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光の降る窓辺 A only relief

「……エマ・ジェネル……死蝶遣いが来た時、な」


 失神してようやく安定したメルを何とかベッドに運んだ後、その脇で蹲って膝を抱えるシリウスに、ぽつりとハレーが零した。

 何の話だろう。どうでもいいよ。

 触れていた心があまりに痛くて辛くて、もう意味を考えるのも億劫だったが、それでもいつの間にか声が出ている。取り繕うのだけは上手い。そんな自分が心底嫌になる。


「死蝶遣い……?」

「お前、薬の番を、してただろ……。あれ、メルが寝るときに必ず飲んでた睡眠薬だった。夢を見ないからって。そんなの、ホントかどうかもわからないのに、あれがないと、絶対寝れないんだ。例え効果が無くても、反射みたいになってて、いくら大丈夫だって、起こしてやるって言っても、メルは眠れなくて、」

「そんな大事な薬、どうして切らしたりするの……」

「死蝶遣いとの殺し合いのとき魔術で焼かれたんだよ……そう簡単に作れるようなもんじゃないから」

「あの人って、誰ですか?」


 ぼんやりと遮ると、ハレーはぐっと言葉に詰まった。メルの顔を見て、その顔の傍に力なく舞い降りる。それから目を合わせないまま、独り言のように言った。


「ししょう。かな。メルの、メルを、……魔女にした――魔女。だと、思う」

「そう、か……」


 あの人、と呼んでいた。

 そんな風にしか呼べない今の自分と同じように、メルは師のことをあの人と言った。帰り道を奪われた迷子みたいに叫んでいた。憎悪、怒り、軽蔑、不信、そしてたくさんの色褪せた絶望を零しながら。

 シリウスはため息と共に立ち上がり、汚してしまったローブや布を片付ける。

 寝室から出て大部屋を抜け、一旦外へ出て井戸から桶に水を汲み、それらを洗う。ひんやりとした感触を感じながら少しずつ感情を沈めて消化していく。

 いつの間にか日は少し傾いて高い気温を緩めている。水が光を吸い込んで白く金色の筋を底面で揺らす。

 何気なく片手を目の前に掬い上げると、ぽたぽたと雫が落ちて草の中に消えた。


「ぜんぶ……どうでもいい……?」


 皮膚を伝って肘まで透明な線をいくつも作って、流れてゆく。


「かのじょのことで、俺がわかることなんて、何にも無い」


 思い出す言葉は、こんな風に、どんなものだっていずれ消えてしまうから?

 消えてしまうと確信するほど何もかも一遍に零してしまったら?


「そっか」


 悲鳴を上げていた。拒絶して、嘘だと叫んで、今にも壊れてしまいそうなものを必死に許すまいとしていた。

 許さない――絶望しながらも、壊れてしまうことは決して許さない。もっと不幸でなければおかしい。もっともっと。気が狂いたくなるくらいまで。苦しんで苦しんで。苦しみの中にだけ確かな安堵が存在する。


 だからどうでもいいと言わなければ、間違いになるのだ。

 たくさんのものを失って、傷ついて、それでも存在するためには。分かり合っても、大事にしても、信じても、それらが消えてしまった時の気持ちなどシリウスには想像することしか出来ない。


 物干し竿に洗濯物を干し、家の中へ戻った。寝室に行き、まだ眠っているメルの顔と首筋の汗を布で拭う。

 この人はこんなに小さな人だったかな。

 シーツに包まれて一回り小さくなったような彼女を少しだけ眺めていた。床に座り込んで、ベッドの淵に背を預けて目を閉じる。まぶた越しの斜光が熱い。


 会うたびに初めて会ったような気がした。

 森に囲まれた小さくて静かな家。ここは暖かくて、今は風の音も聞こえない。鏡台の上でハレーが涙も声も出せずに泣いている。こうしていると自分がどこにいるのかわからなくなる。

 もうわからなくても、いいとも思う。

 

「こんなに、静かなのに――」


 こんなに穏やかなのにダメだったのだ。

 ここにいてさえ、そんなに苦しかったんだ。

 せつなくて全身の力が抜ける。この人に何をしてあげられるだろうと思う。救われたいと、許されたいと決して思わない彼女に、俺は何かしてあげたい。安心して笑って欲しい。心から幸せになって欲しい。


 動けぬまま何時間もそこにいるうちに、いつしか名前を呼ばれたような気がして振り返った。

 窓ガラスが、日が落ちる寸前の優しい光を彼女の身体に降り注いでいた。茶色の瞳が天井を見つめながらゆっくりと瞬きをした。


「……――」


 同情しないで。

 彼女は囁いた。

 わたしは可哀想じゃない。わたしは綺麗じゃない。わたしは人間じゃない。わたしはわたしじゃない。だから決して。

 シリウスは何も言えなくて、精一杯微笑んだ。この人が好きなんだ、と、悲しいほどに思った。

 メルの白い左手が持ち上がってシリウスの首にかかった。少しだけ力が篭って、シリウスはその左手を自分の両手で包み込んだ。震える指が力を失って、両手の中に落ちた。シリウスは彼女の上に屈みこみ、その乾いた唇に自分の唇を重ね合わせた。大丈夫だと、精一杯の思いを込めて。


「しんじ、ない……よ……」


 柔らかな温度から離れた後に、彼女が言った。


「俺は信じる、けど、……それなら、絶対に裏切れないから、いいですよ」


 信じたら裏切られると思っているのなら、信じなくていい。


 信じないよ。

 消え入りそうな声でもう一度だけ呟き、彼女はくしゃくしゃと顔を歪めて窓ガラスを見つめ、シリウスの両手の中の左手に少しだけ力を込めた。

 










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