仁義なき可笑しな昼ご飯<4>
「パプリカさんは、肉料理みたいだね……」
「なら、魚、野菜と卵あたりがいいか」
「わ、私もそれがいいと思いますね……!」
なぜかディアナが顔を赤くして声をうわずらせていたが、特に問題も無さそうなのでそのまま食材選びを続けた。白身魚の干物、とりあえず傷みの少ない野菜類、正体不明の大きな卵、使えそうな乾燥果実、それだけやけに高級な調味料類。まあこんなものか。
抱えてメルの近くまで戻ると、いかにも他人任せな魔女は棚から鍋と鉄板を取り出していた。料理をしそうにもないのに、なぜ高級な器具は揃っているのだろう。
「錬金したり、色々使うからね?」
俺の微妙な視線に気付いたらしく、笑顔であまり聞きたくはなかった事実を告げられた。とりあえず変なものが付着していないか慎重に点検しておいた。
さて。
パプリカは右側の作業台を使うようだったから、俺達は広い石のテーブルを使わせてもらう。星の森の魔女は全く手伝おうとする様子もなく、ヒメリエと怪しい物体で遊び始めていた。もはや期待はしていなかったし、若干の苦手意識が生まれていたので、ヤジャとディアナと一緒に調理を始めた。
「ヤジャ、葡萄と胡桃を刻んでくれ」
「うんっ」
「ディアナは野菜の下ごしらえを頼む」
「任せてください……!」
その間に魚の処理や何かの卵(サイズが大きいことをのぞけば中身は普通)を溶いておき、どんな味付けが相応しいか色々と試してみる。香辛料も調味料も勿体無いくらいに余っていて、使わないのなら譲って欲しいくらいだった。
「どうですか?」
「こんな感じで大丈夫かな」
半時間は経ったかどうか、そのうち二人とも作業を終える。魔女の見込み通り、ヤジャもディアナも丁寧に完璧に仕事をこなしていた。頷きあい、いよいよ火に通すことにする。奥の土間へ行って、かまどの一つに鍋と鉄板を載せたが、見たところ火種があるわけでもないので、同じように土間に入ってきたパプリカに三人でたかった。
「「「火」」」
「ちょっと直接過ぎるでしょ!? これだからガキは!」
要点だけ述べるとパプリカは顔をしかめて文句を言う。が、実際は満更でもなかったらしい。
積んであった薪や炭、石炭をかまどに入れて、持ってきていた木の杖を準備する。一つ咳払いをすると、目を閉じて低い声で聴いたことのない言語を紡ぎ始めた。
例えば、歌でもなく、詩でもなく、祈りでもない。何か深い所に届くような、そういう音を組み合わせて響かせ、揺さぶって、まるで夢の中にも似ていた。そして十秒程度のそれを終えると、構えた杖で軽く薪を叩く。
木の触れ合う音と共に、見事に小さな炎が灯った。
「ほう……」
「わあ、すごいや……!」
「便利ですねえ!」
初めて魔法らしい魔法を目にし、素直に声を上げる。童顔魔女は両手を腰に当てて不似合いなドレスの胸をそらした。
確かに、種も仕掛けもない、か。
「本気になればこんなもんじゃないのよ。これでカロンを負かしてやるはずだったのに……あーあ」
ぶつぶつ言いながらも料理を運ぶ手はよどみなく、パプリカはどうやらミートパイを焼くらしい。
俺達も調理を再開する。鍋には野菜を敷き詰めて、魚も入れ、ワインと調味料で味付けして煮込む。卵の方はヤジャの刻んだ胡桃、干し葡萄を混ぜて味をととのえ、ソースを用意してオムレツにすることにした。
「出来たー?」
メルやシリウス達は食器など食べる準備をしていたらしく、ヒメリエが待ちきれないといった風にうろうろと歩き回っている。いかにも奔放なヒメリエだが、皆なぜかこの少女には甘くなってしまう。他の皆は気にしていないようだが、自分なりに考えてもみた。いつぞやのグリフォンの時もそうだが、ヒメリエには動物全般を懐柔する雰囲気があるのだろう。おそらく、星の森の魔女もその内の一人なのだ。
本当に、したたかな女だ。
「そろそろいいんじゃないかな? 人間の食べ物なんて久しぶりだね」
「はあ……コックでも雇えよ、メル……」
「ええ? やだぁ」
出来上がりだけは的確に当ててみせて、羊人形のハレーがその肩に乗ってうんざりした声を出していた。
俺とヤジャ、ディアナは完成した魚と野菜の煮込み料理とオムレツを皿に盛り、石のテーブルに並べた。パプリカもパイを焼き上げて、おいしそうな匂いに歓迎の目で迎えられていた。こうしてみるとかなり豪華で空腹具合も丁度いい。
七人の子ども達、二人の魔女でテーブルを囲み、ヒメリエの嬉しそうな声で遅めの昼食が始まった。
「一滴の水にも、一切れのパンにも、天地の恵みと万人の汗が込められています。いただきます!」
「「「いただきます!」」」
ワインで程よく柔らかくなった野菜と魚はあっさり食べやすく、甘めに葡萄と胡桃を混ぜて焼いたオムレツは香辛料を効かせたソースが合い、さっくりと焼きあがったパイは肉をメインにした具材が食のすすむ味付けにしてあった。
量も十分であり、全ての料理は大好評だった。
緩やかで賑やかな午後のひと時。怪しい空間の中にあっても、すっかり魔女など形無しだった。
「そんなに急いで食べると喉に詰まるわよ! ほら、おかわり盛ってあげるから」
「わーい! もうちょっと欲しい!」
「俺、オムレツがいい」
「魚おいしいね……!」
「そうだ、紅茶を入れてあげよう」
勝負などどこへやら、紅茶を差し出され、もうパプリカも諦めたようだった。メルは初めから勝負をする気などなかったのだ。ただ、ヒメリエの「お腹がすいた」という言葉を聞いて昼食を作らせる流れに持っていっただけ。
カップを手渡しながら、白髪の魔女が何気なく尋ねている。
「そういえば、どうして急に挑んできたんだっけ?」
「あんたね、今さら……だって、この間サバトで他の魔女に馬鹿にされたのよ! まだ半人前なのは、師匠がいるから仕方ないのにさ。それで売り言葉に買い言葉って感じで、じゃああの白の魔女を負かしてやるからって宣言して」
「はあ。それだけ?」
「わ、悪かったわね! 私にとっては超重要事項なのよ! 確かにあんたのこと名前くらいしか知らなくてつっぱしっちゃったけど」
「よかったねえ。安心したよ」
「は?」
「いやいや。パプリカちゃんは魔女なんかより料理人にでもなったらいいと思っただけー」
余計なお世話、と口を尖らせるパプリカだが、ディアナにレシピを聞かれると存外張り切って受け答えしていた。仁義を尊ぶところといい、まっとうな世間で生きているほうがしっくりくるのは間違いないだろう。それにしても──
俺は丁度視界に入る窓の外を見つめ、すっと立ち上がった。
「ドライセン、どうかした?」
「いや、ちょっと水を汲んでくる」
隣に座るロイに軽く聞かれたのを受け流し、そっと昼食の輪を抜け出した。
かまどのある方から外に出ると、たった少しの距離なのに心地よい喧騒は全く聞こえなくなる。天気のいい森は、どことなくざわめいていた。
あのとき、何か、見えたような気がした。何か、ひどくよくない気配が。
探るように辺りを見回していると、シュウ……と、不自然に呼吸を吸い込むような不気味な音が耳を掠める。
「っ……?」
勘違いではなかった。井戸の向こう側。木々の間から、ギラギラと真っ赤な二つの丸い目が、いつの間にかドライセンを見ていた。
黒い影の中に浮かぶような。
果たして獣なのか、それも疑わしかった。
長い六本の手足、だらだらと長く絡まった不潔な黒い毛を纏い、裂けた口元からは粘る唾液が零れ落ちていた。他には耳もなく、牛よりも一回りは大きい。何より、本能が警告するほど禍々しく凶悪な雰囲気を、それは醸し出していた。
悪魔。
実際には違ったとしても、とっさに思考できたのはそれくらいだった。
まずい。静かに、だが確実に近づいてくる。赤い目に魅入られ、足も呼吸も凍りついたように意思に反して、俺は音もなく俺を殺そうとするそれの接近をただ呆然と眺め──
「人のモノに手を出すのはよくないな」
「……う……ぁ……」
背後から、ぞっとするほど穏やかな囁きが聞こえ、黒い獣の動きが後数歩のところで止まった。俺は、どうにかして息を吸う。眩暈がしてふらついたところを、柔らかい身体に支えられていた。しっとりと質のよいローブから現れた白い手が俺の頬に触れた。ひやりとした感触。
メル・カロン。
この女、は──
「ダメじゃないか抜け駆けしちゃあ……こんな低俗な獣、目にするのも毒だろう? 可哀想に」
「あ、んたは、……」
星の森の魔女は優しく冷たい声で笑っていた。手には無限の小さなかけら達が集まったような細身の杖がそっと握られている。一気に体感温度が低下したように感じた。心臓が壊れそうなほど音をたてていた。守られているはずなのに、先ほどよりもひどい圧迫感。この、女は、本当は──
獣は動かない。
正確に言えば、動けない。
その場所からずるずると伸びる緑色の蔓が黒い獣の六本足に絡みつき、身体まで絡め取って全身に達しようとしていた。地面から生え出す蜘蛛の足のように。ごぼっと嫌な音がした。獣の口から漏れた声無き悲鳴だった。生き物のような蔓は絞め殺そうともしていたから。
鳥肌がたち、思わず目を逸らしながら口走る。
「それ、は、魔術、だろう……」
「そうだよ」
「あんた……そういう魔術は、使えないって……」
「嘘に決まってるじゃないか。魔女が魔術使えなかったらどうしようもないからね。特に、こうやって生物に作用する精神魔術は得意でねえ。あらゆる意思をわざと捻じ曲げるなんて愉快だろう?」
白髪の魔女は悪びれることもなく平然と答えている。小さな嘘が重なりすぎ、あまりにも根本的な嘘に騙されていた。平凡で愚直なパプリカなど相手にされるはずも無いということだ。
俺は星の森の魔女が恐ろしく、振り返ることすら出来なかった。
「……この、これは、なんなんだ。星の森に住む化け物か……?」
「やだなあ、こんなの出来の悪い使い魔だって。大方他の魔女がパプリカちゃんを私にけしかけてその隙に二人とも殺したかったんじゃないかな? 馬鹿だなあ。私の子ども達に手を出さなかったら丁重に送り返してあげたんだが、目障りだから消えて貰おうね」
メルの杖先が地面に触れた瞬間、キンと耳鳴りがして、一瞬血液が沸騰してしまったんじゃないかと思った。
でも、違う。
俺じゃない。あの、毛の塊のような黒い獣の方だった。
刹那に燃え尽きていた。
蜘蛛のような植物共々、黒い僅かな跡を残して。消滅。
生理的な涙が目に溢れてきて、俺は短い呼吸をしながら、それを拭った。やっと振り返ることが出来た。
「あれの気配に、気付いていた……?」
メル・カロンは嗤う。
「私の森だからねぇ。君が気付いちゃってちょっとだけ焦ったよ。一人でどうにかしようだなんて、馬鹿みたいでかわいいけど。いつも取り澄ましてないで、もうちょっと素直になったら? その方がずっと好み」
不覚にも顔が熱くなった。
そんなことを、見透かしたように言われるなど。心外だった。
「あんたにだけは、言われたくない」
家の中から微かに聞こえる騒がしい声、平穏を取り戻した星の森に囲まれて、俺は嘘吐きな魔女を睨み付けた。