誰もそれを知らない
時計が置かれている。夕方の5時半を指している。秒針がちいさな音でちくたくとつぶやいている。じつに頼りない呟きを垂れ流している。
からくり時計が置かれている。派手な装飾はないものの、ゼンマイとちいさな蓋付きの箱がついている。深い青をしている。漆蒼ということばがあれば、それがいちばんしっくりくる。
音楽が流れるからくり時計が置かれている。オルゴールの類の機械がくっついている。この機械もまた漆蒼をしている。むろん、日陰に置いてある以上暗く見えるのは当然かもしれない。
懐かしい音楽が流れるからくり時計が置かれている。毎正時に、聞いたことはあるけれど題名が思い出せないクラシック音楽が流れる。陰気な音楽である。
長いカウンターには、懐かしい音楽が流れるからくり時計が置かれている。反対側の端には観葉植物が据えられている。木でできたカウンターはいくらか塗装が剥がれ落ちて、却って観葉植物に似合っている。
店の長いカウンターには、懐かしい音楽が流れるからくり時計が置かれている。観葉植物のところにレジがある。店主はその近くの椅子に腰掛け、ほとんど動くことなく窓の外を眺めている。
ちいさな店の長いカウンターには、懐かしい音楽が流れるからくり時計が置かれている。オルゴールの音が店のどこにいても聞こえるほどに小さい店にはそのほかの音はなく、客もいない。
骨董品を扱うちいさな店の長いカウンターには、懐かしい音楽が流れるからくり時計が置かれている。バイオリンから絵葉書まで揃っている。どうもからくり時計は売り物ではないらしい。
どこからともなく集めてきた骨董品を扱うちいさな店の長いカウンターには、懐かしい音楽が流れるからくり時計が置かれている。ヨーロッパの街角で売っていそうな眩しい色の帽子もあれば、畳色にくすんだ絵巻物もある。
店主がどこからともなく集めてきた骨董品を扱うちいさな店の長いカウンターには、懐かしい音楽が流れるからくり時計が置かれている。店の壁に申し訳なそうに飾られた世界中の写真は店主自身が撮ったもので、いずれも色褪せて薄い褐色をしている。
白い髭を生やした店主がどこからともなく集めてきた骨董品を扱うちいさな店の長いカウンターには、懐かしい音楽が流れるからくり時計が置かれている。骨董屋ぜんたいが薄暗く色褪せているぶん、店主の白い髭がぼんやりと浮かび上がっている。カウンターにそっと置かれた写真立てに映り込んでいる。
白髪と白い髭を生やした店主がどこからともなく集めてきた骨董品を扱うちいさな店の長いカウンターには、懐かしい音楽が流れるからくり時計が置かれている。髭に加えて髪も白い上にそれなりに伸びているものだから、妙に迫力がある。写真立てには店主とその妻の写真が入れられている。髪と髭は、妻に似合うとおだてられて自分で染めた。黒いものが目立ち始めるたびに白く染め直している。
若いのに白髪と白い髭を生やした店主がどこからともなく集めてきた骨董品を扱うちいさな店の長いカウンターには、懐かしい音楽が流れるからくり時計が置かれている。妻との写真もまた色褪せている。少なくともこの店には、妻の姿は写真立ての中以外にない。よく見ると店主の髭の中に黒いものが混じっているかもしれない。
まだ若いのに白髪と白い髭を生やした店主がどこからともなく集めてきた骨董品を扱うちいさな店の長いカウンターには、懐かしい音楽が流れるからくり時計が置かれている。オルゴールが午後6時を知らせた。それでも店主は動かない。
笑う、まだ若いのに白髪と白い髭を生やした店主がどこからともなく集めてきた骨董品を扱うちいさな店の長いカウンターには、懐かしい音楽が流れるからくり時計が置かれている。妻は死んだ、かもしれない。誰も知らない。数年前に旅に出たきり帰ってこない。
静かに笑う、まだ若いのに白髪と白い髭を生やした店主がどこからともなく集めてきた骨董品を扱うちいさな店の長いカウンターには、懐かしい音楽が流れるからくり時計が置かれている。骨董屋にやってくる客はいない。そこに店があることすら知らないのかもしれない。入口が大通りに面していない上に看板もないものだかっら仕方がない。時計はまだ6時を指している。ゼンマイが巻かれていないのだ。
ひとりで静かに笑う、まだ若いのに白髪と白い髭を生やした店主がどこからともなく集めてきた骨董品を扱うちいさな店の長いカウンターには、懐かしい音楽が流れるからくり時計が置かれている。観葉植物の足元を苔が覆う。日が暮れた。店主は死んだ、かもしれない。店主はひとりで静かに笑っている。苔がすくすくと育っている。
動かないからくり時計が置かれている小さな店のカウンターには苔の生えた観葉植物が据えられている。苔がすくすくと育っている。誰もそれを知らない。