ダンジョン案内人は待ち続ける。
「まいどー」
「おう、ビス坊。またよろしくな」
ゴツいピッケルを抱えた男から金を受け取る黒髪でそこそこ身長のある少年。彼の名前はアヌビス。この町ではビス坊と呼ばれて親しまれている。服装も動きやすい軽装備であるもののしっかりしていて金に困っているようには見えない。
この町、リコポリスにはダンジョンがあり、アヌビスはその案内人を仕事にしている。
少年が案内できると聞くと大したことのないダンジョンに思えるが、ここにあるのは世界最難関と言われるものだ。
ここは世界唯一のSランク冒険者オシリスが15年前から挑み続けている……とされている。
そして、アヌビスはそのオシリスが初めてこのダンジョンに潜った際に拾った子だった。
ダンジョンの第一層に捨てられていた赤子のアヌビスは偶然やってきたオシリスによって救出され、ギルドの庇護のもと、オシリスが親代わり兼師匠となって育てられた。
成長するにつれ、とんでもない身体能力を発揮していたアヌビスにオシリスの教えが加わり、実質Sランクのオシリス以上の実力を得たのだが、本人は登録可能な15歳になっても頑なに冒険者に登録することを拒んだ。
その理由はオシリスとの約束にあった。それまでは勧誘していたギルドもその話を聞いて以降、アヌビスを冒険者に勧誘することはなくなった。というよりむしろ諦めさせようとしている。
そう、アヌビスは冒険者になりたくないわけではなかった。
そして、今日もアヌビスは定位置となったギルドの一角で客を待つ。
ここ、冒険者ギルドでは冒険者だけでなく依頼人もやってくる。先程のピッケルを持った男もその依頼人の一人だ。
先程の男の依頼はダンジョンの鉱物が採れる場所への案内だ。戦闘能力はないので安全ルートで、という指定だったが、毎日のようにダンジョンに入っているアヌビスには簡単な仕事だった。
アヌビスはモンスターの配置、出現タイミングを全て把握している。それでももし運悪く遭遇したとしても別料金で対応する、という約束なのだ。
それでいて案内のみならば護衛に冒険者を雇うよりも遥かに安く上がる。
この町の住人でダンジョンの素材が必要になったとき、冒険者を頼る者は少ない。モンスターの素材が必要なときくらいだ。
ちなみにそれもアヌビスに頼る方が確実なのだが、それでは冒険者が食いっぱぐれてしまう。そもそもアヌビスは冒険者ではないので討伐の依頼を受けることはギルドが許していない。
持ちつ持たれつといった感じで住人や常連の冒険者とはうまくいっていた。
問題は新規の冒険者である。
「はぁ!? 案内人をつけろですって!?」
「おいおい、俺たちはAランクパーティ『万能』だぞ!」
カウンターで五人組がダンジョン進入の許可を取ろうと受付をしていたが、受付の男の提案に食い付いているようだ。
特に騒いでいるのは黒いローブに身を包んだマジシャンの女と軽装備で茶髪短髪のシーフの男。腕を組んでいる様子から恋人同士なのだろう。
「まぁまぁ、お話をちゃんと聞いてからよ」
「そうだな。最難関と言われるダンジョンなんだ。あの伝説のオシリスさんですら未だ挑み続けてるって話だからな」
また腕を組んだ二人組が宥める。白いローブのフードから長い銀髪が出ているヒーラーの女と豪華な鎧の剣士の男の美男美女コンビだ。なぜ冒険者などやっているのか疑問が湧くレベルの顔の良さ。受付の男の表情も複雑そうだ。
そして、その後ろに一人。荷物持ちだ。ほとんど普通の服だが、相当脚に自信がありそうだ。残念ながら彼には相方はいないようだが、いつものことのように眺めている。彼の雰囲気から彼らがただの恋愛馬鹿パーティではないとわかるほどだ。
「案内人はそのオシリスさんが初めてダンジョンに入った時からの相棒だ」
受付の言葉に「おおっ」と声を上げて顔を見合わせる五人。
「よろしくー」
アヌビスがユルく挨拶をすると、歓喜の表情だった五人が一気に疑惑の視線を投げかける。
「おにーさんたちはどう進むの? 戦いたい? 楽に下に行きたい? あとボクの戦闘参加は別料金だよー」
それでもアヌビスは気にせずいつもの調子で契約を確認する。軽いノリだが、これは契約なのだ。
「ったく、楽に下にでいい。本当に楽にいけるならな。俺達の戦闘にこんな子供の助けなんていらねーよ」
イケメン剣士は金髪のツンツン頭を掻きながら答える。
「わかった! ボクはいつでもいけるよー」
アヌビスがそう答えると、揃ってギルドを出て行く。
「ギルドマスター、本当のこと言わなくて良かったんですかー?」
受付をしていた男に声を掛ける別の受付嬢。どうやら男はギルドマスターだったらしい。
「オシリスの相棒がここにいるっていうのに何も気付かない連中だ。ほっとけ」
「またそんなことを……彼らも一応Aランクなんですよ?」
「だったら無事に帰って来れるよう祈ってやれ」
「あーあ、貴重なAランクがぁ……せめてちゃんとビス君の言うこと聞きますように!」
受付嬢は手を合わせて祈る。
「全く……死にたがりの馬鹿ばっかりだ」
ここにあるのはSランクのオシリスでも攻略できなかった世界最難関のダンジョンなのだ。
世間的には攻略中ということになってはいるが、それを踏まえても挑む者が絶えない。その命のほとんどが絶えているというのに。
「もうすぐ三層への階段だよー」
アヌビスが無邪気に案内している。ここまで簡単に倒せるモンスターとの遭遇しかない。それも第二層が終わりそうだというのにまだ二度しか戦闘していない。
ひと階層に一匹は、どうしても強敵を避けたルートに比較的弱いモンスターがいる、というだけなのだが。
「なんだ、よゆーじゃん」
マジシャンの女が気を抜く。
「そうだねー。少し休もっか」
ヒーラーの女も同意して腰を下ろそうと壁に近づく。
「あ、その辺ほとんど罠だから近づいたら危ないよー」
軽いノリそのままで警告する。
「ここまで何もなかったじゃない」
ヒーラーは無視して壁に手をつく。
「え?」
その瞬間、壁から鎌のような刃が飛び出し、ヒーラーの身体は頭と上半身、下半身の三つに分かれ、地面に落ちる。
「い、いやぁぁああああーー!!」
「うわぁぁああああーー!!」
マジシャンとシーフが同時に叫ぶ。
「あー、だから危ないって言ったのに。みんなそう言うと死んじゃうんだけど、言わない方がいいのかなぁ?」
アヌビスは淡々と何も言わない剣士に問いかける。
「お前……あいつが死んだのに何言ってやがる……!」
剣士は綺麗な顔のまま髪の短くなったヒーラーの頭部を見つめながら肩を震わせ、怒りを露わにする。
「え? だってここはダンジョンだよ? 一瞬の油断が命取り、って知らないの?」
それはオシリスの教えだった。ダンジョンでは決して気を抜いてはいけないと。
油断すれば死ぬ。それはアヌビスにはただの常識でしかなかった。だから、目の前で誰が死のうと動じることはない。
アヌビスにとってオシリスの教えだけが全てなのだから。
惜しむらくはオシリスから人の命の重さというものを教わらなかったことだろうか。
「ふ……ふざけるなぁ!!」
剣士が剣を構える。
「うん、気をつけてね。今いっぱい叫んだからモンスターが集まってくるよ」
自分に刃を向けられても警告を忘れない。案内人としての仕事だからだ。
「み、みんな! はやく逃げないと――」
モンスターの接近に気付いた荷物持ちが叫ぶと同時に巨大なトカゲのようなモンスターが彼に襲い掛かった。
荷物持ちの上半身は背負っていた食料などの入った荷物袋ごとトカゲに喰いちぎられ、胃袋の中に消えていった。
「う、うわぁー!!」
マジシャンがトカゲに向けて杖を構え、魔法を発動させようとする。
「そいつに魔法は効かないよー」
「紅蓮の炎に焼かれよ! 『ファイアストーム』!」
アヌビスの言葉を無視して炎を放つ。
「どう? これでも魔法なら誰にも負けないんだから!」
胸を張ってドヤ顔を決めるマジシャンに炎の中からトカゲの尻尾が襲い掛かる。
「へぶっ!」
顔面に直撃し、その頭蓋骨ごと粉砕され、脳漿が飛び散る。
「あ……あ……」
マジシャンの死に動揺するシーフに狙いを定めるトカゲ。
「ち、ちくしょう! よくも!!」
気合いを入れた瞬間、横っ腹を何かが通り過ぎる。
「あ……? え?」
それはカマキリのようなモンスターだった。その腕にシーフの身体は上下に分断され地面にずり落ちる。
そして倒れた下半身を貪るカマキリ。
「お、俺の足……やめろ……!」
無駄とわかりつつも自分の足に食い付くカマキリを短剣で払おうとするが、上半身だけになった今、それは虚しく空振るだけだった。
そしてその残った上半身にも今度はネズミのモンスターが群がり始める。
「ぐっ、ぎゃぁぁあああ!!」
生きたまま身体を貪られ、遂には発狂し、彼の命は途絶えた。
そして、その様子を何も出来ずに見ていた剣士。見捨てたわけではない。
彼にはそのすぐそばでこちらを狙っている鷹のようなモンスターが見えていたからだ。
一瞬の油断が命取り。それをようやく理解した彼だけが辛うじて生き残ったのだった。とはいえ、このままでは自分も殺されてしまうことも理解している。
「おい、お前もこのまま死にたくないだろ? 手伝え!」
子供とはいえ、的確なアドバイスを出していたアヌビスをようやく頼りにしようとするが……。
「え? ボクは参加しないよ? そういう約束だもん」
剣士は知らない。アヌビスが一人でこの状況を脱することができることを。
アヌビスは知らない。死に瀕した者を助けなければという感情を。
それはオシリスの最期のせいでもあった。
☆☆☆☆☆
約五年前、オシリスはそれまで訓練と称して何度もアヌビスをダンジョンに連れて行っていたが、その日からは本格的な攻略として潜っていた。
オシリスは強かった。更にその長くサラサラな黒髪を靡かせて剣を振るう様は美しいとさえ思えた。
そして彼の紅い眼から鋭い眼光を放つと、モンスターさえも怯むほどだった。
第五層。ずっと浅い階層でアヌビスの訓練していたオシリスにとっても初めての階層であった。
そこでオシリスは致命的なダメージを受けてしまう。
「マジかよ。俺でもここが限界とはな。はは……全く……すげーよここは」
死にかけているとは思えないほど口を突くのは満足げな言葉だった。
「その怪我じゃ進むのは無理だね。上に運ぼうか?」
既にオシリスを超えていたアヌビスは、オシリスにそのダメージを与えたモンスターすらあっさりと倒してしまった。
本当ならアヌビスは手出ししないはずだったのだが……。
「なんだよ、倒しちまったのか……。手を出さない約束だろ? 約束は守れよ……」
「うん……」
「それに、俺は上に戻りたくはない。冒険者なんだからどうせ死ぬなら上よりここがいい」
「そうなの?」
「ああ。冒険者なんて碌でもないだろ? だからお前は冒険者になるんじゃないぞ」
「えー、ボクはオシリスみたいになりたいよ」
「やめとけって。そうだなぁ……じゃあ、この剣をここの最下層に刺してこい。どこまで続くかわからんが、お前ならいつか行けるだろ? まぁ、このままそこまで行っちまいそうだけどな。それで、お前以外にその剣を手に入れられるやつが現れたらそいつと一緒に冒険者として生きることを許す」
「いいの?」
「ああ、約束だ。もう破るなよ?」
「わかった!」
「よし、行け!」
数日後、アヌビスはそのまま潜り続けていて、最下層――十層にオシリスの剣を突き立てた。
「約束……守るよ。オシリス」
それから同じ時間をかけてオシリスと別れたところに戻ると、オシリスの姿はなく、装備品だけが残されていた。
これもオシリスから教わっていたことだ。ダンジョンでは死体はダンジョンに喰われる。モンスターでも同じで、素材が必要ならそこで剥ぎ取り、肉を食うならその場で焼いて食べるのが鉄則だ。
そして、残された装備品はギルドで買い取る。建前上は遺品の回収への謝礼だ。
アヌビスもオシリスの遺品をギルドに渡し、オシリスとの約束――遺言を伝えた。
それにより、リコポリスの町ではオシリスの死は知られたが、対外的には隠されることとなった。元々オシリスがギルドマスターにも遺言を残していたらしい。
その遺言に従い、「このダンジョンは帰還を繰り返して攻略できる深さではなく、オシリスは篭ることになった」と公表された。
実際には僅か十層しかないのだが、それを知るのはギルド職員とアヌビスだけとなった。
☆☆☆☆☆
「またみんな死んじゃった。装備持って帰るの大変なんだけどなぁ」
Aランクパーティ『万能』が全滅したあと、集まったモンスターを一掃し、ため息をつきながら装備品を集めるアヌビス。
オシリスを失ってから何度も最下層まで降りてルート確認をしていたアヌビスは比較的安全に最下層まで案内することができる。
しかし、どれだけ安全なルートでも罠やモンスターとの戦闘はある。そして誰一人オシリスが自力で下りた第五層にすらついて来れた者はいなかった。
ギルドに戻ってきたアヌビスから装備品を受け取り、謝礼金を渡すギルドマスター。
「ビス坊、いい加減諦めねぇか? いくら待っても最下層までいけるやつなんて出てこないぞ?」
ギルドマスターは理解している。オシリスの最期の約束は絶対にそれを成す者が現れない――アヌビスを普通に生きさせる為のものだと。
それを破って一人で冒険者になっても間違いなく孤立する、ということも。
「ううん、オシリスとの約束だから! ボクも絶対に約束は破らないって決めたんだ!」
オシリスからは諦めるということは教わっていない。オシリスは冒険者として生き、冒険者として死んだ。そこに諦めはなかった。
それにオシリスも諦めろとは言わなかった(と思っている)。
だからアヌビスも諦めない。
いつか一緒に冒険できる者が現れると信じてアヌビスは待ち続ける――。
お読みいただきありがとうございます。
戦犯オシリス。(これが言いたかっただけまである)
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