努力はしたけど 2
ブラッドは、ドリエルダが嘘をついている、とは思っていない。
嘘なら、もっとマシなものがいくらでもある。
内容が突飛に過ぎた。
そして、なにより彼女の性格だ。
(もっとうまいやりようがあったろうに。うまくやることより、結果を得ることを優先したか)
そのせいなのか、自分を守ることが疎かになっている。
とにかく悪い事態を回避できさえすればいい、とでも思っているに違いない。
要領よくやっていれば、悪評など立っていなかった。
逆に、称賛される機会になっていたはずだ。
「お前は、つくづくと頭の悪い女よな」
「言葉を飾らないにも、ほどがあるわよ」
「事実だ」
ブラッドは腕組みをして、ドリエルダを見つめる。
同時に、ピッピのニヤつく顔も見えたが、いたしかたがない。
ドリエルダに手を貸さなければ、後味の悪いことになるに決まっていた。
今回も、彼女が「うまくやれない」ほうに、全財産を賭けたっていいくらいだ。
「ドリエルダ・シャートレー、お前が考えている策では、うまくいかんぞ」
ハッとしたように、ドリエルダが息をのむ。
己の身分や名まで知られているとは思いもしなかったのだろう。
もちろん、ブラッドが知っているのは、それだけではない。
調べるまでもなく、耳に入ってくる情報は、いくらでもあるのだ。
「タガート・ベルゼンドが、お前の婚約者であったな」
「そんなことまで……なぜ……?」
「頭が痛い」
「どうしたの? 具合が悪かったのなら……」
ブラッドは、顔の前で、手を軽く振ってみせた。
体の調子が悪いのではない。
ドリエルダの言動に、いちいち調子を崩されているのだ。
本当は、手を貸すつもりなんてなかったのに。
「見ておれん……」
痛々しいというか、いたたまれなくなる。
噂とは異なり、ドリエルダは無邪気であり、無防備であり、無鉄砲。
およそ「無」しかつけられない女だった。
「よいか、DD。良く聞け」
体を少し前に傾け、テーブルに腕を乗せる。
そうでもしていないと、頭をおさえた瞬間、イスごと後ろにひっくり返ってしまいかねない。
最初に依頼された内容から推測した、ドリエルダの策があまりにも穴だらけで、ブラッドは呆れているのだ。
「タガート・ベルゼンドは、お前を試したのだ」
「試したって、どういうこと?」
「お前の出方次第で、婚約を解消するかどうか決めようとしたのだな」
「まさか……そんな……だって……」
ドリエルダは、本気で驚いているようだ。
これが演技ならば、王宮道化師になれる。
「その夜会で、お前が詰め寄った時に、初めて婚約の解消を決めたなぞと思うな」
「い、意味がわからないわ……どうして、そうなるのか……」
「お前が婚約したのは、確か2年前ではなかったか? 親の承諾もあるのだ。この2年、いつ婚姻していても、おかしくはなかろう」
ブラッドは、貴族屋敷に勤めていた。
そのため、どこの貴族が婚姻しただの婚約しただのという話は、自然と聞こえてくる。
シャートレーの14歳の養女が、21歳のベルゼンド侯爵子息と婚約した。
その話を聞いてから、2年は経つ。
「お前は、16になっている。親の承諾すらも必要とせぬ歳だ」
それでもなお、ベルゼンド侯爵子息は足踏み状態。
彼女の様子からも、夢の内容からも、求婚していないのは明白だ。
「それは……私と婚姻したくないと、彼が思ってるって言いたいの?」
「迷っているのではないか」
ドリエルダは口をつぐみ、黙り込む。
わずかにうつむいてはいたが、目に涙はなかった。
薄々、気づいていたのかもしれない。
ロズウェルドでは14歳で大人とされる。
その歳に婚約しておきながら、2年も放置されていたのだ。
もしかすると、と思っていても不思議ではない。
「お前は、奴を好いているのだな」
だから、気づいていながらも否定していた。
認めたくなかったからだろう。
さりとて、そこを認めなければ、この先の話は続けられない。
タガート・ベルゼンドがエスコートを務めたという女を、ブラッドが誘惑しても無意味だと、彼女は理解する必要がある。
しばしの間のあと、ドリエルダが顔を上げた。
感情を押し殺しているのが、とてもよくわかる。
ほかの者なら、ドリエルダの理性的な表情や態度に惑わされただろう。
だが、ブラッドには、彼女の顔に「ショック」と書いてあるように見える。
隠しているつもりなのだろうが「お忍び」と同じく、細かい仕草に心情が現れているのだ。
瞬きが、やたら多くなっているとか、ドレスの皺を気にするような手つきとか。
「5歳で出会ってから、彼には、ずっと優しくしてもらってたから。いわゆる……なんていうか、まぁ、王子様みたいなものよ」
言葉には、自嘲する響きがあった。
貴族屋敷で、彼女の生い立ちを知らない者は、ほとんどいない。
悪評が立つようになってからは、ますます口さがない連中の的になっている。
ドリエルダの中には、元敵国であるリフルワンスの血が混ざっていた。
シャートレーの養女になるまでは、差別を受けていたと容易に想像できる。
そういう環境で優しくされれば、特別な感情をいだくのは必然だ。
タガート・ベルゼンドにしても、当時は、彼女に好意的であったからこそ同情もしていたのたろうし。
だが、状況が変わった。
「奴の言う通り、夜会に行かねばよい」
「……それで結果は変わる? 絶対に良いほうに転がる?」
「絶対とは言い切れん」
「彼はジゼルと夜会に行くのよ?! 周りは、彼が、私よりジゼルを選んだと思うでしょうよ! シャートレーの娘を差し置いて……っ……それが、どういう意味を持つか、それこそ、あなたならわかるんじゃないの、ブラッド!」
ついに動揺が抑えきれなくなったらしく、ドリエルダは立ち上がっている。
ブラッドの淡々とした口調も、彼女の不安定な心を揺さぶったのだろう。
ドリエルダは、蒼褪めた顔をして、体も震わせていた。
「婚約の申し入れをしたのは、シャートレーであったな」
すとん…と、ドリエルダが呆けたように、イスに腰を落とす。
彼も貴族社会の在り様は知っていた。
「上位貴族から申し入れた婚約にもかかわらず、下位貴族にないがしろにされる。これほどの恥辱もあるまい」
「私が、“まとも”だったら、シャートレーの下位貴族が庇ってくれた……でも、私は、“まとも”じゃないから……みんな、彼の味方をするわね……」
ドリエルダの言う通りだ。
通常、下位貴族ごときが上位貴族に歯向かう真似はできないし、許されない。
シャートレーの派閥はもとより、シャートレーに好意的な派閥からもベルゼンドは弾き出される。
ベルゼンドの上位貴族であるブレインバーグとて許してはおかないはずだ。
けれど、今回ばかりは、そっぽを向かれるのはシャートレーだった。
そう、彼女が「まとも」ではないからだ。
これまでの人助けが、逆に、彼女の足を引っ張ることになる。
ドリエルダの顔が、いよいよ青くなっていた。
「シャートレーの家名が貶められる……彼にもわかっているはずなのに……」
「奴は、お前に、そのシャートレーを捨てさせたいのだ」
ドリエルダは、わけがわからないというように、ブラッドを見つめてくる。
タガート・ベルゼンドの気持ちなど、ブラッドにはわからない。
が、思惑は透けて見えている。
「奴に、夢の話をしておらんようだが、なぜだ?」
見ず知らずのブラッドにさえ、ドリエルダは夢の話を打ち明けている。
ましてや、彼女は、その婚約者に想いを寄せているのだ。
信じてもらえるかどうかはともかく、話してみようとは思わなかったのか。
「私が人助けできるようになったのはシャートレーになったあとなの。それまでは人を助ける余裕なんてなかった。彼を巻き込むと思ったから伝える努力は、してたけど……無視されてる」
ドリエルダは、うつむいていた。
けれど、やはり、その瞳に涙はない。
「その努力は無駄であったな。奴は、お前を噂通りに捉えている」
「もしかして、原因がシャートレーにあると思ってるの? シャートレーの養女になったから、私が、“まとも”じゃなくなったって……」
「残された時を使い、真のお前を信じさせる努力をしろ。素直に心を伝え、縋れば良いではないか。試すということは、まだ奴にも気持ちが残っている」
ドリエルダが、力なくイスから立ち上がる。
そして、泣くのを堪えているような表情で、小さくうなずいた。
「できるだけのことは、してみる。でも、駄目だったら……また、あなたに連絡をとりたいんだけど……いい?」