互い違いの相手 1
ブラッドは、意を決して、その扉に手をかける。
開くまで躊躇する間があったほどには、中に入りたくない気持ちが強い。
だが、ここまで来たのだ。
後には引けなくなっている。
「早く、覚悟を決めちゃってくださいよ」
「わかっている……」
後ろからピッピに急かされ、ムッとした。
ピッピだって、ブラッドが、この扉を開くのに「覚悟」がいると承知している。
なのに、急かしてくるのだから、意地が悪い。
「嫌なら帰ります~?」
なんぞと聞いてくる。
いよいよもって意地が悪い。
さりとて、自分の意気地のなさも情けなかった。
ぐっと手に力を入れて、扉を開く。
瞬間。
ガシャーン! ガターン!
大きな音がした。
こうなることがわかっていたので、躊躇っていたのだ。
ブラッドの視線の先には、1人の男と1人の少年。
立ち上がっている年上側の男の下で、ティーカップが割れている。
後ろには、イスが転がっていた。
立ち上がった拍子にイスは転がり、手元が疎かになったせいでカップを落としたからだ。
豪奢で広い室内にあるテーブルで、2人は、のんびりとティータイムを過ごしていたのだろう。
テーブルの上には、各種のデザートも置かれていた。
1人はブラッドより年上、1人はピッピよりも年下。
もちろん、ブラッドは、この2人が誰なのか、知っている。
そもそも、この部屋に入れる者自体が少ない。
ごく限られた者しか入室は許されていなかった。
しかも、約束なしとなれば、かなり限られている。
「やっと……やっと戻って来る気になったか、弟よ!」
ずだだだだっと、年上のほうの男が駆け寄ってきた。
赤味を帯びた金髪に、紫色の瞳。
その瞳は、すでに潤み始めている。
ブラッドは、サッと片手を前に突き出した。
「待て、それ以上、近づくな」
「なぜだ、弟よ! 私が、どれほど、お前の帰りを待ちわびていたことか……」
うるうるっとしている瞳にも、ブラッドは無表情だ。
正直に言ってしまえば、母親違いの、しかも20も年上の兄を、ものすごく苦手としている。
常に冷静で、理屈から思考するブラッドと、兄は真逆な性格をしていた。
感情に、とても素直、と言えば、聞こえはいいのだけれども。
「俺は、戻るとは言っておらん」
「なんと……なぜ、そのような無体なことを言うのだ、弟よ!」
「今日は、用があってまいったのだ」
兄の言葉は、軽く「スルー」するに限る。
号泣されても、宥めるすべをブラッドは持たない。
すると、不意に、アハハという軽い笑い声が響いた。
少年が、ブラッドと兄を見て笑っている。
少年と兄は、外見だけは、非常に、よく似ていた。
なにしろ、2人は親子なのだ。
歳の差はあれど、髪も瞳の色も同じ。
ただし、性格は、まるきり違っていた。
「十年振りでも、相変わらずだね」
ブラッドは、ここを出てから十年、1度も帰ってきたことはない。
様々、理由はあるが、中でも、居心地が悪いというのが、最大の理由だ。
自分の性に合わない、と感じている。
そのため、いくら兄に取り縋られようと、考えを変えはしなかった。
「それで? どうしたのさ?」
「招待状の件で来たっス」
「へえ! まだ送ってもいない招待状に興味があるのかい、ピアズプル?」
「それは機密事項スよ」
ブラッドの代わりに、ピッピが目的を告げている。
ブラッドが話すと、兄は口を挟まずにはいられない。
そして、話が膠着状態に陥る。
その回避役にと、ピッピを連れてきた。
号泣する兄から逃げたかったというのもあるが、それはともかく。
「いつ送るつもりなんスか?」
「明後日くらいかなぁ」
「ずいぶん遅いではないか」
ブラッドの言葉に、相手が軽く肩をすくめる。
兄であれば「弟に叱られた」と誤解をし、涙ぐんで、詫び事を言い出していたに違いない。
「あまり大勢に集まられても面倒なので」
「いや、呼べば、皆、来るであろうよ」
「辺境地に視察に行っていて戻って来られない者がいるかも、とかね」
「いいや、なんとしても戻って来る」
「そのように現実的なことを言われると、希望が潰えるなぁ」
「幻のごとき希望だな」
相手の言葉を、ブラッドは、バッサリと切り捨てた。
とても本気とは思えなかったからだ。
おそらく、これはただの「嫌がらせ」に過ぎない。
兄の息子は、貴族を好ましく思っていないと、知っている。
ブラッドの兄、ロズウェルド現国王ルイシヴァ・ガルベリー。
その息子であり、王太子のスペンシアス・ガルベリー。
外見は親子そのものだが、性格だけを見れば、他人の子ではないかと思える。
ブラッドの甥っ子は、底意地の悪い性格なのだ。
小さい頃は可愛かったのに、と思う。
それを見抜いたのか、目を細められた。
「僕の性格が曲がったのは、叔父上のせいだからね」
「スペンス、お前、まだ根に持っているのか」
「当然だよ。5歳の僕を放り出して、王宮を去ったんだからさ」
5歳になるまで、スペンスの世話をしていたのは、ほぼブラッドだと言える。
というのも、ロズウェルドには魔術師がいるが、5歳以下の子供には魔術を使うことができないのだ。
魔力影響のほうが強過ぎて、治癒の魔術ですら命取りになる。
あげく、兄のルイスはスペンスが熱を出しただけで、狼狽えるばかり。
魔術師としての腕は確かなのだが、逆に魔術が通用しないとなると、どうすればいいのかわからないのだ。
ブラッドは魔力顕現しておらず、魔術が使えない。
そのため、魔術に頼らないすべを身につけていた。
結果、治癒の魔術が使えるようになる5歳までは、ブラッドがスペンスの面倒を見ざるを得なかったのだ。
嫌々やっていたのではないが、懐かれ過ぎるのは困るというのも本音ではある。
「あげく十年もローエルハイドに居座って、今じゃ子守りもしているとか? あの家は特殊だし、放っておいても育つだろうに」
「……ジョザイアは、まだ3歳なのだぞ?」
「だから、なに? あの家には優秀な執事がいるよね? コルデア家のシャルロスだったっけ? そいつに任せて、叔父上は王宮に戻ればいい」
とんだとばっちりだ。
スペンスはお得意の魔術で、どこからともなく情報を仕入れているらしい。
これだから、入るのに「覚悟」が必要だったのだ。
兄はブラッドを見れば涙ながらに縋ってくるし、甥は執着心が強いし。
「王宮に戻るのはナシっスね~。ここじゃ動きにくいスもん」
ようやくピッピが間に入ってきた。
おそらく、面白がって、あえてしばらく黙っていたのだろう。
ピッピもピッピで、やはり意地が悪い。
なぜ、自分の周りには、こうも意地の悪い奴しかいないのか。
無表情ではあるが、ブラッドは、内心で嘆いている。
「ところで、夜会は、いつなんスか?」
「どうして夜会の日が知りたいのさ?」
「ブラッドが出席予定だからっスよ」
「え? 叔父上、来てくれるの?」
「それは、まことか、弟よ?!」
ブラッドは、2人の目の輝きに、げんなりしていた。
とはいえ、目的を達成しなければ、ここに来た甲斐がなくなる。
こうなるとわかっていて、それでも来たのだから。
「出席はする。だが、日がわからぬでは休みが取れんのだ」
「7日後の予定だよ、叔父上」
「これは、急ぎ、招待状を出さねば!」
「2日後には、どこの貴族屋敷にも届くよう王宮魔術師に手配させるね!」
公の行事ではあるが、たかが招待状を送るために王宮魔術師を動かすのはどうかと思う。
だいたい、さっきまでのやる気のなさはどこに行ったのか。
ブラッドは、絶対に釘を刺しておかなければならないと、感じた。
「当日は、俺に話しかけるな。近づくな。知らぬ顔をしろ」
2人が揃って「ショック」という顔をする。
だが、夜会の日に、まとわりつかれては大迷惑なのだ。
ブラッドの立てた策に支障をきたすのは間違いない。
なので、まだ「ショック」という顔をしている2人に、断固として言う。
「俺は“お忍び”で行く。それを頭に叩き込んでおけ」




