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愛しさが見上げる先に<1>

 そしてひっそりと始まった共同生活はメルの体調を中心に動いた。

 何も手につかず、精神的にも肉体的にも消耗している様子は見ているだけで辛いものがあり。旅から戻って以来滅茶苦茶だったらしい食生活、睡眠時間を正すことを優先事項に据え、その合間に物の場所を覚えたり、食料の調達を考えたりした。

 ハレーに助言を貰いながら、互いに適切な距離を探る日々。


 夜は薬草の香りと深い森の気配に包まれて、大部屋の隅で眠った。静寂がすぐに意識を溶かし、そうするといつも、穏やかな眠りの中で記憶に残らない夢を見ているような気がするのだった。


 覚悟していたほどの雑用も、シリウスはせずに済んでいた。思い返せば意外ではないが、人の手を煩わせることをメルが嫌がったからだ。シリウスが率先して調理や洗濯をしようとすると、いつの間にか大体済んでいたりする。自分の事でも思いつく前に、食事の前には食器、寝る前には毛布や火鉢が用意される。ありがとうと言うタイミングをはずすように、目を離しているうちに。


 交わす言葉は少なかったが、彼女の性質を知るには十分だった。

 戸惑いながらも誰かに尽くすことを厭わず、愛されることを知らない。見返りを求めない、自分の行為だけで完結した思考。それはほとんど危うい誘惑だった。

 例えばもし、彼女を縛り依存すれば、何よりも便利な道具になる。

 壊れることも許さず縛り続け、そうして死んでしまったのが智の魔女ワンズだったのだ。



「メル、ちょっとここに座ってくれませんか?」

「……どうしてわざわざ」

「いいからいいから」


 まだ生活に慣れない三日目。

 ふと思いついて、シリウスは晴天の窓辺に椅子を持ち出すと、部屋を整理していたメルに声を掛けた。本調子とは遠いが、ほんの少し表情に生気の戻った彼女は微妙なしかめっ面で抗議を試みる。そんなちょっとした余裕が結構嬉しかったりする。


「別にとって食べたりしないですよー、俺は恐い魔女じゃあないですから。ほら、ね、座るだけ」

「生意気だね……」


 秋の薄い雲が空の青を淡く彩り、ガラスを揺らす風が冬の匂いを運ぶ。

 抵抗に負けず笑顔で手招きすると、やがてメルは諦め、おずおずと椅子に腰掛けた。シリウスは軽く礼を言いながら椅子の斜め後ろにまわる。特に他意はないまま。姿勢よく伸びた首筋辺りに手をやると、魔女はふるりと身を震わせて驚いた顔をした。


「ぁ……」


 同じ瞬間に視線が合わさる。意識を奪ったのは、薫るように甘い、柔らかなチョコレートの色彩だった。

 見上げる瞳は不意に幼い不安を覗かせるから、シリウスはかろうじて視線を逃す。悟らせないように鼓動を隠し、改めてメルの白髪を手に取った。


「髪の毛。少し乱れてるところがあるので、整えてもいいですか?」

「そう、かな……どうでもいいけど……」


 明るい表情と声に流され、彼女の意識が逸れたことにほっとしている。惜しいような未練がましい気持ちは、見ないようにどこかへ押しやってから、美容に目がない魔女の性質を利用して本人を説得した。本当に、ずっと無造作に切られたままの髪が気になっていたのだ。


「最近は、いつ切ったんですか?」

「……前は、いつだろうね。気付いたときに、気分で」

「長いときも綺麗でしたけどね」

「こんな枯れた色なんて、別に綺麗でもなんでもないよ……」

「またそんなこと言って、いっそ謙虚で魔女らしさが消えてますよ?」

「ただの事実。君の基準なんて、当てにならないし」


 近い距離にいれば、徐々に会話のペースが戻ってくる。指の間を滑る、十分に美しい白髪を切り慎重に整えていく。陽気が背中を暖め、視界を明るくして、緩やかな午後はとても優しい表情をしていた。

 自然に長さが揃えば適当なところで手を止め、いつのまにか詰めていた呼吸を解く。


「これくらいなら後ろも揃って、いいかな。教会の子ども達で慣れてたんですけど、流石にちょっと緊張しました」

「器用なんだね……私なら人の髪を切ろうなんて思いもしないけど」

「切ったほうがすっきりすると思うと、気になってつい――うん、かわいい」


 正面に屈み、椅子に座ったままのメルの容子を覗き込んでシリウスはにっこりと笑った。顎のラインで揃い輪郭を包むフォルムは、メルの透明な雰囲気を邪魔せず引き立てる。予想以上に上手くいったのではないだろうか。

 そうして一人満足げに頷いていると、しばらくきょとんとしていた魔女の頬が、不意にかあっと朱に染まった。

 肌の白さも相まって、こちらが驚くほど見事に。


「え、あれ? 俺、なにか」

「なっ……んで、そんな、こと」


 答えにならず、唇を噤んだ瞳が潤んでいる。首の方までほんのり赤い。

 どうしていいかわからない、というように手が頬を擦り、がたんと椅子から立ち上がると、シリウスを押しのけて土間のほうへ出て行ってしまう。


「メル? えーっと……」


 何かまずいことでも言っただろうか。

 一応呼んでみるが、原因が自分なら追いかけるわけにも行かず、シリウスは立ち尽くして頬を掻いた。あんな顔は確か、前に一度だけだ。体当たりで告白したとき。それくらい珍しかった。びっくりした。

 最近はあまり表情も浮かべないのに――と窓辺で思い返せば、思い至ることは一つである。切った髪を片付けながら、思わず木目の天井を見つめて呟いた。


「かわい……って、言わないかな、普通……」


 そう、散髪を嫌がる教会の小さな子ども達を飽きさせないため、よく褒めていた。男の子なら偉いだの誰々みたいだの、女の子にはそれこそかわいいと。思えばそれで赤くなっていた子もいたっけ。


「お、シリウス、そんなことに突っ立って、なにしてんだ?」

「ハレー」


 驚き終わるとなんだかおかしくなってきて、シリウスは小さく噴出した。あの人は大人とはいえ、ある一面は幼いのだと思う。事情は悲しいけれど、そういう意外さに少しほっとしてもいる。

 森からちょうど帰ってきたハレーに笑いながら答えた。


「いや、メルってかわいいなと思って」

「あのさーお前さー、よく言えるよな、いくら俺にとはいえ。あーやだやだ、若いからかねー?」

「いえ、そういう意味じゃなくて、一般論としてです」

「何言ってんの? 説明は要らないけど。おーい、メルー」


 ハレーに弁解しながら、一緒に土間へ向かう。

 隠れるように後ろを向くチョコレート色のローブ姿は、まだもう少し、振り向かない。









 


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