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努力はしたけど 3

 タガートは、屋敷内にある執務室の扉が叩かれる音に、顔を上げる。

 控え目な叩きかたに、長年、勤めてくれている執事のムーアだと察した。

 昼食までには、時間がある。

 ムーアは、よほどのことがなければ、執務中に声をかけてこない。

 

(また父が無茶を言い出したのか)

 

 大きく溜め息をつく。

 これも、ドリエルダとの婚約の弊害だ。

 元々、彼の父には見栄張りなところがあった。

 この2年で、それに拍車がかかっている。

 

 タガートとドリエルダの婚姻により、シャートレーが後ろ盾になるからだ。

 嫁いだとしても、ドリエルダが、シャートレーの娘であるのは変わりない。

 娘婿の実家に「良くしてくれる」と、父は考えている。

 

「入ってくれ」

 

 扉を開いたムーアが、執務室に入ってきた。

 ムーアは、タガートが幼い頃から知っている姿と、たいして変わりはない。

 ロズウェルドでは、男女を問わず、ある一定の年齢から外見の変化が乏しくなるのだ。

 焦げ茶色の髪と瞳をした執事は、60歳が近くなっている。

 

(彼も、もう年だ。私が当主になる時には、後継に引き継がせ、ゆっくりしてもらわなければな)

 

 ムーアが、申し訳なさそうに頭を下げた。

 タガートの声が、うんざりした調子だったからに違いない。

 ムーアのせいではないのに、自分の憂鬱な気分をぶつけてしまったと反省する。

 すぐに気分を切り替え、ムーアに明るく声をかけた。

 

「また父上が、必要もないのに屋敷の改装をしたいとでも言ってきたのかい?」

 

 これからは公爵家の方々も屋敷に来るのだからと言い、父が庭の大々的な整備を言い渡したのは、半年前。

 その後も、調度品の入れ替えだの、美術品の購入だのと、よけいな支出ばかりを増やしている。

 

 タガートは、ベルゼンドの唯一の後継者だ。

 とはいえ、今はまだ、彼の父が当主であり、領主だった。

 現状、いずれの役割もタガートが肩代わりしているが、それはともかく。

 

「いえ、旦那様のことではございません。シャートレー公爵令嬢がお見えになっておられます。タガート様にお会いしたいと」

「彼女が……?」

 

 タガートは眉を寄せ、表情を険しくする。

 どういう気まぐれかと、警戒心がわきあがっていた。

 婚約後は、当然だが、タガートが、シャートレーに出向くことが、ほとんどだ。

 その足も遠ざかっている。

 

 シャートレーになってからのドリエルダが、ベルゼンドの屋敷に来たのは、ただ1度きり。

 婚約の挨拶に、シャートレー夫妻と訪れた、その1回だけだった。

 以降、彼女が、侯爵家を訪れたことはない。

 

「断るわけにもいかない。小ホールに案内を頼む」

「かしこまりました」

 

 少しの間のあと、立ち上がる。

 廊下に出て、執務室に向かいかけて、足を止めた。

 ドリエルダに会うのは、何ヶ月ぶりだろうか。

 3ヶ月ほど前に開かれた夜会で、彼女のエスコートをしたのを思い出す。

 

 タガートは向きを変え、私室に戻った。

 鏡の前に立ち、自分の姿を眺める。

 堅苦しい執務用の貴族服に身をつつんでいて、いかにも「堅物」だ。

 

(私は、彼女にとって魅力的ではないのだろうな)

 

 夜会に行くたびに思い知らされる。

 タガートは23歳だが、同じ年頃の貴族子息らは、見た目にこだわる者が多い。

 華やかで、流行りの夜会服姿の彼らに、ドリエルダは、いつも囲まれていた。

 悪評があっても、彼女にダンスを申し込む子息は、大勢いる。

 タガートとは、たいてい最初の1曲くらいしか踊らなかった。

 

 望まれて婚約したはずなのに、ドリエルダは、タガートを見ていない。

 一緒に出掛けていても、いつも上の空だ。

 なのに、子息らとダンスをしている間は、楽しそうにしている。

 とっくに自分への関心を失っているのだと感じていた。

 

「我ながら、野暮ったい格好だ」

 

 タガートは、基本的に、なんでも自分でやる。

 着替えにも、誰の手も借りない。

 クローゼットを開き、執務用の服よりはマシと思えるものを身につけた。

 ボウタイを結びながら、苦い笑みを浮かべる。

 

 無様だ、と思った。

 情けない、とも感じている。

 

 着替え終わった自分の映る鏡を、片手で軽く叩いた。

 正装とまでは言わないが、さっきよりは「見られる」ようになった気がする。

 ドリエルダは、どう思うだろう。

 そんなことが気がかりなのだ。

 

 少しでも、彼女に良く見られたい。

 

 この期に及んで、まだそんなことを考えている。

 自分に対する関心とともに、昔の彼女に戻ってほしかった。

 タガートは、今の贅沢と放蕩を好むドリエルダが嫌なだけなのだ。

 

 以前の彼女に戻ってくれるのなら、愛情を向けられる。

 婚姻にも前向きになれる。

 

「向こうは、お気に入りのぬいぐるみを手にいれたという程度の気持ちしかないのだろうにな。そして、大人になれば、ぬいぐるみなど必要としなくなる」

 

 自嘲気味につぶやいてから、私室を出て、小ホールに向かった。

 扉の前に、ムーアが立っている。

 黙って、扉を開いた。

 

 室内にいたドリエルダは、ソファに座っていなかった。

 タガートのほうへと体を向けて立っている。

 待っていたのか、と思うと、わずかに胸が暖かくなった。

 なぜかはわからないが、彼女に駆け寄り、抱きしめたくなる。

 

「突然……来てしまって、迷惑だったかしら……?」

 

 ドリエルダの口調は、いつになく弱々しかった。

 瞳も揺らいでおり、ひどく心もとなさそうな表情を浮かべている。

 タガートの中で、12歳のドリエルダと重なって見えた。

 足速に近づき、彼女の両手を取る。

 

「そのようなことはない。きみは、私の婚約者なのだからね」

 

 言うと、ドリエルダが、ハッとしたような顔をしたあと、うつむいた。

 自信なさげな顔つきになっている。

 明るさはなく、その表情は暗く陰っていた。

 

「なにかあったのか?」

「あなたに、私の気持ちを伝えておきたくて……」

 

 見上げてくる瞳は、まだゆらゆらと揺れている。

 その瞳に、タガートは心が動かされかけていた。

 自分のしようとしていることは間違いなのではないか、と思い始める。

 

 彼女との婚約の見直し。

 

 これまで、1度も考えたことはなかった。

 けれど、ジゼルの「婚約解消を考えているのなら」との言葉に、初めて、それを考えたのだ。

 ドリエルダが自分への関心を失っているのであれば、この婚約に意味はない。

 婚姻まで進んだところで、お互いに不幸になる。

 

 タガートの心には、ドリエルダを大事に想う気持ちが残っていた。

 だからこそ、彼は1度だけ彼女を試すつもりでいる。

 

 近々開かれるであろう王族主催の夜会への欠席を、ドリエルダに促すのだ。

 公の場での「奇行」など許されはしない。

 彼女を守るためには、夜会に行かせないのが最善だと思っている。

 ドリエルダが彼の気持ちを理解してくれるのならば、従ってくれるはずだ。

 

 たとえ、彼の気持ちを理解できなかったとしても、婚約者という立場を尊重してくれさえすれば、それだけでもかまわない。

 わずかながらであれ、ドリエルダにも自分を想う気持ちがあると信じられる。

 それなら、婚姻後に彼女を変えられるかもしれないとの希望もいだけた。

 

 だが、今のドリエルダを見ていると、どうにも落ち着かなくなる。

 自分の考えに迷いが生じていた。

 彼女を試すような真似をすべきではないのではなかろうか。

 

「いろいろと環境や状況が変わって……あなたの目には、さぞ私が酷い女に見えていることでしょうね……」

「それは……」

「わかっているわ。全部、私が撒いた種よ。そのせいで、あなたにも、外聞の悪い思いをさせて申し訳なかったと思っているの」

 

 勝手に、鼓動が速くなる。

 彼女は、いったい何を言おうとしているのか。

 別れを切り出すつもりなのではないか、という焦燥感に駆られた。

 

「今さらのことだ」

「そうね。婚約してから2年も経って言うことではなかったわ」

 

 タガートは、ドリエルダの両手を握り締める。

 そうしていれば、彼女を繋ぎ()められるとでもいうように。

 

「でも、私は、あなたと……」

 

 ドリエルダの言葉の途中で、唐突に、小ホールの扉が開かれた。

 驚いて、タガートは、彼女の手を離す。

 そう、ドリエルダの手を離してしまったのだ。


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