互い違いの相手 3
タガートは、ひどく憂鬱な気分でいる。
あの日、追い返してしまったドリエルダのことが、気になっていた。
手紙を書くことも考えたが、結局は出していない。
彼は、今日の夜会に、彼女が来ないことを望んでいる。
変に刺激しないほうがいいと考えたのだ。
馬車には1人。
ハーフォーク伯爵家に、ジゼルを迎えに行く途中だった。
窓枠に肘をつき、物思いに沈む。
(もし彼女が来て、騒ぎを起こせば、私では守り切れない)
自分の力のなさが嫌になった。
ベルゼンド侯爵家にも下位貴族はいる。
ハーフォーク伯爵家などがそうだ。
傅かれる立場ではあるが、ベルゼンドも、公爵家から見れば、一介の下位貴族に過ぎない。
ましてや王族が相手では、庇うことすら許されないだろう。
というより、発言自体が許されない。
(シャートレー公爵がいらっしゃれば、取り成すことも可能だろうが……)
シャートレー公爵は、王族護衛騎士団を率いている。
王族主催の夜会への出席は、見込めなかった。
むしろ、主催者側として警備に回っているはずだ。
(屋敷で大人しくしていてくれることを願うばかりだな)
思いつつも、わずかばかり希望をいだいている。
ドリエルダを傷つけた言動を、彼は、深く悔やんでいた。
だが、傷ついたということは、まだ自分の言葉に、彼女の心に影響を与えられる力があったという証でもある。
タガートの本気を感じ、ドリエルダは大人しくしていてくれるのではないか。
そんなふうに思わずにいられない自分が、厭わしいのだけれど。
(あとは、ジゼルが、貴族令嬢たちに話をしてくれれば、彼女に対する噂も少しは下火になるかもしれない)
夜会後に、ジゼルから、周囲の反応がどうだったのかを訊くことにする。
もちろん、噂が下火になろうがなるまいが、彼女に求婚し直すと決めていた。
とはいえ、悪評を払拭できるに越したことはないのだ。
ドリエルダのためだけでなく、彼自身のためにも。
タガートは、今後、ベルゼンドの領主となる。
ドリエルダとの婚姻に、領民から反発が出るのは望ましくない。
貴族は、領民の税で暮らしているのだから、彼らの意見を尊重する必要がある。
反対を押し切って婚姻すれば、領地を離れる者も出てくるだろう。
(そういえば……私は、彼女以外と婚姻することは考えていなかったのだな)
長い婚約期間の間も、彼は、女性と距離を置いていた。
深い関係どころか、寄せつけてもいない。
ドリエルダ以外の女性をエスコートするのも、今夜が初めてだ。
婚約者がいるからでも、上位貴族が怖かったからでもない。
タガートの心には、ドリエルダしかいなかったからだ。
つくづくと、自分の気持ちを思い知る。
その感情の前では、理性など役立たずになるのは実証済み。
未だに、タガートは、彼女が買った男に、こだわっていた。
いったい、どんな男なのか。
これから、その男と、どうなるつもりなのか。
ドリエルダが「囲いたい」と言い出したら、とまで考えてしまう始末だ。
高位の貴族女性の中には、男が愛妾を囲うのと同様、男を囲う者もいる。
爵位も高く、裕福なドリエルダは、それができる立場にあった。
だからといって、彼女をほかの男と共有するなんて考えたくもない。
(昔は、このようなことで悩むことはなかった。彼女から好意を寄せられていると信じられたのだが)
ドリエルダが美しく成長したことも、タガートの足元を揺らがせている。
彼女は、すでに差別を受けていた幼い少女ではないのだ。
水色の髪をなびかせ、人目を引いても堂々としている。
数ヶ月前にエスコートをした夜会では、いかにも大人の女性、といった雰囲気が感じられた。
男性の視線を集めるのもわかる。
タガートとて、見惚れずにはいられなかった。
それが腹立たしくて、そっけなく振る舞ってしまったのだけれども。
(私が歩み寄れば、なにかが変えられるだろうか)
離れてしまっているかもしれないドリエルダの心を引き戻したい。
婚約の解消が頭をよぎって以降、逆に、そうしたことばかり考えている。
婚約者との立場を失ったら、ドリエルダとの繋がりはなくなるのだ。
最も近くにいたはずの自分が、最も遠くに追いやられる。
彼女の行動に辟易していたはずなのに、いざ離れる時のことを考えると、焦りに落ち着かなくなった。
あげく、誰とも知れない男の存在を知り、嫉妬に駆られている。
これほど明白な答えがあるだろうか。
試すまでもなく、本当には、ドリエルダを手放す気などなかったのだと。
惨めさと情けなさに、深く息を吐いた。
同時に馬車が止まる。
気乗りはしていないが、タガートは馬車の扉が開かれるのを待った。
「待たせたかい、ジゼル?」
「いいえ、少しも」
ジゼルが、令嬢らしい会釈をしてくる。
少し身を乗り出し、馬車に乗り込むのに手を貸した。
向き合って座ると、すぐに扉が閉められ、馬車が動き出す。
どうにも憂鬱な気分が晴れなかった。
向かい側に座っているのが、ドリエルダだったらと、身勝手なことを思う。
夜会に来るなと言い放ったのは、自分だ。
わかっているのに、彼女に会いたくなる。
当然だが、ジゼルには、ドリエルダと似たところはない。
外見だけではなく、性格も瞳の輝きも、ドリエルダとは違うのだ。
令嬢として判断するならば、ジゼルのほうが上だろう。
慎ましく、従順で、男性を立てるすべを心得ている。
申し分なく、妻に相応しい女性だと言えた。
おそらく、多くの子息から求婚されている。
(妹が心配で婚姻する気になれないと言っていたな。だが、私たちが婚姻すれば、ジゼルも安心して嫁げるだろう。伯爵も、早くジゼルを嫁がせたいはずだ)
ロズウェルドでは、女性は早目の婚姻が望まれていた。
それは、出産適齢期に関係している。
この国の女性が、最も出産に適しているとされる年齢は、16歳から18歳。
25歳まではまだしも、それを越えると、母子の死亡率が急激に高くなるのだ。
貴族は後継ぎを必要とする。
そのため、出産適齢期の女性との婚姻が好まれる傾向にあった。
男は危険を伴うことがないため、本人の意思次第では、40歳を越えても、婚姻しない者もいる。
放蕩三昧した50代の貴族の男が、16歳の女性を娶ることも少なくなかった。
はなはだ不条理ではあるが、男女の体質の違いは、いかんともしがたい。
ジゼルは、今年で17歳になる。
この先は、求婚を望む声が少なくなってくるはずだ。
自分たちの問題に、ジゼルを巻き込んでいるのを、タガートは申し訳なく思う。
「タガート様、あまりご心配なさらないでくださいませね。あの子にも分別はあるはずです。あれほど厳しく言われたのですから、きっと夜会には来ませんわ」
ジゼルは気遣ってくれたのだろうが、逆効果だった。
辛辣な物言いをしたことを思い出し、苦い気持ちになる。
(ひと晩の辛抱だ。明日はシャートレーに出向き、私の気持ちを、彼女にきちんと伝えよう)
タガートには、着飾ったジゼルの姿も目に入っていない。
明日のことばかりを考えている。
目的を果たしたら、早々に引き上げようとさえ思っていた。
ジゼルは、妹の擁護をしたいと申し出ている。
貴族令嬢たちに説いて回るのは疲れるはずだ。
きっとジゼルも早く帰りたがるに違いない。
こういう場では、そもそも食事をまともにとれないのだし。
(労いに、晩餐くらいは誘ったほうがいいか。いや、私が一緒だと、よけいに気を遣わせる。それなら、伯爵家に送り届けるのが、ジゼルのためになるだろう)
タガートが物思いにふけっていたからか、会話もなく、馬車の中は静かだった。
彼は、ジゼルを褒めていないことにも気づかずにいる。
本来、女性をエスコートするのなら、馬車に迎える前に称賛するのが礼儀だ。
けれど、やはりタガートは、心ここにあらず。
馬車が止まって、ようやく我に返った。
開かれた扉から、先に馬車を降り、ジゼルに手を差し出す。
馬車から降りたところで、今度は腕を貸した。
さすがに、エスコート役としての礼儀までは忘れていない。
「では、行こうか」
「王族主催の夜会は初めてのことですから、少し緊張していますが、タガート様に恥をかかせないように努めます」
ジゼルの控え目な微笑みに、タガートは軽くうなずく。
王宮のホールに向かいながらも、彼の心には、ドリエルダしかいなかった。