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意志と選択の旅路<3>

「僕は村を出るよ」


 平静な声が耳に飛び込んで、思わずシリウスの手から力が抜けた。荷車で運んでいた作物が三つほど地面に転がり落ちる。慌てて一つ拾い上げる間に、妙に焦って言うべき言葉を纏めていた。


「村を出るって、どうして急に」

「急なのかなぁ。シリウスは全然思ったりしなかった? ずっとここにいて平気? 一生?」

「え、俺は――」


 幼馴染の少年、アンクの手が残りの二つを拾い上げ、シリウスの目の前に突きつけた。

 もうすぐ夕暮れ時で、農作業の間に適度の疲れがたまっていた。秋の風が火照った肌に心地よい。だがまた適正な体温を見失う。


「不満ではない、よ」

「不満かあ……」


 口にした言葉には予想したよりもずっと力がなかった。

 本当のことなのに。教会で育ち親が居なかったとはいえ、ランスロットや仲間に囲まれて賑やかに過ごしてきた自覚がある。大人にも邪険にされたことはなく、どうしてもこの村が嫌だという気持ちはない。

 シリウスの気持ちを察したのか、アンクは畑の脇にある石の上に腰掛け、顎に右手を当てた。


「うん。それはね、わかるけど……僕が言いたいのはそういうことじゃなくて。意志というか、自分の気持ちの問題。えーと、だから……なんていうかな、要するに」

「うん」

「そうだなあ、条件の問題じゃなくて」


 つい口を挟んでしまいたくなるけれど、アンクが言葉を見つけるまで待つ。魔術の才能のせいでずっと言葉に戸惑ってきたアンクの苦労を諦めに返したくはない。


「たとえば僕だったら、魔術師だっていうこと、シリウスしか知らないことになってるでしょ。つまり、ここにいたら一生僕は自分を抑えて、言えない秘密を抱えて過ごさなくちゃならないよね。僕は魔術のこと、少しも恥ずかしいとか、悪いことだとか思ってるわけじゃないのに。それって結構、苦しいかもって思った」

「でも、俺だって!」


 つい声が大きくなって気持ちが乱れかける。警邏に所属してまた一つ年齢を重ねて、少しはましになったかと思えばすぐにこれだ。ため息の代わりに深呼吸をして、なるべく感情的にならないように続けた。


「俺も、魔術は悪いことだなんて思わないよ。みんなもそれでアンクのこと避けたりしないと思う。それじゃ駄目なのかな」

「……うん。そうかもしれない。でも、ここは聖教の村で、摂理抗争のこともあって、みんなに迷惑かけることかもしれなくて、僕はそうなったら耐えられない。ずっと言わなかったけど、ユーゼのこと」

「ユーゼ?」


 ユーゼとはランスロットとともに教会に所属する女性の祭司だった。いつも微笑みを絶やさない人だが、儀礼的で模範的な性格が人を近寄りがたくしていた。ランスロットと居るとまるで対の絵に見えた。


「知っていたと思う。僕が、魔術師だってこと。僕が知る前から。たぶん、生まれたときから」

「……どうしてユーゼが?」

「それはわからないけどね……小さいころから何度も聞かされたんだ。僕は普通じゃないって。だから守ってあげるって。いい子にして大人しくしていろって。そうすれば赦されるからって」

「なに、それは」

「そのままの意味なんでしょ。僕は、ユーゼが言うこと、守ろうと思ってた。だって子どもって大人に見捨てられたくないものだからさ。ちょっと必死だったかもね。他人の考えてることがわかっても知らない振りして、馬鹿みたいに何にもわからないみたいに笑って喋って」

「ずっと……?」


 何も知らなかった。同い年で同じ教会で育ち長い間友人だったのに。アンクは一人でずっと苦しんでいたのか。諦めて、影で悲しみ、憤っていたのか。

 シリウスの問いに、アンクはちょっとだけ緩やかな笑みを浮かべた。


「まさか。シリウスやヒメリエや皆といるときは、楽しかったよ。取り繕ったりほとんどしなかったし。まあそれはいいんだけど、そういう理由で僕は村を出る。魔術師としての自分を殺したくないんだ。その結果諦めるしかなかったら、そのときはそうしようと思う」


 足元の枯れ草を見つめてみても、言うべきことが見当たらなかった。考えて、考えた末にアンクが自分で決めた答えなのだ。シリウスがどうこう言って掻き回していいことではない。

 しかし、どうしてわざわざアンクが報告しに来たのか、わからないほど愚かでもない。

 以前よりもずっと力強くなった黒髪の少年は、真っ直ぐに視線を合わせてきた。


「シリウスは?」


 魔術で心を読んだわけでもないのに、見通されていた。見通すまでもないのかもしれなかった。そんなに単純だっただろうか。俺は。教えて。いや、言うな。


「一緒に――」

「待った。全部聞かされるだけだとか」


 冗談じゃない。そこまで弱くない。アンクの背後に横たわる広大な星の森を見据える。

 あの人はついに帰ってこなかった。

 春から、淡い期待を抱いては時々あの家へ行った。苦しくなって短い手紙を書いた。家の窓はいつまでも開かないまま、眠っていた。そこにいない人に尋ねたかった。

 俺のせいですか。俺があなたの居場所を奪ったんですか。元気ですか。大丈夫ですか。せめて一目――


「行く」


 深く息を吐いて、真っ向からアンクの目を睨み返した。言ってしまえば、もうずっとそうしたかったのだと気づいた。いつまでも待っているばかりで全てが手に入るなんて都合がよすぎる。今なら行ける気がした。この意地だけで、あの人が言った世界というものを見てみたかった。そのときはきっともう一度会える。そう信じる。


「俺も村を出る」


 負けず嫌いだとアンクが嗤う。

 今はそれさえあれば構わないと、シリウスは唇を噛んだ。



















 −Last scene−


 


 虫も誘われそうな、月の綺麗な夜だった。淡い黄金がほとんど欠けることなく中空に浮かんでいる。冬をつれてくる月だ。冷たい風はこの地方にしては緩やかで、木々の輪郭が静かに浮かびあがり、砂のような星が微かに瞬く。

 出立するならこんな夜がいいと思っていた。荷物を背負いながら夜空を見上げて息を吐く。

 子どもたちの寝静まった教会はもう見えない。いってらっしゃいと、事情を知らない無邪気な声がわずかに耳に残っているだけだ。

 ユーゼには何も言わなかった。ユーゼも何も言わなかった。そうだろうなとわかっていたから、今度こそ納得しただけだった。

 ユーゼは祭司なのだ。

 彼女が見ているのは彼女の信じる神様だけ。

 それでいい。恨むが、そうじゃなければユーゼはユーゼではない。今になって無性にそう思う。


「さよなら」


 木戸にもたれかかって座り、無意識に呟いていた。

 シリウスはまだ来ない。何をしているのだろう。いっそ一人で行ってしまおうかと出来もしないことを思い、己を嗤ってみる。

 シリウスを挑発して、自分をもう戻れないところまで押しやった。本当は決断なんてかっこいいことは出来ていなかった。本当に行きたいのなら一人で行けばいいのだ。勇気もなく、自分のために友人を利用した。行くと宣言したシリウスが不思議で眩しかった。本当に行くのか。すごいね。君は本当にすごい。真っ直ぐで、強いよ。とても敵わない。

 穏やかな静寂に耐えられなくなり、立ち上がった背中に声がぶつかった。驚いて、少しよろめいた視界に一人の女の子が飛び込んできた。


「アンクっ! わたし!」

「あ……どうして、こんなじかんに」


 月明かりにふわふわした茶色の髪が踊る。寝巻きの上に羽織とマフラーをとってつけたように巻いた彼女は、夜でも陽だまりのようだった。

 誰でも、動物でも、生き物なら必ず求めてしまうもの。そういう暖かいもの。

 

「ヒメリエ」


 名前を呼ぶと、女の子はぱっと笑った。悪戯好きの妖精みたいな、いつもの天真爛漫な姿で言う。なんでかな、わたし急に目が覚めて、外に出ようって。アンクのこと心配になっちゃって。


「そしたら居たんだもん、すごいすごい!」

「うん、すごいね〜」


 頬が赤かった。息も切れていて、ヒメリエがずいぶん村の中を走りまわったのだと気づいた。


「でもヒメリエ、だめだよ。夜に抜け出したりしたら」

「ダメだけど、いーよぅ。だってアンクだっているんだもん」

「僕は、今は、いいんだよ。遊んでるわけじゃないし、……ねぇ?」

「わたしだって遊んでないよ! ちゃんと最近はお手伝いしてるし、色々めんどーなことも考えるよ?」

「うーん、そう言われると、だけど、ほら、もしなにか、あったら」

「へいき! へいきだから、泣かないで、アンク」


 ヒメリエの小さな手が頬に触れた。その感触はとても熱くて、震えるほど冷たかった。


「泣いてない、よ」

「悲しくないよ」

「嬉しいんだ」

「でもわたしはね、とっても寂しいの」


 ヒメリエの言葉がすとんと胸の中に飛び込んで、何度も瞬きをした。

 悲しくないけれど、寂しい。そうなの? そうなのかな。ああ、そうだ、ヒメリエはずっと――

 これまでの思い出が、走馬灯のように駆け巡った。


「ヒメリエは」


 物心ついて、出会った頃からずっと、傍にいてくれた。一緒に遊んでくれた。ユーゼの言葉に戸惑って、途方に暮れていた僕に手を差し出して、笑って、少しも怖がらないで、だからみんなと友達になれて、今日までたどり着けた。

 そうだったんだ。そうだよね? そっか。ごめん。ありがとう。どうしてかな。どうして君は。僕なんかにその手を。

 全部意味のない言葉だった。

 それくらい分かった。お礼を言いたくて、でも言うべきことじゃなくて、声を失った。

 

「何も言えなくて、ごめん」

「ううん。まだ間に合うよ」

「……ありがと。行ってきます」

「うん、いってらっしゃい!」


 その明るい笑顔に何度救われただろう。頬に触れる小さな手を下ろして、そっと指を絡めた。


「またね。また今度」

「うん。待ってるから、帰ってきてね」


 ヒメリエの手がマフラーを首にかけてくれる。礼を言うまもなく小さな姿が駆け去ってゆく。

 そして遠くから、シリウスの声が聞こえた。



















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