愛しさが見上げる先に<6>
「なあなあ、ジェーナの子ども、結構でかくなったなっ。角に金色が混じってきてたし!」
「ああ、順調に成長してるみたいだね。希少な獣だから冬が心配だったけど、よかった」
森は雪で覆われていた。ただ一番厳しい頃をだいぶ過ぎて、初春の青空に木々も芽を膨らませる。
そんな中、魔女の家の庭だけは魔術で早々に雪を溶かし、早めの春が再現されていた。そこに冬用の白い毛をした二頭の獣が姿を見せ、若草を食んでいる。一回り違う親子だ。ジェーナと呼ばれており、鹿に似た姿で足が短く、特徴的に美しいのが頭から生える何色とも言えない輝く角であった。
「絶対に創れないものだよねぇ、あれは。自然美ってのも違う気がするけどさ。本来の美しさの手本ってやつ」
黒羊の悪魔人形は楽しそうに庭を浮遊しながら、
「ジェーナは穏やかで、俺、好きだな。キレイっていえば春待苔の夜も、もうすぐ見れるんじゃねーか?」
「そーだ。なんだかんだ春にはここにいなかったし、それどころじゃなかったりもしたし、楽しみ。これで魔術が上手くいけばいうことはないんだがね」
「それ以上最終的に何をどうしたいんだよ……」
「全然だって。さっぱりだめ。もっと自由な擬似精神じゃなきゃ」
冬の間になるべく薬に頼らない生活を心がけ、メル・カロンは遠ざけていた魔術の鍛錬を再開した。久々に手にした塵の杖は手に馴染み、自らの衰えも自覚させた。特に白の魔女の権威と呼べる高度な精神魔術は一月近く失敗し続けた。おかげで余計プライドに火がつき、より洗練された高みを目指す羽目になったのである。
思い至ったら追求、まずは崖から切り出した岩を削って、石像を彫った。精神を研ぎ澄まして鳥や獣や人を形作り、最終的に操る術を獲得する。
「なんとなくは動くけど……鳥が、飛べるくらいまで……どうにかならないかな……」
「物理的に不可能だってば」
「嫌だ。飛ぶんだ! 早く飛ばなきゃ!」
「イヤダって返事としておかしいだろ。大体なんで石像飛ばさなきゃならねえんだよ」
「なんでとか! そこに鳥があるから! おかしいことをするのが魔女の役目なんだよ! おかしいことがなかったら一体何がおかしいっていうの? あー、これだから」
庭で塵の杖を握り締め、石像の前に立って喚いていたメルは、不意に黙った。どうしたのかとハレーが尋ねるよりも前に、風が鋭い音を立てて迸る。
その正体は、鳥の石像から分離したナイフのような一枚の羽だった。勢いのまま石の凶器は正面の木の幹に衝突して粉々に砕け散った。驚いた獣たちが走り去る音がして、衝撃が収まる頃、動きを止めた一つの人影が浮かび上がる。
「――ただいま……」
「君かぁ」
静寂の後に一言。
若干口元を引きつらせながら挨拶をしたのは誰であろう、数ヶ月ぶりに戻ってきた金髪の青年――シリウスであった。
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「お元気でしたか? 俺は、さっきちょっと死ぬかと思いました」
「もっとこうね、典型的じゃない挨拶をしてみせてよ。ほら表現は自由だよ」
良い事だねとにこにこ笑いながら魔女はお茶を汲む。家に上がり、テーブルの前に腰を落ち着けたシリウスは「とりあえずありがとうございます」と受けとった。いい香りの紅茶を半分ほど飲んでしまうと、庭の方を眺めて改めて首を捻る。冬前には無かったはずの石が置かれていた。ただの石といって簡単に済ませられるような生易しい量ではない。限度を知らないかの如く大量に積まれ、遺跡のようにすら見える。
「庭は、いつから石切り場になったんですか?」
「未来の話?」
「現在の話です」
「わかってるってば。バカ正直に言い直さないでほしいなぁ。そんなんじゃないし。ただお城を建てようと思っただけ。いわゆる改築だね」
「メルが魔術の訓練で使ってるんだよ。ほら、彫ってあるのがあるだろ? ああいうのを動かしたいんだってさ」
「そんなことが出来るんですか?」
魔女の戯言を修正してハレーが真実を述べると、シリウスは目を丸くして聞き返していた。精神魔術の範囲なのだろうが、この数年魔術に関わってきた中で無生物を操ることが出来るとは聞いたこともない。メルはわざとらしく手を振ると、部屋の中まで置いてある細長い石を撫でた。
「こうね、呪いと怨念を込めると動くわけだよ。わかるかな?」
「メル、元気みたいですね」
「はぁ?」
「そういう感じ、なんか懐かしいです」
「…………」
何気ない指摘に振り返る。メル・カロンの瞳は翳っていた。
しばらく言葉を忘れてしまったように立ち尽くし、やがて小さな声で聞き返した。
「それは、よくないこと……?」
「え?」
よくない? 元気だということが?
シリウスは意味を掴みかねてメルの顔を見つめる。癖のない髪が少し伸び、相変わらず精霊のように美しい。しかし不安定とまではいかないが、困っていて、恐れてもいる。その正体がなんなのかわからないうちに、ハレーが石の上に着地して訂正していた。
「よくないとかそーいうのじゃねえってば。ただの記憶の話。メルだってシリウスやヒメリエと会ったときのこと覚えてんだろ?」
「それは、そうだけど」
「それだけだって。思い出して、そうだった懐かしいなって。な? そうだよなっ」
「そうです。何か、まずかったですか?」
ハレーが言ってくれたおかげで徐々にだが不安の正体が見えてくる。懐かしいという言葉の中に、過去が映る。思い出す辛い出来事の印象が強すぎて、他も全て悪い方向にしか考えられなくなっているのか。
シリウスの考えを肯定するように、メルは土間の入り口で目を伏せた。
「君にも随分ひどいことを言った気がするしね。いいんだよ、無理に同情しなくても私は――」
「メル。俺はそんなこと言ってないです。思ってもない」
過去に囚われすぎては動けなくなる。誤解してほしくもない。
シリウスはこの時期に無理にでも戻ってきた理由を思い出して、明るい声を出した。
「それより、降誕祭に行きませんか? 古登の村から一番近い町で毎年行われるんですが。メルと一緒に行きたいなって」
「降誕祭?」
「私が?」
悪魔人形と魔女が同時にきょとんとする。
そんな珍しい光景に、シリウスは笑顔で頷いた。