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愛しさが見上げる先に<9>

「ギィッ、ヒィィンッ……」

「ぁ?」


 聞き覚えのある、そして苦しげな高い鳴き声が耳に飛び込んだ。

 まさかと、ハレーはその瞬間反射的にそちらに飛んでいた。二人の男も顔を見合わせ、走り出していた。間違いであってほしかった。本気でそれだけしか考えられなかった。

 だから木々をくぐった先、目の前に現れた光景に頭が真っ白になった。信じたくない。こんなことは信じられない。

 痩せた若い方が興奮してまくし立てた。


「ほら、見てくださいよ! やっと捕まえました。この角さえあれば」

「おお、本当だな。よくやった。見事な色だ。これなら遜色ない代用品が作れるだろう」


 湿った地面が乱れて、汚れている。

 その中心で、罠にかかったディーナが足から血を流しながらもがいていた。

 やっと子どもが生まれて、やっと順調に子育てをしていた親のディーナだった。傷跡から骨が覗く。鹿に似た子どもがどうすることも出来ずに、うろうろと足踏みをしている。悲痛な吐息を風が攫う。

 ディーナの角。この二人はただ、至高の色をした角を欲していたのか。

 理解し、二人の人間が刃を抜いた瞬間に、ハレーは叫びながら飛び出していた。


「やめろっ!! ふざけんなよ!」

「うわっ?」「なんだこの……!」


 逃げろ。だめだ。やっと。やっとだ。物じゃない。生きてんだ。なにも、知らないだろ。知らないくせに。殺さないでくれ。頼むから。


 叫んで、ぶつかって、喚いて、でも牙も爪もなくて、そんなことわかってたはずなのに、逃げることなんて、出来なかった。

 時間がゆっくりと、引き延ばされたみたいだった。汗で汚れた手の平が身体に絡みついて、ただ不快で。触れてほしくなくて。触れてほしい人なんて本当は一人だけで。片方の羽が千切られても、痛覚はなく、でもやばいなあと、それだけ思った。思いながら、謝りながら、飛べなくなって地面に落ちても叫び続けた。ふざけんな。殺すな。そんな都合で殺すんじゃねえよ。


「黙れ! やかましい!」


 鈍く光る。

 刃が身体を貫く瞬間が、冷たいような不思議な感触だった。声が出なくなる。それから視界が曖昧になってゆく。

 世界から切り離されるその中に唯一見えたのは、一人の少女だった。

 ずっと一緒にいた、たった一人の相棒だった。

 幻のように柔らかい声が聞こえた。


『ハレー』


 ああ。メル。

 ごめんと、ぼやけた空に呟いた。

 ごめん。ごめんな。置いていきたかったわけじゃねえけどさ――――




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 例えばどれを取っても、そうだったんだ。

 色々な思い出が全部繋がって、メルになった。最初から今まで全部。


 智の魔女に召喚されたそのときから、一緒にいないことなんてなかった。ハレーにとってワンズは確かに理解できなかったけれど、恐ろしかったけれど、同じくらい感謝してもいた。心をくれたこと、声をくれたこと、メルの悪魔人形にしてくれたことには本当に何度でも礼を言える。

 初めて会ったとき、ぼろぼろに傷ついて、泣いていた。枕元に置かれた瞬間にひと目で心を奪われた。


『大丈夫、か……?』


 痣ができ血が滲む小さな手。

 涙も嗚咽も酷く苦しそうで、あまりにも幼くて、今にも息が止まるのではないかと気が気じゃなかった。心配で、泣き止んでほしくて、でもどうしたらいいのかわからなかった。力も知恵もない俺に何が出来るんだろう?


『める? 結構、いい名前じゃねぇか? 俺は、そう思うぞ。俺もまだ名前がないから、ついでに決めてくれよ。な? 何がいいだろーな……』


 結局下手な言葉を繰り返すだけで、記憶の中の自分は何も出来ない。何も出来ないのにその少女は必死に頼りにしてくれた。


『あのね……ハレーって、どうかな……? あなたの、名前』

『ハレー? うん、ハレーか。いいじゃん、それ』

『ほんと? よかった……』


 この世で一番きれいなものだと思った。

 空が晴れて、花が開くみたいに。涙を拭いて、初めて笑ってくれたときに、自分の存在価値を見つけた。その笑顔が見られるのなら名前なんて何でも良かった。


『どこか、行けないかな』


 無常に時が過ぎてゆく中、あまりにも不遇で、失う速度に耐えられなくて、そんな風に言う気持ちもわかっていた。

 守れないくせに死んでほしくなくて、自分勝手に繋ぎとめて、辛い思いをさせた。友達にも、恋人にも、兄弟にも、家族にもなりたくて、でも無理なんだと知った。憎んでも、恨んでも、腹が立っても、泣きたくなっても、離れようとは思わなかった。

 

『同情しないでね……』


 時々膝に抱いて撫でてくれる手と指が心地よかった。そっと一人で歌う歌声を、ずっと聴いていたかった。研究に没頭している真剣な顔が、羨ましかった。ワンズが死んで色を失った髪も、深いチョコレート色の瞳も、細い手足も、たわいもない言葉だって、全部、空気みたいに必要だった。

 信じていた。

 大好きだった。

 幸せになれると言えないくせに、必要とされたかった。



(……バカだなぁ、俺……)



 景色が光と闇に閉ざされてゆく。思考がさらさらと流れ行く。

 心が痛んで、それでも不思議と後悔していない。考え続けて、決めたのだから。

 言葉と心しかない俺に何が出来るのか。

 言葉と心があるのなら、弱くても、見捨てないことだけはできる。

 ディーナを見捨てることは、メルを見捨てることに似ていたのだ。



(……バカだけど、でも……)



 森の中の静かな家の朝。床で揺れる木漏れ日の透明な色。

 金髪の青年と顔を見合わせて、柔らかく笑う姿が浮かんで、何もかもが満ち足りた気がした。


 たった一つだけ言葉が伝わるとしたら、これだけでいい。

 最後にやっと言えるのが、少し泣き出しそうなほど可笑しかった。



 なあ。

 もう、大丈夫だよ。












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