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過去への放浪<1>

「カロン先生! みてみて、貝殻珍しいやつ!」

「ふぅん、いい色だね。浜へ行っていたの?」

「そーだよ、海藻拾いに来る? ちゃんと見分ければおいしいんだよっ」

「ナナミちゃんの方がイキがよくておいしそうだけどね~」


 診療所の窓を開けて顔見知りの子どもと話していると、「寒い閉めろ!」とトウフウに怒鳴られた。いちいちうるさい。あれは患者のためじゃなくて絶対に自分が寒かっただけだ。寒いからといってずっと閉め切っておくほうが問題だというのに。


「そんなに寒いなら毛皮でも着込んでろっての」


 トウフウへ向けて言い放ち、わざと窓を全開にしてカロンは診療室を出た。背後で情けない文句が聞こえた気がしたが、さっぱり頭には入ってこず少し愉快なほどだった。

 続く待合室は相変わらず混んでいた。年寄り、女性、青年、これといって偏りもなく、自分の姿を認めると小さく挨拶する。それに対して目礼だけ返しながら思う。

 あいつは変わってる。

 間違いなく人間でありながら、社会に隷属するのでもなく、世俗から零れ落ちるのでもなく。いわゆる聖人のように上から導くでもなく、同じ場所から手を伸ばす。理由なんか無視して、直感で、感情で、疑いもせずに、器用でもなんでもないくせに。

 わがままな良心とでも名づけたら良いだろうか、と勝手なことを考えながら受付のある玄関フロアへ出ると、トウフウの助手である少年ハヤテと目が合った。

 

「寒いね」


 ここはやはり診療室より気温が下がり、冷気が目に見えるようだ。笑顔で話しかけると、受付に座るハヤテはにこりともせず唇を引き結んだ。ここで生活するようになって一月近く立つが、この真面目な少年は自分のことを認めてはいない。別に万人に好かれたい願望があるわけでもないから構わない。ただ子どもだから話しかけるだけだ。

 返事を待たず外で待つ子どもたちの所へ行こうとした。予約も無いし、しばらく担当の患者は来ないはずだ。まあ来たところで正式な医者であるトウフウがどうにかすればいいと思いながら。


「……イヅキに負担かけるのは、よして」

「――――」


 木目のドアに手を掛けたところで声が掛けられて、一秒考えてしまった。この声はハヤテだ。それはそうか。ハヤテはトウフウのことをイヅキと呼ぶ。

 カロンは振り返った。


「そう見えるんだ。それともあいつが何か言ってた?」

「イヅキは何も言わないよ。何人押しかけてきたってどんな奴が来たって他人には言わねぇよ」

「そう、じゃあハヤテ君が思ってるわけだ」

「そうだよ。あんたは確かに医者としての腕はあるみたいだけど、そんな性格じゃ意味無い」

「よく言われるね。自分でも思うよ」

「そういう投げやりな態度がうざったいんだよ……!」


 ハヤテが声を荒げかけて、同属嫌悪という言葉が頭を掠めた。

 無意識に、耳につけた性別破損の魔道具に触れる。これをつけている間は性別が失われ魔術が使えない。他人の思考も遮断されるし身体制御も出来ない。無理矢理呪文でも唱えれば効力が押しつぶされて魔道具は壊れてしまうだろう。

 だけれど、ほんの少しならば行使できる。その僅かな魔力とこれまでの人生経験がハヤテの心の端に触れた。


「君はトウフウに拾われたの?」


 そしてハヤテは彼を散々困らせたのだろうか。どんな状況でもその時点で子どもだったとしたら、トウフウも余計神経を使うし手が掛かる。あいつは馬鹿じゃないが別に器用じゃない。今の冷静な様子からは想像できないが、なんとなくそんな気がした。魔術師にとってそんな気がするときは、大抵事実だ。

 ハヤテはあからさまに眉を寄せて低い声を出した。


「そんなこと、どうだっていい。でもあんたがイヅキに負担をかけるのは許せない。俺は甘い顔なんてしないから、絶対に」

「トウフウが好きなんだ。好きっていうか、大事か」

「そんなんじゃ、ない。放っといたら余計なことばかり背負うから、苛々すんだよ。もう、いいだろ……さっさと行けよ」

「うん」

 

 杞憂だ。健気な決心に、ちょっとだけ口元が緩んだ。ハヤテは嫌な役目だと承知してもトウフウのストッパーになろうとしている。

 ドアを押し開けてから振り返り、伝える。


「ハヤテ君が居なかったら、トウフウは間違いなく明日の予定さえ分からない。見ず知らずの他人の世話をしようとも、決して思わないよ」

「――――」


 返答は無い。

 全身を包んだ海辺の風は、沁みるように冷たかった。


 

※゜゜゜※。。。※゜゜゜※。。。※゜゜゜※。。。※゜゜゜※

 

 

 この町が人も雰囲気ものんびりしているのは、食物が豊富であることが大きな要因だろうと思う。

 海産物はもちろんの事、緩やかな山が近く畑の食材も手に入る。偶に港に船が着けば、異国の珍品も市場に並ぶ。別名を「春の町」と呼ばれる所以は身に沁みてわかった。

 今は寒い季節だが、雪も積もらない程度の寒気だった。

 ハレーと子どもたちは鼻を赤くして浜と岩場を探索している。トウフウの診療所は、中央通りと呼ばれる中心地から一本裏手の場所にあり、家々の隙間、北への傾斜道を下っていくと海が見えてくる。視界を埋めるように青く広がる爽快な風景が、カロンは好きだった。


「先生、ヒトデとったよー!」

「本当だ。すごいね、水の中の星みたいだね」


 手を振る子どもに笑顔で答えながら、別のことが胸を過ぎった。

 星。星の森。金色の、最も輝く星。子どもたち。全て終わってしまった思い出として蘇る。誰も知らない土地へ来ても自分だけは自分のことを知っている。別人にはなれない。唯一の方法は、死だけなのだと思い知る。

 海へ向かって吹く風を浴びながら波打ち際に立ち尽くしていると、ハレーを連れた女の子が心配そうな顔でこちらを見上げてきた。


「カロン先生、大丈夫? どっか痛いの?」

「痛い、のかなぁ。違うような、よくわかんないね。ちょっとだけ苦しいけど、気のせいかもしれない」

「病気? 治せないの?」

「どうだろうね。治せると良いけれど」


 決定的に壊れてしまったものを直すなんて、無理だと知っていた。どんな過去も思い出したくなかった。いい思い出は酷い辛さを引き立てるだけだ。せめて少しでも忘れていたい。この町は思いのほか居心地がいい。ぎすぎすしたところが無くて食べ物が豊富で、景観もよく子どもも素直だ。トウフウのような人間も居る。少しくらい揺らいでもこれ以上は無いと思う。

 それでも時折無性に遠くに行きたくなる。その度に醜い理性が問いかける。

 これ以上、どこへ? どこへ行っても同じなのに?


「おいしいもの食べないと!」

「ん?」


 小さな手にぐいと引っ張られたと思ったら、そのまま駆け出す羽目になった。誘導されるのは来た道、ということは当然坂道だ。元気な子どもについていけば息が切れるから、こういう時は耳飾を外したくなる。

 女の子は診療所までとうとう走りきり、飛びつくように窓を叩いた。トウフウが寒そうな顔で窓を開け、女の子が言うのが聞こえた。


「トウフウ先生、カロン先生はおいしいものいっぱい食べないとだめだよ!」

「カロン? あいつはあんま食べないけどな~」

「言ってたじゃんっ、病気が治せないような気がする時はおいしいものをお腹いっぱい食べるしかないって」

「病気?」


 トウフウの視線がこちらを見た。まだ微かに息が整わなくて何も言葉が浮かんでこなかった。ひどい不細工ではないが確実に美男子ではない。平凡で隙だらけな容貌。だから、誰でもが親しむ。

 少し考えていたトウフウは納得したように頷き、女の子の頭をぽんと叩いた。


「その通りだ! 病気が治せないような気がするときはおいしいものを食べるしかない!」


 まあつまり、こいつは馬鹿なのだ。


 




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