれるたび、ひどく無防備な姿を晒している気分になる。
もちろん、これは芝居であり、ブラッドとは特別な関係ではないのだから、どきどきする理由なんてないはずなのだけれども。
「これでよかろう」
「用意がいいのね」
「お前のことだ。このようなこともあると思っていた」
「頭の悪い女だから?」
「そうだ」
ブラッドの「あっさり」に、怒る気にもならない。
言われ慣れてきた、というのもある。
彼の言葉には、悪意はないのだ。
単に、彼にとっての事実を述べているだけで。
ドリエルダは、自分の首に掛け直されたネックレスに視線を落とした。
タガートのくれた水色の宝石がついたネックレスとは、まるで違う。
白銀の2連鎖になっていて、首元に近いほうは、小さなダイヤモンドが等間隔に並んでいた。
長いほうには、その中央から鎖が胸元へと縦に少し伸び、その先に翡翠色をした宝石がついている。
形は、なんとも可愛らしい四つ葉のクローバー。
大胆なドレスとはそぐわないとも思えたが、不思議なことに、しっくりきている気がした。
ブラッドの服装も、あえて型を崩している。
それと同じで、ネックレスも、どこか「茶目っ気」を演出しているのだ。
「すごく高そう。なくさないように気をつけるわ。ちゃんと返せるように」
胸のざわつきを誤魔化したくて、わざと気軽な調子で言った。
このネックレスも、ブラッドと同様に「返す」時が来る。
「今度は、こちらを向け」
「あっちを向け、こっちを向けって、せわしないのね」
ブラッドは、いつもの通りだ。
ドレスを褒めもしないし、口調も淡々としている。
どきどきしている自分のほうがおかしいのだろう、と思った。
そのドリエルダの顔に、ブラッドが手を伸ばしてくる。
いよいよ、心臓が、ばくばくした。
なにしろ、ブラッドの端正な顔が近い。
耳元で、ぱちんぱちんと2回の音がする。
ドリエルダが、心臓をばくばくさせている間に、イヤリングも、つけかえられていたようだ。
耳元に下がる感覚に手を伸ばしてふれてみる。
視線で、わずかにイヤリングをとらえることができた。
小さなダイヤモンドの粒でできた鎖と、その先にネックレスのものより小ぶりな、けれどデザインは同じ、翡翠色の四つ葉のクローバー。
「これでバランスが良くなった」
言うなり、パッと、ブラッドが正面の席へと移動する。
ドリエルダは、いたたまれないような、恥ずかしいような気分になった。
ブラッドにとっては、なんでもないことなのだ。
なのに、変に意識してしまった自分を自覚している。
「それと、だ。その2つは返さずともよい」
「そういうわけにはいかないわよ。もらう理由がないもの」
「俺に、女物のアクセサリーは用がない」
「だったら、買い取るわ」
「金などいらん」
ブラッドが、ふいっと横を向いた。
話は終わりだと言わんばかりに態度に、イラッとする。
「あなたって、誰にでも、こういうことをするわけ?」
「俺は、お前に雇われているのではない。俺の勝手で、お前に関わっているのだ。ゆえに、金はいらん」
「善意の施しとでも言いたいの?」
ブラッドが、ドリエルダのほうに視線を戻した。
無表情に見えるのだが、なにか怒ってでもいるかのような雰囲気を感じる。
「俺が、お前に、下心をいだいていると言うか?」
こくん、と喉が上下した。
ふれてはいけないところに、ふれてしまったのではないか。
そんな不安に駆られる。
「……そんなこと、思ってない」
「そうか」
それこそ、彼の言う通り、ブラッドは彼女に「雇われている」わけではない。
なんの見返りも求めず、自ら関わってくれているのだ。
文句を言うほうが筋違いだったのだと、ドリエルダは、しょんぼりする。
肩を落としている彼女に、ブラッドが淡々とした口調で言った。
「夜会では恋人同士を演じるのだぞ? そのような暗い顔をするな、DD」




