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愛しさが見上げる先に<2>

 晩秋の日の気分は気紛れだ。

 前日は規則正しく過ごしていたからといって、次の日もそうとは限らない。心配するだけというのも何か違う。シリウスが一緒に暮らすようになってからメルが気分が悪そうにしている日はしょっちゅうだったが、朝いつまでたっても起きてこない事は、珍しかった。


「ハレー」

「おう」

「メル、まだ寝てるのかな?」

「寝てるっつーか起きたくねぇんじゃね?」

「んー……」

 

 正午まであと一刻ほど。パンを焼き、薬草茶とスープを温めた遅い朝食を食べ終えてシリウスは唸る。

 一緒に食べられればよかったが、これ以上待っても意味がないと断念して先に済ませてしまった。直接様子を尋ねたくとも、もう易々と寝室に入り込んでいい子どもではない。礼儀と線引きは居住の許可を与えられたけじめとして心に誓っている。

 自分の食器を片付け、メルの分に木製の保温器を被せながら、毛づくろいをする悪魔人形に尋ねる。


「ハレー、どうにか起こして来れない?」

「一応聞いてはみるけどなー、大体俺が言っても聞かねーんだよなぁ」


 葉を落とした森は、もういつ雪が降ってもおかしくはない気温だった。今日のように薄曇りの空だと尚更冬の到来を予感させる。

 石のテーブルの半分は瓶詰めや乾燥済みの薬草が占めていて、ハレーを待つ間それを眺めながら、この冬が過ぎる頃にはどうなっているだろうとぼんやり考えた。

 望むとすぐに欲しくなる。望まなくても、引き戻される。

 あの人は変わらない姿でここにいる。そうではあっても昔とは違っている。俺はやっと隣に立ったけれど、それでも、向き合えているだろうか。

 満たされている。

 同時に欲している。

 これはとても欲深い生き物だと、自嘲してしまう。

 

「やっぱダメだな。起きたくない、気分が悪い、何もいらない、構うなってさ。今日ぐらいほっとけばいいんじゃね? お前が来てからメルは十分頑張ってたよ」


 暗い部屋にハレーが戻ってきて言う。

 そうだ。そう思う。他人が一人増えて、多少なりとも無理をさせた。それで体調が戻るなら、悪いことじゃないと思った。


「本当かな……」

「うぃ?」

「ちょっとだけ、様子見に行ってきます」


 声が聞きたくなって、そう思ったらもう椅子から立ち上がっていた。

 この家で暮らしていても立ち入ることのなかった奥の廊下に足を踏み入れる。古い木目が少し軋む。正面の小窓から名前も知らない広葉樹が覗く。

 シリウスは少しだけ扉の開いた寝室の一歩手前で立ち止まった。装飾もない鍵もかからない一枚の扉に、手は伸ばせない。声だけを掛けた。


「メル。起きてますか?」


 微かな物音が応える。

 何を言うべきか迷って、本当に言いたいことなんて何も言えない事を知る。


「食事だけでも、食べてください。部屋の前に置いときますから」

「……食べたくない。君が食べればいい」

「じゃあ何か、食べられそうなものはないですか? 用意します」

「いいから……もう、」


 ねえ。本当は知りたいんだ。

 今どんな気持ちでいるのか。

 俺は、余計なことをしているのか。

 何があったら嬉しいだろう。誰かに恋をしたことがある? どうしたら、役に立てるだろう。


「……すみません。ちょっと、出かけてきますね」


 思考が沈む前に踵を返して、大部屋に戻った。思い出したことがあった。若干無謀な気もするが、思いつくと行動しなければ気がすまない性分だ。


「ハレー、ちょっと出かけてくるよ」

「う? 一人で大丈夫か?」

「ああ。二時間くらいで帰ると思うから」


 防寒用のコートを着て皮手袋をはめ、護身用のナイフを腰に吊るしてシリウスは魔女の家を出た。

 目指したのはどこということもない、古登の村だ。藪を拓きながら、曇り空の下故郷への道筋を急いだ。その間に頭を空にして、後ろ向きな考えを追い払う。基本的に楽天的な性格だと自分で思うが、今はそれ以上に明るくありたいと思った。

 村に辿り着くと、今回は挨拶も勘弁してもらうことにして、幼馴染の少女の家に向かう。

 ベルを鳴らすと母親が顔を出し、突然の訪問に驚きながらも彼女を呼んでくれた。

 薄茶色の波打つ髪がかわいらしい、陽だまりのような姿は、背が伸びて随分大人びた印象を受ける。シリウスは早めの再会に少々ばつの悪い笑みを浮かべた。


「ごめん、ヒメリエ。急に邪魔して。忙しくなかったかな」

「ううん? いいよ、手伝いは後でも大丈夫だから! シリウスにはなかなか会えないもんね」


 溌剌としたヒメリエは、花の刺繍が施されたエプロンを外しながら瞳を輝かせた。臨機応変というよりは、変わったことが大好きな性格は昔から変わっていない。


「どしたの? 魔女さんのところにいるんだよね?」

「ああ。そうなんだけど……ヒメリエに聞きたいことがあって。聞きたいことっていうより、頼みごと」

「うん、なになに?」

「虹の目――アンクからのお土産の砂糖菓子だけど、まだ残ってないかな?」


 冬の街の、美食の魔女オリーブが作った人気のお菓子の名を、虹の目といった。アンクから預かり、ヒメリエに渡したものだ。

 ヒメリエは少しはにかみ、うんと頷いた。


「あるよ。なんだかもったいなくって……とってもおいしいけどキレイだし、実はまだ半分くらい残ってるの」

「わかる気がする。大事なものだよな……だから本当に無理じゃなければでいいんだ。もし出来るなら、少しだけ分けてもらえないかと思って」


 記憶の片隅にあったのを思い出したのだ。素晴らしい料理の腕を持つオリーブの作ったものならば、メルも喜んで口にしていたと。

 何も食べられないという言葉を疑っているわけじゃないし、誰にでもそういうときはある。

 だが、今のメルをそれで済ませてしまうのはシリウスには寂しすぎるから、何か可能性があるのなら賭けてみたかったのだ。

 ヒメリエに簡単に事情を説明すると、彼女はふんふんと眉を寄せて考える仕草をし、その後真面目な顔で大きく頷いた。


「よぅし! 行こう! 任せて! レッツゴー!」

「ん?」

「ちょっと待ってて、すぐ持ってくる着替えてくるお母さんに言ってくるから! 大丈夫体力万端気分万全だよ!」

「あーっと、うーん、うん……?」

 

 万端?

 なんとなく言葉の使用法が微妙な気がするが、問題はそこではない。自分以上の即断に思考が押し流される。電光石火だ。思いつきもしなかった。行くのか。自分ごと行ってしまうわけか。確かに、始まりだってヒメリエの好奇心だった。一つ年下のこの少女が行くといえば、それはもう決定事項だったのだ。


「おまたせっ! 魔女さんに元気になってもらえるようにがんばるね」


 悩む間に本当にすぐ用意してきたヒメリエは、息を切らしながら満面の笑みを浮かべた。

 セーターとカーディガン、着古したキャロットスカートに厚めのストール。しっかりしたブーツを履き、カラフルな手提げ袋を持つ、その笑顔を見て誰がだめだなんて言えるだろうか。妖精か、天使か、小悪魔か、ともかく気持ちを捉えて離さない。

 シリウスはやはり天性の爛漫さに負け、彼女の荷物に手を差し出していた。


「じゃあ、お願いするよ、ありがとう。メルも喜ぶと思う。きっと後でお礼はするから」

「わーい、出発!」


 そうして二人で魔女の家に辿り着いたとき、意外にも出迎えたのはメル自身だった。

 俯き気味だったのがこちらを見て目を丸くし、首を傾げる。もう起きても平気なのだろうかと、シリウスが尋ねる前に、ヒメリエが声を発した。


「こんにちは! わたし、ヒメリエです。覚えてますか? 前に、みんなと一緒に、遊んでくれたんですよね」

「――それは……」

「あのときのっ!」


 メルが戸惑って言いよどむ間に、ハレーがわあわあと騒ぎ出す。そういえばハレーはヒメリエによく追いかけられていたっけ。

 ヒメリエはシリウスから手提げ袋を受け取り、中から小瓶を取り出した。その中には美しい七色の小さな羽根が一枚入っていた。


「全部忘れちゃったなんて、そんなことないから。この小鳥の羽をね。見てたらいつも、透明で優しいイメージだったの。わたし、ちゃんとわかった。今会って、魔女さんのことだってわかったんだもん」



 ……虹の根元で生まれた小鳥の羽……くれるの?

 ……うん。あげる。



 冬の気配と、少し切ない午後の部屋。宝石より鮮やかな七色、戻れない時間。

 瞬きの間に脳裏に蘇った記憶は、今確かに同じものだったのではないか。


「ね、とってもおいしいお菓子持ってきたんだよ! メル、シリウスも、一緒に食べよう」


 ヒメリエの笑顔に、淡い花びらのような笑みが重なった。




 


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