あの頃に戻れたら 2
タガートは、まったく聞く耳を持ってくれなかった。
あの場でジゼルを追い返し、2人で話せる時間を持ってくれれば、きちんと説明できていたかもしれない。
もちろん、日頃の自分の行いのせいだとは、わかっている。
けれど、それだって、理由があるのだ。
「話は?」
「できなかった……その前に、言われてしまったわ」
「夜会に来るな、か?」
こくっと、うなずいた。
その頭を、ブラッドが軽く、ぽんぽんとしてくる。
慰めるような仕草に、少しだけ落ち着いた。
とたん、抱き着いているのに気づき、体を離す。
夢の話をしても、馬鹿にされたり、疑われたりしなかったことで、ドリエルダはブラッドに対して、安心感をいだいていた。
そのため、現れた姿に、つい抱き着いてしまったのだ。
ブラッドを見上げて、もう1つ、気づく。
(私、なんでブラッドが来てくれるって思ったの……? 彼には、ここに来る義務なんてないのに……)
ドリエルダは金を払って、ブラッドを雇っているわけではない。
宿賃さえ支払い損なっていた。
別れ際に渡そうと思っていたのだが、それも忘れていたのだ。
あの時は、タガートにどう話すかで、頭がいっぱいだった。
「あの……ブラッド……来てくれて、ありがとう……」
「なにがだ? お前が布を下げれば来てやると言っておいただろ」
「それは、そうだけど……」
「守れん約束であれば、はなから、せぬほうがよい」
「確かにね」
守れもしないのに、口先ばかりの約束をする者が多いのは知っている。
けれど、ブラッドは、そういう類の男性ではない。
改めて言われるまでもなく、なぜか、そう感じていた。
だからこそ、疑いもせず、ブラッドを待てたのだ。
「時に、お前、俺に話しておらんことはないか?」
「話してないことって、なに? 全部、話したはずだけど」
ブラッドが腕組みをして、首をかしげている。
なにか気にかかっていることがあるらしい。
「そういえば……夢の話だが、奴に伝える努力とはなんだ?」
「私はシャートレーに来て、読み書きができるようになったのよね。だから、夢を見るたびに、手紙を書いてた」
「手紙だと?」
小さく溜め息をつきながら、ドリエルダは、部屋にあるソファへと移動した。
彼女が座ると、その向かい側にブラッドが座る。
ブラッドがイスを勧めなくても、彼女は座ることにしていた。
なので、彼女がソファを勧める前に、ブラッドが座っても文句はない。
「そうだ……言っていないことって、それかも」
「もしや、奴は手紙を読んでおらんのか?」
「たぶん……」
ドリエルダは、事情をブラッドに話す。
想像の域を出ないのは、夢の内容で判断したことだからだ。
「夢の中で、私は彼の私室にいたの。彼の私室には暖炉があって、夢の中でも火が入ってたわ。その燃えている薪の向こうに、封筒の切れ端が見えた。私からの手紙だってわかるように、水色の封筒を使ってるから、すぐわかったのよ。ただ……」
「手紙の内容は、わからんというのだな?」
「だって、私が彼に手紙を出すのは10日前だもの。夢を見たあと、その内容と、私がなにをしようとしているかを、手紙で伝えてたわ」
そうしておけば、自分の「奇行」の意味もわかってもらえる。
10日から20日なんていう、幅のある期間に起きる出来事の話なんて、信じてもらえるか、わからない。
だから、前もって「予告」しておいた。
12歳だったドリエルダが、誤解されたくない一心で考えた手段だ。
「もし、いつも通りなら、私は夜会の前日くらいに、なにか別の夢を見て、その内容を書いた手紙を、彼に出してたことになるわね」
「だとしても、今は内容について考えてもしかたがない。すでに、夢の内容とは、事態が変わりつつあるからな」
即座に返答され、ドリエルダは感心する。
なるほど、そういうことは有り得そうだった。
実際、夜会当日に言われるはずの言葉を、タガートは、今日、口にしている。
まだ王宮から、正式な招待状も届いていないのに。
「ところで、なぜ、奴が手紙を読んでおらんと思った? 切れ端だけで判断できるとは思えんが」
「婚約が決まって彼がここに来た時に、父が出した手紙を持って来てたの。封蝋を壊す開けかたはしてなくて、丁寧にペーパーナイフで封を切ってた。私が見た切れ端は、ちょうど上の部分。封を切った痕はなかったわ」
元々、タガートは几帳面な性格をしている。
封も、端から端まで綺麗にナイフが入れられていた。
もし、手紙を読んでいたなら、同様の切れ痕が残っていたはずだ。
そこから、封も開けず燃やしたと推測できる。
「でも、それで、なんとなくわかったのよ」
「お前の王子様が、冷淡になった理由か」
「シャートレーの養女になるまで、本当に彼は優しくて、私を大事にしてくれてるのも感じてたわ。あれは上面だけのものじゃない。本気で気遣ってくれてたって、今でも信じられる」
しかし、タガートの態度は、だんだんに硬化していった。
口調も厳しく、冷たくなり、屋敷に訪れる回数も減っている。
ドリエルダは、今回の夢を見るまで、彼が手紙を読んでいないだなんて、少しも思っていなかった。
すべて承知してくれていると思っていたからこそ、わからなかったのだ。
どうして彼の態度が変わってしまったのか。
「お前を大事にしていたのであれば、手紙を読まずに焼くはずがない」
「それは……断言できない気がする。最初は読んでくれてたかもしれないし……」
けれど、似たような手紙が繰り返し来ることにうんざりしたか、馬鹿馬鹿しいと思ったのか。
いずれにせよ、ドリエルダの書いた手紙は無意味だった。
タガートは、彼女のことも、彼女の言葉も信じていない。
そう思うと、胸がキリキリと痛む。
「どうすればいいの……? 今さら夢の話をしたって、言い訳としか思われないわよね。なにかいい方法はある? ジゼルを誘惑するのは無理なんでしょ?」
「無理ではない。むしろ、誘惑するのは容易いことだ」
不遜なことを真面目な顔で言うブラッドに、少しだけ呆れた。
とはいえ、ブラッドの外見が女性を惹きつけるものであるのは否定できない。
その気になりさえすれば、どんな女性でも口説き落とせそうな気がする。
その気になるブラッドが想像できないが、それはともかく。
「だが、それは悪手であろうな」
「どうして? 彼がジゼルと夜会に行かなければ、面倒なことにはならないんじゃない? 周りに、変な噂が立つこともないと思うけど」
タガートが婚約者でなく、ジゼルのエスコートをして夜会に行けば、必ず邪推をされてしまう。
だいたい、ジゼルがその機会を無駄にするとは思えなかった。
きっと、しおらしい顔をしつつも、ドリエルダを貶める。
そして、周りに「ジゼルこそがタガートの相手」だと吹き込むに違いない。
貴族の女性たちは、眉をひそめる「フリ」はするが、実は醜聞好きだ。
ジゼルの言葉を鵜呑みにして、あっという間に撒き散らすに決まっている。
ドリエルダの悪評が、どう作用するかは明白だった。
下手をすれば、婚約解消の噂が、一気に広まるだろう。
「誘惑するまではかまわんさ。だが、そのあとはどうする? まさか俺にその女と婚姻せよ、とまでは言わんだろうな? だが、仮に、そうなったとしてもだ。身分や家、家族はいかがする? 生涯、偽りの姿で生きていくことはできん」
言われて初めて、自分の浅はかさに、ハッとなった。
その場をしのげればなんとかなると、ドリエルダは思っていたのだが、違う。
その場をしのいだところで、どうにもならない。
いずれブラッドは、ジゼルの前から消える。
ジゼルが標的を、タガートに戻すのは目に見えていた。
最悪なのは、ブラッドがドリエルダの協力者であるのが、ばれること。
ジゼルに、ドリエルダを悪者にして、被害者ぶって、タガートに泣きつく理由を与えてしまう。
「ごめんなさい……私……とんでもないことを頼んでたのね……」
「かまわん。お前が、頭の悪い女だということは知っている」
「なんだか謝って損した気分」
「そうか」
平然としているブラッドに、小さく笑った。
今にも婚約者に捨てられそうになっているのに、自分は笑えるのだと思う。
それが、ちょっぴり嬉しかった。
しばし考えている様子だったブラッドが、軽くうなずき、口を開く。
「いっそ、お前から婚約を解消すればよいではないか」
「え…………」
ドリエルダは、ブラッドの言葉に虚を突かれた思いがした。
婚約解消を回避することしか、彼女は考えていなかったからだ。
だが、言われてみれば、ドリエルダに失うものはない。
シャートレーの両親もタガートも、彼女の気まぐれに振り回されただけ。
周囲からの同情が得られれば、家名に大きな傷もつけずにすむ。
その後、何ヶ月間かは、謹慎させられたことにすれば、信憑性も増すはずだ。
自分だけが悪者ですむのなら、それでよかった。
「お前の考えていることはわかるが、それは違うぞ、DD」
知らず、うつむいていた顔を上げる。
ブラッドが、大真面目な顔で、ドリエルダを見ていた。
「お前は、正しき理由をもって婚約を解消するのだからな」