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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

旧体育倉庫の大蛇

作者:

 この学校の旧体育倉庫には、人喰いの大蛇が棲んでいるという噂がある。

 その昔、人里に下りてきた巨大な蛇が村人を襲い、次々に喰い殺した事件があったのだとか。被害を広げないためにも、村人たちは大蛇に立ち向かい、退治することに成功した。だが、蛇は恐れ退治すべき対象であると同時に、神の使いという神性をも併せ持つ存在。そこで人々はせめてもと、鎮魂のための場を作り、祈っていたそうだ。

 おそらく、これが全ての土台となる話。噂というものは、伝わる人や伝える人の手によって様々な変化を遂げていく。現在だって、あらゆる尾ひれがついた話を耳にすることが多いのだ。例えば、鎮魂の祈りなど無意味であり、あの大蛇は今も尚人間を赦さないと、あの旧体育倉庫で待ち構えているだとか、あの村や鎮魂の場に建てられたのがこの学校や旧体育倉庫であり、開拓の際、何もかも崩された影響で、鎮められていた大蛇の魂が外に出てきてしまい、強すぎる怨恨の念が人間を殺すのだとか。

 とまあ、両極端でも結局、自身を退治した人間を赦さないとする話ばかりである。根も葉もない、好き勝手に物語を編むような噂話だが、これだけの材料が揃っていれば仕方のないことなのかもしれない。


 確かに長い歴史の中で、この旧体育倉庫がまだ体育倉庫として使われていた当時からも、中に入るだけで気分が悪くなるだとか、よくある肝試しという名目で夜に侵入した生徒が、翌日に気絶した状態で発見されたり、或いは消息不明になっていたりするなど。とにかく、ここだけは必要時以外の立ち入りを制限したくなる程の、いわくつきな場所なのだ。

 それでも、臨時のためにと保管してある用具入れとして現役である以上、使用を禁止されているなんてことはないし、古い木造の建屋の扉には、頼りない錆びた南京錠がかけられているだけであり、誰でも侵入は容易い。そのため、面白半分で立ち入る生徒も多い他、異常が起きたという報告も出てくるのだ。

 改築や増築などで“旧”とつく建物が解体されることもなく放置されていることも含め、よくある学校の七不思議として、そんな噂があってもおかしくはない。ただ、この噂にだけは異質な雰囲気と魅力がある。


 そんなこんなで、私もクラスの中で所属しているグループの子たちに引きずられるようにして、この旧体育倉庫の目の前まで連れてこられていた。

 部活動を終えた生徒たちが帰路に就き始め、残るは片付けに追われる一部の生徒や教師のみとなった時間。裏手の離れた場所にあるこの旧体育倉庫になど、あえて近寄らない限り、こんな時間になど好んで訪れる輩なんかいない。ということで、今ここにはくすくすと愉しみに笑う三人の声があり、私を含め四人がいることになる。

 ああ、確かに。日が落ちかけている暗がりに加え、人気のないこんな場所に数人はいるとしても、この雰囲気では若干気分が害されてしまう、ような。


「ふぅん、やっぱり鍵ちゃんとかかってないんだ」


 何の感慨も湧いていないような声に引き戻される。一人が戸口まで行ったかと思えば、錆びた南京錠をいじり、外してしまったらしい。振り向いたその手の中には、頼りなく錆びた南京錠が転がっていた。

 そうして、意味深な微笑みを私に向けてくる。


「ね、あんたちょっと入ってみなよ」


 堪えきれていない、恐ろしく綺麗な愉悦の笑み。目は三日月形に歪み、嫌に吊り上がった口元。それが三人分と、拒否権などまるでないと言わんばかりの、喉を鳴らす含み笑い。

 私の喉なんか枯れてしまったようだ。それでも何とか。


「わ、私……が……」

「そ、ちょおっと入ってくれるだけでいいからさ」


 場の雰囲気にやられているかもしれないという気分の悪さに加え、追い打ちをかけてくる笑顔と声。けれど、どこかで分かってはいた。この役目は私なんだろう、と。分かっていて諦めたのなら、話も行動も早かった。

 私はゆっくりと、足元の砂を踏みしめながら一歩ずつ進み出す。嫌味なほど嘲笑う取り巻きと、南京錠を持つ一人の先、ただ木造の戸口を目指した。嫌な声も表情もすり抜けるように、心を切り離して、ただ戸口の前に立つ。

 ふと、引き戸へと伸ばした手が止まった。ひどい心音に緊張で、指先は小さく震えている。きっと、無意識にでもこの先に起こりうることを理解しているから、こんなにも恐怖感が募ってくるのだ。そうに違いない。だから、深く深く、息を吐いた。


「大丈夫だって、何も起こるわけないんだから!」


 ああ、そうだね。きっと何も起こらないよ。何かを起こそうとしない限りはね。

 相変わらずな嘲笑を聞き流しながら、止まっていた手をかけ、戸を開ける。敷居に溜まった砂のせいで、ごろごろと引く感覚は悪いが、案外建てつけは悪くないようで、一人くらいが通れそうな空間はすんなりとできた。

 全く開けていないわけでもないのに、中からは乾いた砂の匂いや古い物ならではのかび臭さが、動いた空気と共に外へと出てくる。若干湿り気のある匂いになるのだけれど、不思議と嫌だと思わないのは何故だろうか。私はまた足を進め、床板のきしむ旧体育倉庫内へと入る。

 まず目に入ってきたのは、染みの目立つくたびれた高跳び用の大きなマット。他には立てかけられたポールや、汚れだらけのボール、壊れかけたハードルなんかもある。物置としても兼用になってしまっているのか、カラーコーンやバケツ、大小のスコップなども雑多に押し込められていた。

 見れば見るほど、本当にただ物置のような体育倉庫に見えるだけだが──。


「ねぇ、どう? 何か変わったものとかあっ、た!」

「っ!?」


 無邪気な声とは裏腹に、故意で悪意の塊でしかない衝撃が背中を襲う。どこかで予想できていながら、それでいてあまりに唐突な衝撃に、用具の中に突っ込まないようにと足を踏ん張るだけで精一杯だった。混乱に焦る心臓、一時の恐怖に冷や汗が噴き出る中、倉庫から出ようと振り向いた時にはもう、遅かった。

 閉じられる戸口に狭まり行く外の風景がやけに緩慢に見え、伸ばした手は完全に閉ざされた戸口を叩くだけになってしまう。渾身の力を込めれば倒し開けられそうな、古い木の扉一枚を隔てた向こう側からは愉快に、しかし嘲笑うような声が広がっている。

 ──ああ、閉じ込められた。どうせこんなことだろうと分かっていたのに。


「狭い方が探しやすいんじゃない?」


 いわくつきの場所に閉じ込められた、という焦燥から扉を叩いてしまうが、これは引き戸だった。鍵自体は頼りなく脆そうでも、かけられているとするならどうせ開けられない。

 外からの嗤い声をどこか遠いところで聞きながら、私は震える息を長々と吐いて気分を落ち着ける。それから叩きつけたままの手も、静かに下ろす。重ねて外からの声も聞かないようにと、意識した矢先だった。

 ──明らかにバケツを掠り蹴ってしまったような音がしたのは。


「……ぇ」


 一度、跳ねた心臓が酷く苦しかった。だってここには、人一人さえ隠れる場所なんかないはずなのに、自然には出るはずもない音がしたのだ。私は声も絞り出せないまま、背後を振り向いて息を殺した。

 何でもないはずなのに、言いようのない恐怖に竦み上がり、勝手に息も上がってくるような。


「ちょっと~、どうしたの? 怖くて動けなくなっちゃった?」


 違う。

 ああでも、怖くて動けない、という点だけは当たっている。本当に何かが、蛇が、ここを這いずり回っているように感じるから、酷く恐怖を覚えているんだ。──そう、恐い。

 外は相変わらず、静かになったことに対しての愉快に湧いているけれど、こっちはそれに構っていられるほどの余裕なんかない。


「ねーえ、気絶なんかしてないでしょ~?」


 戸を叩いてくるあたり、若干の配慮はしているのだろうか。声は変わらず面白がっているそれだけど。

 もう、発せられる言葉の意味を理解する思考なんて残されていなかった。私は今、ここに在るのか無いのか、それだけを感じ取るだけにしか神経を向けられない。

 姿は見えない、けれど擦るように何かが蠢いているのが、僅かに動く空気から分かるような。今度は移動しているようで、くたびれたマットの裏に潜んでいるのだろうか。それなのに私は何を思ったか、軋む床を踏みしめ手を伸ばし、マットを確かめようとした、その時──黒い影が飛び出し、すぐ横を過ぎ去っていった。


「──え……っ、あ……?」


 一瞬、だった。あまりの驚愕に声もなく倒され尻餅をついてしまい、顔のすぐ横を過ぎ去っていった影を追うように、私は背後にある戸口に目を向ける。この瞬間でも、慌ただしい音は聞こえてはいたのだ。乱暴に戸がこじ開けられ、ご丁寧にも同じく力任せに閉じられる音が。その反動で跳ね返っている戸の隙間。そして向こうで響き渡っている、恐怖の悲鳴。

 どこか現実離れしていて、自分には関係ない、遠い場所で物事が起こっている感覚。なのに息が苦しいし、動けない。そうしているうちに、やがて鮮明な音の情報が耳に入ってくる。


 途切れたように静まる悲鳴、襲い来るは耳を塞ぎたくなるような、粘着質に砕く音。

 ばきり、ばきりと、分かりきっている“何か”を砕く音に加え、湿気を含んで余りある地面を這いずり、たまに叩きつけるように響く粘着質な音。蛇が骨ごと獲物を絞め、溢れた血が滴る地面を這いずり回る音。

 ──ここから出たら、死ぬ。

 心音だけが全身を支配している今でも、それだけは理解できた。だが、だが何故、襲いやすい格好の餌食が目の前にいたというのに、“彼”は態々戸を開けてまで外にいた彼女たちを襲ったのだろうか。数が多ければ多いほど良し、ということか。


 そんな冷静になりたいがための推測も、じわじわと未知の恐怖と緊張により侵食されていく。

 私は今、どうしたらいいのか。どうすればいいのか。外に出たら確実に殺されてしまう、が、外の様子を確かめないわけにもいかないような。本当に、これは現実に起こっていることなのかと。

 なけなしの勇気を振り絞って震える手を伸ばし、扉に手をかけ隙間から少しずつ、外で起きている事態を探ろうと。しかし、こんな状態では戸を開けるだけで音を立てることになり、間違いなく標的にされる。けれど、震えるままの手はどうにも止まらないし、緊張で更に荒くなる息遣いも、これからしようと考えていることを思えば、平静になど戻せない。

 それでも、と。私は細心の注意を払いながら戸を開けにかかる。震えたままの手で、砂の積もる敷居の上を転がしていくのだから、音など簡単に鳴ってしまうわけで。その小さな音さえ大きいと感じながら、ようやく外の様子を探れるほどの隙間を確保することには成功した。

 す、と深呼吸をして、何が見えても慌てない覚悟を決めて。私は覗き見でもするように、開けた隙間から外の様子を窺う。


 地面に点々と落ちている血痕が見えた。今すぐにでも引っ込んで深呼吸をしたい気持ちを抑え、更に先の光景にまで手を伸ばす。血液が付着した手が投げ出され、靴下越しにでも分かるくらいに妙な方向に折れ曲がった足。もちろんのこと、周囲の地面は砂に血が染み込み、真っ赤というよりは赤黒く染まっている。手と足ときて、次を覚悟しながら覗いた先、蠢く大蛇の太い腹が垣間見えた。

 ただの噂話だと、よくある七不思議のひとつだろうと、本物であるはずがないのに、確かにそこに存在している脅威。思わず息をのんで下がってしまった。一気に乱れた呼吸を、口を覆いながら整える。過呼吸でも起こしてしまいそうだと、しかし意識して大きく息を吐きだすように、落ち着ける。

 そうしてもう一度と、覗いた時──大蛇が、こちらを向いた。


 思いきり空気を吸い込んで、喉が鳴る。まるで蛙のようだと、私は蛇に睨まれた蛙だと、思ってしまった。足が地面に張り付いたように動かない。だが膝は情けなく震え、喉は悲鳴の一つも上げられないまま固まってしまった。もう逃げられない、既に捕らえられてしまった、そうとも思った。──きっと私も、あんな風にただの肉片になってしまうと。

 大蛇の頭がゆらりと、べったりと赤黒い血液や肉片が付着した長い身体を揺らめかせ、今度の獲物は私だと狙いを定めてくる。

 ──ああ、もうだめだ。私はこのまま、捻られ砕かれ、喰われてしまうんだ。

 僅かな戸の隙間に身体をねじ込むように、大蛇が飛びかかってくる。開かれた大きな口から覗いた鋭い牙が迫ってくる。覚悟をする間もなく、私は身を守る反射で目を瞑り、せめてもと顔の前で腕を交差させるしかない。

 また後ろに倒れたのは確かで。しかし意識は暗転してしまい、そこからの記憶がなかった。




 文字通り、目が覚めたら病院だった。連絡もなしに、いつまでも帰らない私を心配した両親が警察に届け出、あの旧体育倉庫で気絶したままの状態で発見されたらしい。もちろん私の前に、人の所業とは思えない変死体も発見されることになるわけで。事実、その一部始終を見聞きした私は、落ち着いた頃合いで事情聴取を受けることにもなった。到底信じられるわけもない話。それでも、確かにこの目で見てしまった話。そして、ただの噂話かと思われていた過去の事件は、明確に伝えることはできないが、なかったとは言いきれないとのことで、このことは秘密裏に処理されるらしい。

 私としては実際、病院で目覚めてから簡単な検査を終え、事情聴取を受けた後、日常生活に戻るまでの流れは、頭に靄がかかったみたいにぼんやりとして、あまり覚えていなかった。体験してしまったにも関わらず、現実離れしすぎていて、自分自身では報告として相手に話しはするものの、うまく噛み砕き飲み込めてはいないということだ。

 それからあの同級生たちには花が手向けられ、一時の噂話も収束してきた現在。やっと、元の生活に戻ってこられた、と思いたかった。しかし、まだ私はあの日、あの時間、あの場所の、あの瞬間の中にいる。だって、だって今も、私の耳からは、あの地面を這いずる音が離れてくれないのだから。

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