路地裏の金平糖
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それは、母と私が喧嘩した日でした。私が、何の因果か、何時もの通学路ではなく、路地裏を通って行ったのも、何か意味があったのでしょう。その日は、心が軽い鬱状態で、とても、周りの素敵な人達とは一緒に居たくない様な状態でしたので、只々暗い所、誰も居ない所にいたかったのです。いえ、逃げたかった、と言う方が正しいかもしれません。
兎も角、私は、その路地裏に逃げ込みました。路地裏の闇と同化した学生鞄を、地面に下ろすと、やっと呼吸がし易くなり、そこで一旦一息ついた覚えがあります。暫く時が経ったのでしょう、少し早目の時間に家を出たつもりでしたが、通学路で笑っている女生徒達の声が聞こえ、私は狼狽えながら、鞄を手にとりました。その時、鞄の留め具が、僅かにあった日光に当たり、キラリと反射しました。
私は、その時、地面に何かが置いてある事に気付きました。反射の光で、少ししか見えなかったけれど、何か置物がある、と思い、そちらの方に、近づいてみました。手に取って、闇の中で目を凝らして見てみると、それは、小さな白い兎の置物だ、と気付きました。何かの台に置かれていたのでしょう、兎は路地裏にあったとは思えない位、美しい白色で、汚れ一つさえ見せていません。私は、その兎を元の位置に戻そうとしました。その時、コロン、と可愛い音がし、私の手に何かが落ちてきました。
小さな、可愛い、星の形をした金平糖。
一粒だけ、兎から出てきたのです。兎の置物には、穴があいていて、そこに入っていたのだと、気付きました。私は、その金平糖を見ると、どうしても食べたい、という念に狩られるようになりました。母は、中々その様なものを買ってくれないので、尚更、食べたくて仕方がなかったのです。とうとう、私は、手のひらの金平糖を、一粒、口の中にいれました。
途端に、甘い砂糖の優しい味が、口一杯に広がり、とても優しい気持ちになりました。私は、行きたくない学校にも、行こうと思い、路地裏から出ました。その勇気が、金平糖から出たと言うのは言うまでもありません。
学校から帰ってくると、母は、居ませんでした。昨日も、一昨日も、一昨々日も、その前も、母とは朝喧嘩したっきり、昼はずっと居ません。夜には帰ってくるのですが、お互いに口喧嘩をして、又は何も言わずに寝る、という状態が続いています。私の居場所は、家でもなく、家でも寂しく一人きりでした。
それから、登校時は、毎回路地裏を通るようになりました。闇が広がる中で、兎の置物を探し、そこから、金平糖を取り出し、食べる。その金平糖を食べている間は、何故か、寂しさが紛れ、寂しさで空いた穴に愛情が注がれるような、暖かい気持ちになりました。そして、私は、それに依存していったのです。
毎日、一粒の、金平糖。誰が置いているのか、兎の下には、毎日一粒、金平糖が置かれているのでした。味は、毎回、砂糖の優しい味でした。最初の方は、勿論知らない人の金平糖を食べるという罪悪感もありましたが、それも次第に慣れと化して、消えていきました。
私は、ある日、それでもその人の好意を忘れないように、と手紙を書きました。手紙、と言いつつも、紙切れに一言、「何時も金平糖ありがとうございます。」と書いたものでしたが。それを、兎の置物の下に置き、風で飛ばされないようにすると、私は、金平糖を味わいながら、路地裏から出ました。
すると、次の日には、また一粒の金平糖と共に、今度は小さな紙切れがありました。4つ折り位に畳まれていた、その紙を開いてみると、そこにはただ一言、「どういたしまして。」と書かれていました。私は、誰かが返事をしてくれるということに、つい嬉しくなってしまって、その日のうちに、また、紙切れに「私が、金平糖、食べていても良いんですか?」と書き、置いておきました。
そしたら、また次の日には、金平糖と紙切れがあって、そこに「貴方の為にあります。」と書かれているのです。私は、その言葉の意味を考えながら、「では、食べても良いのですね。」と書いたメモを置いて帰りました。
それから、メモ交換は続きました。書くことと言っても、只の会話位で、そこまで大したものではありません。ですが、そのメモから垣間見える、気遣いや暖かさを感じ、私は、メモ交換を続けたい、と思っていました。そして、そのメモを一つ一つ、大切に取って置きました。小さな千代紙で作った箱に、そのメモを毎日、一枚ずつ入れていきます。
「寒いので、暖かくして下さいね。」
「学校、頑張って下さいね。」
「一粒しかなくて、ごめんなさい。」
...毎回、毎回、私を気遣うような、文章を見る度に、暖かさを感じ取ります。誰が書いたのかは分かりませんが、私は、親しみを覚えました。
ある日、私は、母と大喧嘩をしました。今は無き父について。彼は、私が、うんと小さい頃に、一人で家から出ていってしまったのです。微かに覚えている記憶では、父と母は、私の両端で、幸せそうに笑っていて、何かを嬉しそうに囁いていました。3人で一緒に神社に行った時の記憶です。その後は、幸せがまるで雪崩の様に、音を立てて、崩れていきました。父はいなくなり、母は、朝早くから夜遅くまでずっと仕事。幼心にも、寂しさを感じていました。勿論、今もなお。
彼は、私達を捨てたのです。そう、母に言われ、私は、心の奥底で、ずっとそれを否定していたものです。否定しないと、自分の中の何かが、肯定されないような気がしてならなかったので。
「貴方の、誕生日の時に、父は貴方を、捨てたのです。丁度、一週間後の誕生日に。」
喧嘩のときに、母が怒り狂い、言った言葉が頭の中で、何回も反芻されます。私の一週間後の誕生日に、私達を捨てた父を、母は沢山罵りました。その度に、私の頭には仲の良かった二人が思い出されて、悲しかったです。
その喧嘩があって、私は、ますます誰かとメモ交換を続けよう、と思いました。母は、味方になってくれないので、余計に、私の味方になってくれるその方を、大切にしたかったのです。
誕生日の前の日、母は、私に少しばかりのお金をくれ、誕生日の贈り物は自分で選びなさい、と言いました。私は手のひらの中で、光輝いている幾つかの硬貨を見ると、嬉しくて綺麗な便箋を買いました。これで、紙切れに書かずにすみます。
私は、花柄の便箋を見、それから路地裏の方に向かおうとしました。早速、便箋を買ったことを、知らせたかったのです。だから、私は驚きました。
路地裏の、前の道路で、一人の男性が、血塗れになって倒れていたのに。外傷が沢山目立ち、一目見て直ぐに、刃物で刺されたのだと理解しました。誰が、何の因果で?
分かりません。でも、私はその後ありったけの大声を出して、助けを求めたのを覚えています。後は、やってきた医者達に任せ、私は路地裏には何となく怖くて近づけず、またその男性の様子を見に病院に行くのも怖くて出来ず、只々戦きながら家へと帰りました。
家に帰ると、何時もは家にいない母がいて、深刻そうな顔で、此方を見ていました。躊躇ったり、口を開きかけたり。何かを伝えたいのでしょう、でも、中々言えない状態が、此方からでも伝わってきます。私は、努めて冷静に、「どうしたんですか。」と聞きました。
すると母は、やっと開きかけていた口を開いて、「忠興さん...が...亡くなった...の。」と途切れ途切れに言いました。忠興さん、とは私の父の名前です。
「何があったのですか。」
「通り魔...だと思うと...警察に...言われたのですが。」
「...通り魔。」
ザワッと鳥肌が立つのを、私は感じました。一つ一つに、パズルのピースが、全体像が見えると、どんどん埋まっていくように、私の頭の中も、どんどん埋まっていきました。不意に、弾かれるようにしてある考えが浮かぶと、私は、家を飛び出し、路地裏へと行きました。
血塗れになって、倒れていた男性。亡くなった父。通り魔に、目立った沢山の刃物の外傷。
彼が倒れていた、その脇の路地裏に、私は駆け込み、それからあの兎がある場所を探しました。すると、其処には。
兎の台座の上に、一袋の金平糖がありました。それから、袋に挟まった紙切れに、たった一言。
「優奈、お誕生日おめでとう!!」
頬に、涙が滑り落ちました。たった、一言のメッセージ。ですが、私にとってはそんなちっぽけな問題ではありませんでした。
ずっと、父は、私のことを、見守ってくれていた。金平糖を毎日1つずつくれ、手紙を交換し、支えてくれたのは、父だった。父は、自分を捨てたわけではなかった。自分が、肯定された気がしました。どんな自分でも、支えてくれたのは、父でした。涙が、溢れ出る感情と共に滑り落ちていきます。ありがとう、と、感謝の言葉を述べたかった。けれど、其処には、父はいなかった。その事実に、私は、只々、涙を流し続けました。
悲しさと、感謝の思いで。
気づけば母が遠くから見守ってくれていて、やがて兎と台を取ると「持って帰りましょう。」と呟きました。途中、歩いている間に沢山のお話をしてくれました。
「この兎はね...、昔、忠興さんと...貴方のお父さんと一緒に神社に行ったときに貰ったものだったのよ。」
悔しそうに「それから、今でも持っていたのね...。」とすすり泣くと、不意に顔を上げて「やめましょう、きっと忠興さんだってこういうふうに泣かれることは望んでないわ。」と言いました。
何て強気な母なんでしょう。
私と母は、しばらく無言でしたが、やがてお互いに「ごめんね。」と呟いて、歩いていくのでした。
そして、その姿を、白い兎がまるで父の温かい笑顔のように微笑んで、見守っているのでした。