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過去への放浪<4>

 未だかつてなく穏やかな生活の中に、季節は廻った。

 雪のちらつく冬が過ぎ、命輝く春夏が訪れ、実りの秋が色づき、また冬が来る。医師として患者を診る傍ら薬の研究に励めば大抵の一日は終わったが、そんな中にも多様な出来事が入り込んで日々を変化させた。

 それはハルサキナミキの早とちりと嘘のような話であったり、近所の娘であるニシウミコノミのトウフウに対する淡い恋であったり、またハヤテの成長と仕事ぶりであったりした。そのたびに何かと理由をつけてクリバラの酒場「千鳥」で酒盛りをする。

 あれほど長かった一年が、あっという間に通り過ぎていく。


「よかったな。ここに来れて、よかったな」


 ハレーはいつか、噛み締めるようにそう呟いた。

 今更礼も言えなかったが、天気の良い午後に、しばらく黒羊の悪魔人形を膝に抱いて撫でていた。いつも自分の都合で振り回してきたのに、絶対に見捨てようとはしなかった唯一の相棒。


「そうだね」


 窓の外の子どもたちの明るい様子を眩しく見つめながら、肯定だけを返した。

 いつしか陽気が肌を湿らせる。枝を茂らせ花を散らす風景は、もう春を過ぎて初夏になろうとしていた。

 


 .*;*.*;*.*;*.*;*.*;*.*;*.*;*.*;*



 出会って二度目の季節といえば、決して短い期間ではない。まして相手がうだつの上がらない青年ならなおさらのこと、遠慮も失せる。


「カロン~……俺もう無理。疲れた。暑い。帰る……」

「やかましい! 元はといえば君が失敗したんだろ、手伝うのは当然だ」

「だからって、重すぎるだろ……! なんだよこの肉の塊とわけのわからん球根の群れと鉢植えの気色悪い雑草と」

「誰が雑草を買って帰るんだこの藪医者! 人の薬で評判を上げてる現実を少しは思い出したらどうなんだ?」

「へーへー……薬種屋を営んだらさぞかし儲けることでしょうねー」

「君の診療所なんてすぐに潰してやれるだろうね」


 カロンは自身も荷物を両手に抱え、何もかもに皮肉を返した。ハレーが独り、頭上を気持ちよさそうに飛んでいた。

 事の始まりはトウフウが勝手にカロンの研究材料を使ったことにあった。大抵のことは気に留めないカロンだったが、この行為は魔女の気質を完全に逆撫でした。今や空き部屋の面影もない煩雑な一室に踏み込まれ、生活の一部である研究に水を注されるのは耐え難く、しかも試作品は完全な失敗作であったのだ。許せるわけがない。

 謝罪や言い訳をしばらく完全無視したのに音を上げ、侘びとして好きなだけ買い物につきあうと言い出したのはトウフウのほうだ。そして診察を半日で切り上げた今日、生ぬるい風吹く曇天の中を春の町の西端まで買出しに来たのだった。

 カロン以上に重い荷物を抱えなおし、石畳を歩きながらトウフウが嘆く。


「ていうかさあ、雨降りそうじゃねぇ? 俺、くじけるよ……」

「ああ、気温も高めだし、君と出かけるとろくでもないね」

「根に持つなー……そんなんで人生損しない?」

「大丈夫だよ、取り返すから。今みたいに」

「さいですか」


 取り留めのない会話を交わしながら馬車のある小さな駅を目指す。流石にこの状態で中央通りの診療所まで歩くのはきつい。何かあって貴重な材料を無駄にしてしまうのも耐えがたかった。

 だが西部域は活気ある中央地域に比べると、閑静で緑が多く目に付いた。この時期、住宅の庭に植わるライラックが木に白い花をつけていて、散歩には適している。


「そういえば、こんな天気だったよなぁ」


 汗ばむ暑さの中のろのろ歩きながら、しばらくの沈黙をトウフウが破る。「何が」と問えば、懐かしむように空を見上げて破顔した。


「お前と初めて会ったの。季節は初冬だったけど。雨が降る寸前で、やっぱり買出しに来てたんだっけ。俺が中身ぶちまけてさ」


 カロンも釣られて口元を緩めた。思えば、予想もしない不思議な縁だった。


「……拾ってやったんだったね。ドジな男がいると思ったのかな」

「はは、俺は、お前のこと浮浪者だと思った。顔が見えなかったから」

「ま、なんでもいいけどね。実際そうだったし」

「でも、雨が降り出して……目が合って、声聞いて、そしたら」

「うん」

「天使じゃないかって、思ったんだよな。あの時。お前、空が割れるって、予言した。それですぐ雷が落ちた」

「偶然だよ」

「それで、落ちてきたんじゃないかって。割れた空から、天使が落ちてきたのかって。だったら……どうにかして天に戻してやらなきゃなって、そんなこと、思った気がする」


 自分で自分の事を悪魔だと言った人間に、あっさりとそう言ってみせるのが、トウフウらしいと思った。

 

「戻すって、どうやってだよ……馬鹿だなぁ。余計なお世話だよ。元に戻すなんて、出来っこないんだから」


 照れくさいような、ほろ苦いような気分を吐き出すために答えた。トウフウも曖昧な相槌を打ち、また空を見上げた。風が心地よい。雨の匂いがする、とハレーがキイキイした声で言った。

 平和な土の道は裕福な住宅の間を細く長く続いていた。白を基調とした建物がほとんどで、緑とのコントラストがさわやかに映える。

 だから余計、目に付いたのかもしれない。

 窓ガラスが割れ、荒れて朽ちようとする一軒の家屋が。


「――――」


 周りに人影は無い。元々手入れされていただろう広い庭は、雑草に侵食されて境目を無くしていた。白かったはずの壁は土ぼこりで変色し、蔦が伸びている。日のあたる窓辺にはくもの巣が煌いていた。

 その様子にひどく違和感を覚えた。何気なく見ていたはずの視線が離せなくなる。違う。違うんだ。ぜんぜん、そうじゃなかった。そうじゃなかった? 

 なぜだろう。

 風景が狭まり、ぼやけていく。いつの間にか喉が渇いていて、声が掠れた。


「あ、の……この家は」

「ああ、ここは……うん。元々は、金持ちの商家が住んでたんだ。船での貿易だから、家主は家を空けることが多かったんだと思うけど……そのせいでもないか」


 嘘みたいに心が塗りつぶされてゆく。覚えのある感覚に包まれる。トウフウのする話が半分頭に入ってこないのは、なぜだろう。足が動かなくなるのは。あの窓辺に誰かの幻が見えそうなのはなぜ。

 声が別の場所で鳴っている。


「俺がちょうど生まれた頃か、その前かな……この家の女の子が神隠しにあったんだ。なんでもない午後に突然いなくなって、大騒ぎになって、でもどこを探しても出てこなかったらしい。すげえ綺麗な子で、家族も評判の美系だったから人攫いにあったんだとか言われたらしいけど、それで一家みんなバラバラに――」


 ウタゴエが響いていた暖かくなった日差しを浴びて、緑が輝き花々が蕾をふくらませる春の庭で、まだ幼いその女の子は覚えたばかりのお気に入りの曲を惜しげもなく披露していた、家の窓辺で目を閉じて聞いていた老婆は声が途切れるとにっこりと微笑んだヤッパリオマエハトテモイイコエダネ。

 

「神隠し?」


 うそだ。

 偽りの記憶だ。

 これはちがう。似ているだけだ。よく見れば、全然似ていない。


「どうか、したか? 大丈夫か……?」


 いつの間にかハレーが肩に乗って不安そうな目をしている。ああ、なのにどうしてだろう。答えられない。色褪せてざらざらした光景が目の前に重なる。老婆が朽ちた窓辺に座っている。そして、雑草にまみれてあの子が答える。心底嬉しそうにはにかみながら。


『うん! かしゅになって、おばあちゃんにももっとたくさんうたってあげるね!』

「誰!!」


 幻聴に意識を犯されて悲鳴を上げた。誤魔化せなかった。耳を塞いでも目を閉じても無駄だった。だってあの光景が身体の中にある。膝が、全身が震えた。荷物を放り出しトウフウに向かって叫んだ。誰なんだよ。誰だ。そいつは誰だ?


「っ、どうしたんだ急に……おい、落ち着けよ。もしかして知り合いだったのか? 確か、この家の人は、……ゆりかぜ」

「やめて……っ」


 聞きたくない。聞きたくない。地面が揺れる。世界が崩れる。そんなことをしたら思い出してしまう。無いはずの、蓋をして切り捨てたはずの記憶を、あの子を認めざるを得なくなる。そうしたらどうなる? 『わたし』は? この意識は? この身体の存在は?


「カロンっ!?」

「メル!」


 ぞろりと怖気が這い上がり、全身を覆い尽くした恐怖に、無様に転げるように逃げ出した。

 寒い。寒い。凍えそうなほど寒い。いくら息を吸っても足りない。苦しい、痛いイタイイタイ。


「はっ、はあ……ふ、っ……」


 ぐちゃぐちゃに曲がりくねった乾いた道を駆けるうちに、また現実が遠のく。急に景色が開け、曇天の下春の丘は柔らかい新緑に包まれている。足を踏み入れるとバッタが跳ね、遠い鳥の声が響き、真っ黒な染みのように蝶が羽を広げた。

 生ぬるい風が髪を撫でた。

 膝が折れた。身体の震えが止まらない。もうやめて。願いは当然のように届かなかった。


『こんにちは』


 小さな片手にいっぱいになるくらい赤い野苺を集めた頃、女の声が響いて、顔を上げた。春の草原の真ん中で、赤い宝石は手のひらからどろどろと零れ落ちて滴った。


『見つけた。とってもかわいいね』








 全てを思い出した。

 あの人と出会った場所。

 人生が終わった場所。

 あの子が、ユリカゼミオが生きていた場所。幼い頃あれほど望み、そして絶望した思い出の地。

 誰も知らないこの町なら、きっといいだろうと思った。許されないことを思い出さなくても生きてゆけるはずだと思った。

 目が覚めた。幻に嘲笑われ、今更人間じゃないことを思い出した。

 ああ、どうして常に寄り添ってきた劣等感と絶望を忘れていられたのだろう?

 雨が落ちて、メル・カロンは立ち上がった。

 暗い空の中を必死に進んでくる小さな悪魔人形に向かって微笑んだ。

 もういい。

 帰ろうね。

 墓場に。

 あの人が死んだ、星の森に。


















 


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