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例えば何だったとして<3>

 自分で言うのもなんだが、うちの診療所は大抵混んでいる。理由は腕がいいから。といいたいところだが、実際は親が医師で、長らく同じ場所で門を構えていたせいだ。父親が名医と評判をとり、現在秋の都の学校に講師として招かれるほどである。そんなわけでトウフウは運よく信頼ごと譲り受けた形で後を継いでいた。


「あー……ツキタニのおばちゃんの話は相変わらず長い……」


 仕事に慣れるには慣れたが、夕暮れ時に診察を終えるとぐったり疲れるのは変わらない。肩がこって首の骨が鳴った。人情味がある町なのだが、その分話好きが多くて相手をし続けると著しく消耗する。これから往診に行く場合もあるのだが今日は予定がなく、ほっとして椅子の上で大きく伸びをする。

 そういえば。

 思い出して、昼飯は取らせたが、飽きもせず部屋の隅で書物を読み耽るカロンを眺めた。あの雨の日の様子からてっきり医者で、珍しくもない医学書ばかりだろうと思っていたのだが、そうでもないらしい。


「面白いか? そんなに」

「うん」


 素直な返答があって、意表を衝かれた。気ままで天邪鬼な面ばかり見てきたせいか。

 カロンは文字から目を離さぬままぶつぶつと、


「ある程度治すことはできても、結局医者じゃないからね。こうやって医学としてみると、真偽はともかく興味深くはある。視点が単純だから、そこが……」


 夕暮れの光がカロンの瞳に映りこんでいるようだった。至高の色に煌めく。少し興奮した口調に知的好奇心がはっきりと感じられて、トウフウは思わず口元を緩めた。


「お前、真面目なんだな」

「は? 何?」

 

 途端に視線がこちらを捉え、カロンの眉が顰められた。やれやれ、そんなに些細な事で身構える必要もなかろうに。


「だってそんなの普通、ずっと集中して読み続けるなんて出来ねえよ」

「別に真面目なんかじゃない。ただ知識に興味があるから読んでるだけだ」

「それを真面目って言うんだろ」

「言わない。ただの興味。好奇心」

「はいはい、じゃそーいうことで」


 絶対に認めないだろうことはわかったので、トウフウはわざと軽口を叩いた。近所のガキ共を診察することも多いので、その要領と一緒である。

 カロンは一瞬黙り、本を閉じると、おもむろに立ち上がってこちらに近づいた。何だと訝しげに見上げると、無表情の麗人は「疲れてるんじゃない?」とトウフウの肩に触れた。触診するように撫でられ、ほぐしてやるからと近くの寝台に引っ張られる。なんだか意外で、されるがままになっていたのだが、寝台にうつ伏せになってからはたと気付いた。

 もしかして。こいつ。

 嫌な予想が頭をよぎり――――


「ちょっと刺激的かもしれない、けどねっ」

「ぅいつ゛っ!! いてぇっ、痛い痛いいだい、ぎゃーーーー!?」


 断りはあまりにも遅かった。後の祭りとはこのことだったのだ。ひどい、ひどすぎる仕打ち。

 だって死ぬかと思った。たぶん絶叫した。何か色んなものが漏れそうだった。あと泣いた。暴れようにも麻痺するようなあまりの痛さと不利な体勢に力が入らず、カロンは好き勝手に腰やら背中やら足やらをごりごり押してきりきり捻ってぐいぐい伸ばした。乱暴すぎて按摩などと認めたくない。いや認めない。絶対に認めてたまるか。

 助けを呼ぼうにもハヤテはタイミング悪く買い物に出ており、羊コウモリはげらげら笑うだけ。

 カロンが満足して手を離す頃には、トウフウは生ける屍と化していた。


「ふぅ、まーこんなところかなー?」

「……――ぅぐうぅ……」


 蹂躙されたトウフウは薄闇の診療所でぐったりしたまま呻いた。汗か涙か不明なものが一筋頬を流れる。今の気持ちを一言で言うとしたら、もう真っ白だ。別に清々しいわけでもなく。何かが終わった気がする。

 すっきり顔で自己満足するカロンの声を聞きながら、しばらく放心していた。

 だが許せるはずもない。ふつふつと怒りが沸いてきて、トウフウはがばりと跳ね起き、脇に立つ胸倉を力任せに掴んだ。


「この野郎好き勝手やりやがって、大人気ねぇんだよあれくらいの台詞で――!」


 そうして。

 引きずられてあっさりとよろけた身体は、肩からシーツにぶつかりトウフウの横に勢いよく倒れこんだ。

 刹那に鼻を抜けたのは清涼な甘さ。だから怒りが根こそぎ溶けてしまう。はっとして両手をついて身を起こせば、痛みに閉じられた相手の瞼が開く瞬間だった。僅かな光源の中、至近距離で表情が鮮やかに動く。

 乱れた短い髪、揺れる耳飾、呆然とした瞳、息を呑む唇。肌の、陰影が。

 理解したのは本能。ああ、こいつ、は……


「――せんせい、トウフウ先生? いませんか……」

「っ、」


 時を動かすように、日常に呼び戻す声がした。我に返り、身を起こして、咄嗟に相手の腕も掴んで寝台から降ろす。触れた自分の手が熱く、今更に動悸がした。なんで、こんな、本当に今更。カロンは闇に顔を伏せたまま。


「あ、いらっしゃったんですね。よかった。母に言われて夕ご飯の足しをどうかと……」

「えーと、コノミちゃん。うん、いつも、申し訳ない……」

「? どうかしましたか?」

「え、いや」


 カロンが手を振り払って背を向ける。明らかな怒りの態度に内心ため息を吐きながらも食い下がった。


「おい、俺も悪かったけどそれだけじゃねえだろ……」


 返答は熱を帯びている。当たり前の感情が新鮮に感じるなんて言ったら、口も利いてもらえないだろうか。


「いつ、君が悪いなんて言った?」

「このくらいのことで出て行く気か?」

「まるで家出するみたいな言い方だね、人聞きの悪い」

「挑発するなよ……ホントに痛かったんだからな」

「自分の身体の不具合がそうさせたのに自覚もないのか」


 言われてみれば、身体が随分と軽かった。一体いつ以来だろう、肩や腰の痛みがすっきりして疲れも飛んでいる。こんなに変わるものなのか、とようやく感心する。


「お前……やっぱすげえなあ」

「はっ?」

「でも痛すぎるだろ」

「それは自業自得――」

「あのっ!」


 埒が明かないループ地獄に陥りそうな中、救いの使者はすぐ傍に居た。夕飯のおかずを所在無さ気に持った女性、ニシウミコノミさんだ。近所に住んでいて時々診療所を手伝いに来てくれるすごく優しい子で。

 コノミは真っ直ぐな黒髪を揺らして、困ったように微笑んだ。


「もうこんな時間ですし、せっかくですから、皆さん一緒に食事でもどうですか?」









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