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意志と選択の旅路<1>

 メルが体調を取り戻すまで、シリウスは出来る限り傍にいた。

 初めは拒絶され、口をきくどころかこちらを見てもくれなかったが、めげずに世話をするうちに諦めたようだった。ハレーと苦戦しながら作った食事は置いておけば見えないところで食べてくれたし、ベッドから起きられるようになると一言二言は返事を返してくれるようにもなった。

 アンクに魔術を教えることは、ぴたりと止めた。魔術を見ることさえ気が滅入るようで、代わりに家にある書物を読んだり錬金具を使うことは許した。


「もうちょっと、色々聞いておけばよかったかも」

「うん……」


 ある秋の日、メルの家の大部屋でアンクがため息をつく姿に、シリウスは思わず視線をそらした。

 夏が過ぎた現在も、星の森の魔女は伏せってばかりいる。魔術に関する質問に上手く答えられないハレーが怒りながら落ち込む姿にも笑う気にはなれない。余計なことばかり考えてしまう。

 もう、彼女が冗談を言って笑ってくれることはないのだろうか。

 どうにも出来ないことを言って駄々をこねて人を煙に巻くことはないのだろうか。

 あの時、自分が家に戻らなかったら、今でもそんな風に過ごしていた?


「シリウスのせいじゃないと思うよ」

「なにが?」

「え、っと……だから……」


 ピリ、と特有の感覚が肌を駆け抜けて、シリウスは反射的にアンクを睨んでいた。

 弱っているときには、法力があるとはいえ簡単に心を読まれる瞬間がある。大体まだ魔術師として未熟なアンクが無意識に他人の思考を取り込んでしまうのは仕方が無いことでもある。

 だが、それはそれで別の問題であって、場面を無視していいわけじゃない。


「誰かのせいとか、そういう風に考えたいわけじゃないよ。俺は」


 アンクは書棚の前でぽかんとしていたが、すぐに本を置いてばつが悪そうに自分の黒髪を触った。


「……ごめん。人の心を覗くのとか、ものの言い方には気をつけるから。加減できないなんて言い訳したくないし。でも、シリウスもちょっと、冷静になったほうがいいと思うけど」


 まだ言うのかと、シリウスは無意識に奥歯を噛む。こういう会話はしたくないと雰囲気で伝えているつもりなのに、言った傍から全然伝わっていない。つい声に険が混じる。


「冷静ってどういう意味かよくわからない。俺はこれでも精一杯だから、アンクの目にどう映ってるかは知らないけど、これが素だとしか」

「だからね、僕が言いたいのはうーんと……シリウスまで、メルさんみたいに自分を責めるようになる必要はないってことかな」

「メルみたいにって、別に――」

「自分じゃ気づいてないみたいだけど、僕から見ると二人はちょっと似てるよ。だから心配」

「似てるなんて、どうとでも言えることだろ? アンクこそ最近魔術師を意識しすぎてみんなと」

「おーい……」


 ぱたぱたとハレーが間に割って入り、シリウスはようやく土間の方を振り返った。


「あ、メル……」「メルさん……」


 入浴を終えたらしいメルが、いつの間にか帰ってきて呆れ気味の視線をこちらに向けている。艶めく長い白髪からぽたぽたと雫が落ちて、チョコレート色のローブに吸い込まれる。

 魔女はすぐに目をそらしてテーブルの前の椅子に座った。誰の存在も無視し、気だるく薬草を調合し始める。

 シリウスはこめかみを引きつらせてテーブルの端にどんと手をついた。


「メールーさん? 髪くらいちゃんと拭けないんですか? どうしてタオルを最初から用意しておかないんですか?」

 

 苦言を並べ立てながらも綺麗な布を手早く用意して、メルの髪に投げかける。


「こういうことをちゃんとしないから! 体調が優れないんです!」

「うるさいなぁ……」

「誰のせいですか。大体その薬草はなんですか? 食事の代わりなんていわないでしょうね。そんなことばっかりしてるから――」


 眉を吊り上げて注意しながら丁寧に髪の水気をとってやる。メルは子どものようにふて腐れた顔でそっぽを向いているが、追い払いはしない。


「うーん……これは、これで、まあ」

「だよなあ……」


 本気で嫌悪しているのならメルは絶対に触れさせたりしない性格だ。アンクとハレーは顔を見合わせてこみ上げそうになる笑いをこらえた。以前と変わってしまった関係といえど、ずっと距離が縮まったように見える。微笑ましいとまでは言えないが、教会で子どもたちの世話をするシリウスは、人の世話ならきっとこの魔女よりもずっと得てなのだ。


 そんな風にこの年の秋もあっという間に過ぎ、また冬の気配がやってくる。シリウスが森の家を訪れた秋の終わり、メルは静かに荷物の整理をしていた。シリウスも問答無用で手伝った。ハレーを間に挟んで、それでも少ない口数で彼女が出立する準備を手伝う。

 昨年はみんながいて、寂しかったけれどにぎやかだった。あの人は別れを告げ、急に消えてしまい、心に穴が開くような思いを味わった。

 今年は冷静と呼べるくらい静かで穏やかな気持ちでいる。実際に行ってしまったら泣きたくなるかもしれないけれど、今はまだ平静でいられる。

 横を向いた拍子に、鞄に物を詰め込む彼女の横顔が目に入った。ぼんやりとして何も考えていないような目をしていた。考えないでいいのなら、何も考えたくない。そんな彼女の気持ちが読めるようで、シリウスはとっさに声をかけた。


「メル、あの」


 む、と顔をしかめる魔女に、その場で思いついた台詞を言ってみる。


「笑って」

「…………シリウス? 何言ってんの?」


 手を止めたメルの代わりにハレーが突っ込みを入れるが、とりあえず粘ってみた。


「いいじゃないですか。減るわけじゃないし」

「だからってもうちょっと台詞選べよ。お前の顔じゃなきゃ許されねえぞ」

「えぇっと……その辺はともかく、ね」

「減るからやだ」

「なにがですか」

「アイデンティティー」

「またそんな微妙なことを……」


 渋い顔のメルと問答を続けるが、面倒になったのかとうとう背中を向けられる。期待はしていなかったがやっぱりだめかと軽くため息をつく。もう長い間見ていなかったから、不意に見たくなったなんて、自分でも上手く言えない。メルの性格に反する行為だとわかるし、自分が安心したいだけなのかもしれないとも思う。


「笑っていると思えば、」


 と、唐突に彼女の声がした。

 俯けていた顔を上げて、茶色のローブに包まれた背中を見つめる。

 まだ近づけない遠い背中。


「今、私が笑っていると思えば、君にとっては笑っているんだ。顔が見えないんだから、そう思うのは自由だよ。嘘にもならない」

「そう、かな……」

「そう」

「じゃあ、そう信じる」

「うん」

「メルが笑っていますように」


 メルの手が古びた鞄のふたを閉めた。振り返らないまま土間のほうを見つめて言った。


「さよなら。シリウス」


 晩秋の風がさあと吹き込んで、夜明けを見るときに似た焦燥を掻き立てていった。

 何も言わせない場面の中。

 その日を最後に、メルは再び星の森から姿を消した。













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