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師走野(シワスノ)

作者: きのめ

※マッサージ小説じゃありません。

自己満100です。

二年くらい前からちょっとづつ書いてて、やっとできたので記録に近い感覚で載せます。

(a)


雪原を歩いていた。


風はなく、空は雲間から少しだけ青空が見えている。


一面の雪景色なのに、セピア色のフィルムを眺めるような感覚に近い、古めかしい景色を眺めているのだ。


一本だけ黒く浮かび上がる柿の木の下に、おはしょりを来た女が立っている。



美人ではないが、健康そうだ。年はまだ、20にも満たないだろう。

その女が嬉しそうに立ち止まった私に呼び掛ける。

すると、私の隣にいた、私のような男が彼女に駆け寄った。


二人は手を互いに取り合うと、何が面白いのか額をあわせて笑っている。


極寒のこの世界の、幸せな光景だった。








(b)


母が体を壊してしばらくたった。

母は難しい性格で、笑っている顔よりも口を引き結んだ、難しい顔をしていた時の方をよく覚えている。


感情があまり見えず、私が幼い頃より、私にたいしてもあまり興味がなかったように見えていた。


育ててもらって感謝はしている。

だが、家を出てしばらく、私と母は疎遠になった。

連絡もひとつも、お互いに寄越さない日が続いた。似た者親子と言われればそれまでだが、こんなものかと思っていれば生活に支障もなかったのだ。


そんな母が体調不良だと、これまた疎遠の叔母から連絡が来た。


父は早くに亡くなっていたので、これも縁と30年勤めた仕事をやめた。


幸い貯蓄はあったので、実家の近くで在宅の仕事をすることにした。


正直あの母と二人で暮らすのは気が滅入ったが、お互い淡白な性質、争いも起こるまいと思い、決断はあっさりしたものだった。











(a)


雪原は野原になった。

雪に隠されていた散らかった畦道が、次々顔を出し、ぬかるんだ土が足を絡めとる。

空は曇りがちの水色で、肌寒い。


女は今日は仕立ての良い着物を着ていた。

それよりも目を引くのが女が大切そうに抱えている腹部。彼女は身重なのだ。


それを、私に似た男が不安そうな、焦りにもにた顔で手を取り寄り添っている。

対して、女は何でもない顔だ。

私にも覚えがある。身重の本人よりも、それの連れの方が、どうしたらいいのかわからないのだ。

ぬかるみに差し掛かり、男があわてて女を引き留めた。

男は暫し考え、迷わずその首に巻いていた襟巻きを畳んでぬかるみにおいた。


女は驚いて、男に何かをいったが、やがて諦めて歩を進めた。

こういう時、男と言うものは本当に馬鹿であるが、同時に相当に女に惚れているのだろうと言うのが伺えた。

私も、何らやいたたまれないような、はたまたいつまでも見ていたいような摩訶不思議な気持ちになってしまったのである。












(b)


実家で私を迎えた母は、いかにも不健康そう、とまではいかない出で立ちであった。肉付きも悪くなく、食べてるか、と聞けば、ちゃんと食べてるよ、と返ってきた。

しかし、数段小さくなったようで、ふわふわの靴下などはき、ゆっくり歩く様は、あの頃の丈夫な母の面影をたちまちかき消してしまった。


居間のこたつにちょん、と収まった母に続き、私もこたつに入る。


母はかごのミカンをひとつ取りだし、私に寄越すと、それきり押し黙った。

私もミカンを受け取りそれを剥く。割って、ひとふさ口に放り、噛み潰す。

思ったよりもずっと甘かった。



テレビではワイドショーがやっている。

それ以外は静かだ。

私は母の顔を見ながら、母の次の言葉を待った。


母はミカンから顔をあげると一言、どうした、と言った。


その瞬間だった。


自分でも不思議だが、身体中の血が沸騰するかと思った。


私は席をたち、トイレ、と言い残して居間を出た。


廊下を歩きながら、沸き上がる考えが止められなかった。


知らず知らず、母に期待していた。

母なら、母なら他にもっと何かあるんじゃないのか。久しぶりの息子に、聞きたいことや話したいこと、たくさんあるんじゃないのか。

それを、どうした、だけ。


家にたどり着いたとき、不安と期待で一杯だった。何を話そうか、こう言われたらこう返そう、などと、目を閉じるたび考えた。


私は立ち止まり、気づいた。

淡泊だと思っていただけだった。


私は母に愛されたかったのだ。










(a)


青空の下の菜の花畑は、筆舌に尽くしがたい。

その中で、いくつかを手折って、腰を下ろしているのは、おそらく少し、いやかなりの贅沢でいて悪いことである。



腰をおろした女の膝に、あの男が頭をのせて寝そべっている。

そのそばで、手折った花をいじくっているのが、その子供だろう。


仲睦まじく、微笑ましい光景のはずだが、どうしたことか、女が泣いていた。

それを複雑そうに見つめる男は、ぐっと何かを堪えているような顔をしている。


その横で、子供が無邪気に花を不器用に繋げ、母親に渡した。父親にも渡し、さらに作ってこようと振り返ったとたん、勢い余って転んでしまう。

火がついたように泣き出した子供を見て、男はすぐに起き上がって抱き上げた。


怪我がないかよく見てから、よしよしと背中を優しく叩いて揺らしてやる。


子供は泣き止まなかったが、子供が男の襟ぐりを強く掴んで離さないのを、女はいつまでも見つめていた。











(b)


用もない厠を出てから、なんとなく母のもとに戻るのが気まずかった私は、渡り廊下から自宅の唯一日当たりのよい庭に降りることにした。


ガラス一枚隔てた向こうは風もなく暖かそうに見えたが、真冬の空気にすぐに耐えきれなくなる。


ふっ、と息をはいて、それが白くなるのを5回ほど数えて、何をするでもなく踵を返した。冷たい廊下に戻ると、陽の光を浴びた埃がキラキラと舞い、窓を閉めれば冷気に沿って、陽の当たらない影へと瞬きながら吸い込まれていった。



見覚えのある光景だと思い、はて、と思い直す。それはどこだったか、いつだったか。それは心地よい記憶につながるような気がして、じっと息を殺し考えを巡らせる。だがそうすればそうするほど、それは遠くにいくような感覚がして、やがて予想通り、遂には全く見えなくなってしまった。











(a)


窓を開け放ち、初夏の陽気に汗ばんだ額を拭い陽の眩しさに目を細めている。


女の出で立ちはまさに大掃除のそれで、右手に持ったはたきが忙しく鴨居の埃を落としている。


傍らでは、だいぶ大きくなった子どもが廊下に寝転がりながら、蚊取り線香の煙をやたらと真面目くさった表情で延々と弄んでいる。



時たま外へ追い出されていく埃を目で追って、手を伸ばして捕まえようとしているようだ。



女は子供を心配してだろう、埃を吸わないように子供を追い払おうとするが、子供はというと新しい遊びを思い付いたようで母親の足にまとわりついて離れない。


暫くまんじりともしない攻防が続いていたが、女はやがて少し意地悪く笑うと、はたきを放り出して子供の脇へと両手を差し込んだ。



とたんに子供の笑い声があがり、逃げ出した子供を、今度は女が追いかける。

子供はタガが外れたように笑いながら、女が追いかけてくることをしばしば確認して立ち止まり、逃げてを繰り返す。そしてついに捕まってしまうと、堪えきれない笑いを両手で隠しながら、両足をじたばたさせた。



女はくふくふ笑う我が子を抱き上げ、その熱いくらいの体温を、何度も何度もいとおしげに撫でていた。









(b)


母の再婚話が持ち上がったのは、私が小学校に上がった頃だったように思う。

知らない男の人が私を可愛がってくれたのを覚えていて、それに機嫌悪く応える私を、母はどんな風に思っていただろうか。

いつの間にか再婚の話は無くなっていて、同時に生活が苦しくなったと思う。それがなんだか自分のせいのように思えて、母に嫌われたかを確かめたくて、つれない態度をわざととったりした。



きっと、今思えば母も仕事に子守りと忙しかったのだろう。

満足に反応を返してくれない母に、私もいつしか母を試すようなことをやめ、今まで母にどう接していたかも忘れてしまった。


忘れてしまったのだ。










(a)


盆の空の高さは、月の夜こそ際立つように、薄くかかった雲がなおさら空を明るく照らしている。


カーテンを開けて、月明かりを部屋に取り込むと、明かりで部屋がいっぱいになる。


女が、小さな鏡台の前で化粧水を叩いている微かな音に、大きくなった子供はうとうとと目を覚ました。



みじろいだ子供に、女は視線を向け、ややあって近づいた。子供は狸寝入りを決め込んだようで、女の気配にじっと息を殺している。


女はそれに知ってか知らずか、一つ息をつくと化粧水の蓋を閉め、隣の居間へと立ち去った。残された化粧水の香りに、子供は女の去っていった先を少し見つめ、やがて再び目を閉じた。










(b)


母のいる部屋に戻ると、かごのみかんが増えていてワイドショーはニュース番組に変わっていた。


母はいつの間にか寝てしまったようで、静かに寝息をたてている。

真冬に、こたつで風邪をひかれてはかなわないので、起こそうとして躊躇った。

母に、また私に興味の無さそうな表情を向けられたら。指先が震えるほどに、恐ろしいと思った。


私は母を抱き上げると、用意されているふとんへ連れていった。

見た目通り、恐ろしく軽かった。

目を閉じた母を起こさないように、そっと布団に寝かせ、逃げるようにその場を離れた。










(a)


秋の夜長は、人を饒舌にさせるようで、女は目元のシワをいっそうほころばせて、白黒写真の前に置かれたグラスと、カチリと音をたてて手元のグラスをあわせた。



曰く、今日は特別な日だという。



ぽつりぽつりと、写真に話しかけて表情を綻ばせる。傍らにある贈り物だろう上等なマフラーを撫で、嬉しそうにグラスを傾ける様子は、ここ暫くの女からは、想像もつかない上機嫌ぶりだ。



やがて、女は上機嫌のまま写真の前に突っ伏して、寝息をたてはじめた。


このままでは風邪をひいてしまうだろう、立ち上がろうとしたとき、女の肩に羽織をかける両手が現れた。


あっけにとられていると、羽織の持ち主が振り向いて、驚いたことにこちらをみて、言った。



ーーーーこのマフラーを貰ってから、君は本当に頑張ったね。



ーーーーこの人の元に帰ってきてくれてありがとう。



ーーーーこの人と君は、僕の大切な




女が目を覚ましたとき、上等なマフラーが肩に掛けてあって、男はもうどこにもいなかった。






(a)


数日間実家で過ごして、その兆候は突然現れた。

朝目が覚めると、母が庭で私を呼んでいた。切羽詰まるように、何度も。

尋常ではない様子におどろいて母に駆け寄ると、母は私の胸に飛び込んできて、そして、父の名を呼んだ。



曰く、大事な私たちの息子が居なくなった、と。



母は私の手をとり、聞いたことのないようないような、はたまた昔何度も聞いたような、そしてずっと聞きたかったような、そんないとおしげに、私の名をはっきりと、呼んだ。



この時私は皮肉にも、父と母に深く愛されていたことを知ってしまったのだ。









(c)


私が白昼夢を見るようになったのは、母が認知症を患い、病室でとりとめのない話をするようになってからだ。



父や私との思い出を、同じ話を何度も何度も、まるで大切に砂糖菓子食べるように話すのを聞いているのは、今までのわだかまりを溶かすのには充分すぎた。



だからなおさら、この人が私を認識することはもう二度とない、ということがよりいっそう私を寂しくさせた時もあった。



だが、私は確かに知っていたのだ。

ずっと、長いこと忘れていて、伝えるには遅すぎたかもしれないけれど。



私は徒然語り続ける母の言葉に耳を傾け、その情景に思いを馳せた。



その始まりはいつでも、冬の野原のあの雪景色で、二人はいつまでもお互いの肩を、いとおしげに抱き合っているのだ。




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