【携帯のムコウに】没ネタ
※没ネタです。
就寝前、未海が俺に告げた一言、『おやすみ』。まさか、それが俺と未海と対面で交わす最後の会話になるとは、この時は思いもしなかった。
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『パチパチパチパチ』
目覚まし時計のアラーム音かと、俺はまだ眠っている脳を叩き起こし、音のする方へと手を伸ばした。暖房と言うより熱湯がかかったかのような熱さを手のひらに感じ、反対側へ跳ね起きる。
「ん……、なんだ……?」
俺は、あまり視力がよろしい方ではない。だが、目の前に立ち上っているオレンジ色が何を意味するのか、視神経の電気信号が脳に伝わり、『炎』という真実となって視界に表れた。
「おい……、炎……。火事か……?」
そこで、俺ははっきりと目が覚めた。
「……未海!」
俺の目の前の炎は、未海が寝ている寝室へと続く扉への行く手を閉ざしている。既に炎は天井にまで達していた。
(消火器は!?)
俺は、貸借時に渡された部屋一覧と避難経路が記載されているボードをソファの下から取り出した。消火器の場所もそこに書いてある。ボードによると、俺が今現在居る部屋に一基設置してあるようだった。
(あった、消火器……)
消火器の使用手順は防災訓練等で練習している。俺は迷わず、消火器の安全ピンを外してから未海が居るはずである寝室目掛けて、消火器を噴射した。はずだった。
「!?」
発射口から、ガスも水も粉末も、何一つとして噴射されなかったのだ。さかのぼってみると、手に取った時から妙に軽かった。空の消火器を設置することで防火基準逃れをしていたらしい。
(このくそったれがよ!)
いっそ、水を被って未海を救出しに行くべきか。いや、『行くべきか』ではない、行くのだ。俺がそう決断したことをあざ笑うかのように、天井の一部が剥がれ落ち、扉の前に突き刺さった。火の勢いは一層増し、俺の方にも僅かながらではあるが忍び寄ってきている。
「どうしたら未海を助けられる?」
強行突破は自身が大やけどを負っては共倒れになってしまうので決行できず、消火は手遅れ。消防を予防にも、ここは山奥の別荘である。そもそも消防車は乗り込めず、また位置を探すのだけに相応の時間が消費されるであろうことは明白だ。
『ガッターン!』
耐久出来なくなった天井の柱が、次々と落下してくる。
(……)
俺は、一つの人生の岐路に立たされていた。全てを投げ出してこの別荘から脱出するか、それとも死力を尽くして未海を脱出させるのか。後者は、物理的な危険が伴う。
そして、俺は荷物を全て別荘の外へと投げ出した。俺自身の分も、未海の分も全てだ。そして、俺自身も。
(俺は、未海を殺したんだな……。命が惜しかったんだ……)
俺は、命を失うのが怖かった。未海を失う事よりも、自らの意識が現世から消滅することを嫌ったのだ。
『プルルルルル』
俺の携帯電話の着信音が鳴ったのは、その時だった。
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『竜哉くん?』
それは間違いなく、未海の声だった。
『未海! 火事が起きてて……』
『それはもう、分かってるよ。部屋全体炎に包まれてる』
冷静なような悲観的な、青に染まった未海の一言一言が、深く心に刺さる。
『今、甘えちゃっていい? 竜哉くんに、全部……』
『もちろんだろ!』
俺は、二つ返事でOKを返す。
『……死にたくなんてない! こんなところで、独りぼっちで、熱くて……。死にたくないよ……』
偽りざる未海の本心であろう。
『私、助かるよね!? 絶対絶対、生きて家に戻って来れるよね!?』
悲痛な叫びに、俺の心はキリキリ締まった。血液の一滴一滴が搾り取られるような気がした。