白の騒動<2>
「広いなあ。建物があんなに遠くにあるよ。玄関は、開いてなさそう」
「はあ、そりゃあそうだろうけどね……」
「じゃあ、入れるところを探さないといけないね!」
「なんでだ!」
開け放しているほうがおかしいわけで、ぱっと見て玄関を避けようとするアンクにシリウスは眩暈を感じた。大体今でさえ不法侵入なのに、これ以上立場を追い込めば弁明も出来ない。それとももうやってしまったのだからどこまでも突き進もうという精神なのか。あの建物の中まで? そしてメルに会うまで? どう考えても現実的じゃない。
「アンク、いい加減にしろ」
「でもさ、こうでもしなきゃ接触できないでしょ。当てなんか全くないんだし」
「そりゃそうだけど、それとこれとは別問題で」
「正論で全部上手くいくならいいんだけどね〜」
「極論でいらないリスクまで背負うのがいいやり方なのか?」
言い合いながらもアンクにつられる形で屋敷まで辿り着いてしまう。黄色味がかった灰色の建築物は周りを見下ろすように鎮座していた。庭も母屋も質素とは異なるが、装飾がほとんどなく無駄を一切排除した殺風景を作り出す。
その威圧感ある建物の周りをこそこそと歩き回る気分は、どうあってもいいとは言えない。アンクの言い分にも一理あるため、止めるに止めきれない自分を情けなく感じながらシリウスは気配を探った。
「あ、あそこ、ドア開いてるよ?」
「使用人の人達が使ってる感じがするけど……」
「じゃあさ、上手くやれば入れてくれたりして?」
「うまくって、どういう……」
勝手口に見える小さな扉は玄関から右側に進んだ方向にあり、どうやら洗濯室のようだった。今は中に人の姿は見えない。覚悟を決めて覗き込んでみる。
「すみません……」
洗濯用の大きな鍋とアイロンが暗闇の中に浮かび上がっている。人影は見当たらず、奥に廊下へ続く扉が開いているのが見える。随分と無用心だなと思った瞬間に、部屋の中で影が動いた。
「きゃうっ!?」
「うえっ?」
物陰で見逃していたらしい。忽然と薄闇から姿を現したのは、波打つ短めの髪をもつ中性的な顔立ちの人物だった。
小柄な身体、はっきりとは見えないがブラウスに短いベスト、かっちりしたパンツと黒いブーツを身につけた姿で、使用人にも貴族にも見えず、町人が迷い込んでいるような奇妙な錯覚を覚える。
右耳につけられた青いピアスが煌いて、シリウスは我に返った。
「あの、すみません突然こんなところから……実はお尋ねしたいことが――」ところが言いかけた台詞は悲鳴にかき消された。
「見た? 鍋焦がしちゃったの見たでしょっ! うわぁん怒られる! もう強盗にしちゃって始末するのがいいよねっ、オリーブちゃんオリーブちゃん曲者だよーー! 当主を狙う暗殺者が乗り込んできたよ〜!」
なんのことだ。鍋? 暗殺者?
まったくもって意味がわからない。思わず呆然とした。
ただ、非常にまずいということだけは理解できた。いや、きっと最悪だ。一番駄目なパターンを引き当てた。わあわあ騒ぎ立てながら廊下へ駆け出していく性別のはっきりしない人物を追いながら、シリウスは胸中で吐き捨てる。
「ちょっと! 違いますってばっ! 話聞いて――」
「うわ〜だめっぽいね。早とちりってやつかな??」
「なんか違うだろ、あの人、鍋焦がしたとかなんとか……! っていうかアンクはなんでそんなにのん気なんだよ!」
「そういえば焦げ臭いよね。あの人は魔女、なのかな」
隣を走るアンクの台詞にどきりとした。
魔女かもしれない。使用人じゃないならその可能性が一番高い。メルを知っているだろうか。聞きたい。聞きたいけれどその前に誤解を解かなければどうしようもない。
「オリーブちゃん助太刀ー! 襲撃だよっ」
「えっマフィー? 嘘?」
「だから――」
ちがう、と言いかけて廊下を曲がり、シリウスは反射的に飛びのいた。
何か小さなものが足元を転げて黒い煙を発したからだ。マフィーと呼ばれた人物が投げたらしく、その匂いを嗅いだだけで軽い眩暈がして目の前がぶれた。
「これ……!?」
「やばいね、仕方ないから魔術使うよ」
いつの間にか持っていた木の杖を握り締め、アンクが呪文を唱える。風が巻き起こり、煙も得体の知れない物体も遠くへ吹き飛ばす。
そうして晴れた視界に映ったのは、おそらく魔女であるマフィーと、もう一人黒いドレスを着た非常に肉感的で妖艶な美女だった。獣のような鋭い美貌に気おされそうになる、黒髪と白い肌の、まさに魔女の手本のような容姿だ。
「あのっ!」とシリウスは思い切って声を張り上げるが、
「わーー! ほらあの子魔術師だよっ、早く殺しちゃわないとまずいよ!」
「え? まだ子どもじゃないの……。でも当主には世話になってるのよ、覚悟しなさい」
「あ、ノヴァの悪魔人形にも手伝ってもらおっか」
「話を聞いてって……!」
おそらく意図的にマフィーがシリウスを遮って、マフィーの後ろから羊頭人身の悪魔人形が斧を抱えて現れる。美女の険しい視線がこちらを見据える。
「ああもう、まったく――」
問答無用とはこのこと。広い廊下ですれ違ったままの戦闘の火蓋が落とされてしまう。
仕方ないか。
シリウスは腰から使い慣らしたナイフを抜いた。気分に反して黙らせろ、と胸の奥でうずく何かがあった。最近それの正体がわかるような気がしていた。すなわち、本能。
「sisisiiii――」
羊頭の悪魔が斧を振りかぶって襲い掛かってくる。アンクに肉弾戦はキツイと判断し、妨害するために息を詰めて立ちふさがる。聞き取れない鳴き声を上げて悪魔人形が斧を振り下ろす。相手の斜め前に飛び込んでその攻撃をかわした。力は強いが対応できないほどの早さではない。
シリウスが意外と冷静に判断している間に、美貌の魔女が呪文を唱える声が聞こえた。