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罪と幻の間<2>

 不安にさざめいていた瞳が、怒りに燃えあがる瞬間を見た。

 動揺で名前を呼ぶ事しか出来ないうちに、それははっきりと形を成し、メルはあの二人を殺す気だとシリウスにもわかった。そんなことをしたって貴方が傷つくだけだと目を見て言えればよかった。だがあのとき頭が働かず、中途半端に掴んだ腕は激昂の勢いに撥ね退けられ、止められなかった。

 馬鹿なことをしたとすぐに悔やんだ。

 言葉が届かなくてもなんでも身体を張って止めるべきだったのだ。

 憧れるだけなら嘆いていればいい。それ以上を望んで、やっとここまできて、一体何のために傍にいたというのだろう。


「肝心なときにこれだ――」


 星の森を駆け抜けながら、シリウスは胸中の悔しさを吐き捨てていた。

 消えた彼女を追い、森の中、古登の村へ。ようやく春を迎えた辺りは花と新芽で鮮やかで、それを蹴散らすように走る自分がただ情けない。


『私はなんともないから』


 押し殺した声が、何度も脳内で再生された。魂とか、人知を超えた深い部分があるとして、あのときもうメルには全てわかっていて、最後の確認をしたくなくて、押しつぶされそうな心を一言で支えようとしたのだろう。

 出来るはずもなかったのだ。

 死んでしまったハレーのことを、いつまでも知らない振りをするなんて、メルには出来なかった。お互い、強固な結びつきを抱え、相手のことを見ていた。ずっと一緒にいたと言っていた。おそらくハレーがメルの親であり、兄弟であり、教師であり、友であった。メルが本気で喧嘩して、本音を言えて、甘えられたのはハレーだけだった。いつでも明るく勇敢で単純で、正しかった。ハレーはただまっすぐにメルを愛した。隣り合う二人はシリウスの目標だった。


「なんであんなことを……!」


 だからこそ許せない。

 欲のためにディーナを殺し、ハレーを殺し、罪を自覚することも敬意を払うこともなく立ち去った二人の人間に底知れぬ憤りを覚えた。あれのどこに神の教えがある? あんなものは聖教の名を騙る薄汚い凶徒でしかない。

 だがそれ以上にシリウスは、メルがあの二人を殺してはいけないのだと、思ってしまった。今は怒りに支配されていても、復讐を終えれば彼女は死を選ぶしかなくなってしまう。


 村に着くと、ヒメリエが大きく手を振る姿が見えた。


「――シリウス! こっちだよ、馬用意してる!」

「ごめんヒメリエ、急に……」


 引きとめ損ねて最悪の事態に思い当たったとき、シリウスはヒメリエとカサブランカ当主とアンクに緊急用の伝言を飛ばしていた。カサブランカ家に雇われる「悪魔博士」ノヴァが特別に作った、悪魔人形の一種。小さなカラスの作り物の足に紙を結びつけて飛ばすだけの代物だが、とにかく伝達速度が早い。

 占術に映った町は村から近く、何度も訪れたことがあったのは唯一の幸いだった。ヒメリエには街に行くまでの馬を貸してほしいとだけ言っておいたのだ。


「詳しいことは後で言う。とにかく、ハレーが、いなくなって……死んでしまって、メルが家を飛び出した。俺は、メルを止めないといけない」

「え? ぁ……」


 事情を話すと、ヒメリエは絶句した。優しい言葉も嘘も気遣いも、何も差し出せない。その分の負担を押し付けてしまっても、少女はやがて奮い立たせるように馬の背を叩いた。最後まで目線を逸らさなかった。


「シリウス、信じるよ……ほんとに、こんなことしか言えなくて、ごめんね。でも、また会わせて。助けてあげて」

「わかった」


 口にすると一秒が惜しかった。

 鞭を当てると馬が疾駆し、風が頬を打ち、景色が一気に通り過ぎた。色んな記憶が蘇ってはすぐに消えた。

 ヒメリエに助けると約束をした。嘘じゃない。嘘は吐かない。

 だが、恐い。

 こんなにも怖い。

 もしあなたを失ってしまったらどうなるだろう。それでも生きていけるのか。生きていかなくちゃいけないのか。大切なものを失っても晴れた空や、人々の笑顔や、温かいもの、光り輝くものの溢れる、そのまま在り続ける世界を、許せるのか。


「そんなんで、生きて、どうしろって」


 馬上で思い切り咆えた。無様で喉がひりひりした。初めて知った。きっとメルが何度も味わい、そして今突きつけられた思いだった。怖い。二度と会えない。寒い。過去が突き刺さる。実感したらどうしようもない。目を開けていられない。人も、明るさも、全部がむなしい。

 駆けて、駆けて、全力で駆けた。

 やがて町が見えた。石積みの門を潜ると町は思い出の中より小さく褪せていた。

 教会はどこなのか、曖昧な記憶に焦りと怒りと馬の荒い息が混じる。


「シリウス!」


 闇雲に路地を駆け抜けようとしたとき、上から声が掛かり、手綱を引いて振り仰いだ。通行人の悲鳴がして、灰色の空から獰猛な目をした飛竜が舞い降りる。以前見たノヴァの悪魔人形だった。

 一人乗っていたアンクは降りることなく矢継ぎ早に言った。


「間に合ったかな。比較的近くにいたからよかったよ。当主やノヴァもすぐに追いつく」

「教会はどこなんだ? 急がないと、メルがあいつらを殺す前に」

「ついてきて」


 すぐに飛び立った飛竜をシリウスは追った。いくらも行かないうちに目の端に立ち上る煙が映る。

 悲鳴が聞こえた。逃げ出す町人が逆行してくる。路地を抜けて大通りに出ると目の前に教会があり、炎がそれを嬲っていた。


「メル!」


 全身に鳥肌が立った。

 周囲の建物と歩道は抉られ半壊して、風が吹くと火が広がる。白髪の魔女は杖を持ち幽鬼のように立ち尽くしていた。

 火の粉が生き物のように飛び散り、ローブがはためいた。シリウスが呼んだ声は当然のように無視され、教会から飛び出してきた信者を見る目は冷え切って、物を見るようだった。

 アンクが横で息を呑んだ。


「僕は……とにかく火を、消さないと……シリウスはメルさんを」

「いわれなくても」


 わかっている、そう言おうとした。怯え、しきりに前足で地を蹴る馬から降りる間に迷いがあった。そんなものは持つべきじゃなかった。

 メルの視線が動き、その先に建物から逃れようとするあの信者が見えた。


「やめろ! メルっ……!」


 一撃で殺すなら間に合う距離ではなく、シリウスは駆けながら声の限りに叫んだ。

 遅いよ。もう。

 声は聞こえなかった。ただ、魔女は目を伏せ、唇だけがそう呟いた気がした。








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