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いつも同じ世界で<1>

 頭上に横たわる空は果て無く、くすんだ灰色だった。

 ふわふわと、頼りなくとめどなく白い氷の欠片を零して、村も森も真っ白に埋めてしまって、帽子や、手袋の中にしみ込んでいく。

 静かで冷たい。

 降り頻る雪を見上げながら、シリウスは考えていた。

 何を考えればいいんだろう。わからないことがたくさんあって、とても辛い。


「シリウス? 具合が悪いんですか……?」

 

 そうしていると、一つ年上の姉のような女の子ディアナに声を掛けられた。彼女は長い黒髪をマフラーの中に巻き込んで、白い息を吐きながら心配そうに眉を顰めている。

 シリウスは出来る限り自然な笑顔を作った。原因不明のこん睡状態に陥って、まだそんなに経っていない。心配をかけたいわけではないのだ。


「ごめん。俺はもう大丈夫だよ……」


 誤魔化しながら、そんなに態度に出るのだろうかと思わず苦笑してしまった。自覚は無い。けれど、確かに、あの人に比べればわかりやすいだろう。

 一緒に村の雪かきをしていたヤジャやドライセン、ロイも振り返ってシリウスを見た。


「ほ、本当に? 無理しなくていいんだよ?」

「別段顔色は悪くないようだが」

「倒れられたほうがよっぽど迷惑だし」


 暖かくてこそばゆいような、複雑な気持ちになる。それぞれに個性的で、当然ながら他人だけれど、大切な友達だった。言葉は違ってもこうして心配してくれる。首を横に振って応える。

 アンクと雪だるまを作っていた一つ年下のヒメリエが、無邪気に声を上げた。


「シリウスも雪だるまつくる? 楽しいよっ!」


 寒気に頬を赤くしたいつもの明るい笑顔に、なぜかちくりと心が痛んだ。脳内で重なった情景に、喉を少し圧迫されたような感覚がこみ上げて、思わず顔を逸らした。


 みんなはもう、あの人のことを知らない。

 確かに一緒に過ごしたのに。

 別れを惜しんだのに。

 本当に覚えていないんだなと、顔の表情が保てなくなる。日常のちょっとした場面で心が軋む。ヒメリエがびっくりしたように目を丸くする。そんなにひどい顔をしているのだろうかと、自分で自分がわからない。情けない。こんな気持ちになるくらいなら、自分も皆と同じように、同じように、あの人のことを──


「やっぱり、いやだな」

「シリ──」

「何でもない。こんなんだから、俺、……」


 意味もなく一歩後ずさって、ぎゅっと手袋を嵌めた手を握り締めていた。

 忘れたいなんて。

 どうしてもそんな風には思えない。忘れたい思い出なんかじゃない。楽しかった。少しの間だったけれど、皆で過ごして、あの人だって笑っていた。ある日急に出会って、誰よりも鮮明に飛び込んできた人だった。ただ会いたくて、名前を知りたくて、皆と一緒に星の森に出掛けた。再会して、名前を知って、とても変わった人で、それだけではない何か透明な雰囲気が彼女を包んでいて、もっとシリウスの心の中で彼女の存在が大きくなった。急に終わってしまった。あまりに一方的に。


 確かにシリウスは知らない。あの人の事情を知っているわけじゃない。だけど悲しい。


「アンク」


 教会へ帰る途中に、幼馴染の黒髪の少年に話しかけた。アンクは素直な髪に丸い目と柔らかな眉を持ち、大抵緩い笑顔だ。なぜか目立たないがよく見れば引き込まれそうな整った顔立ちをしている。

 呼び止めると彼は少し戸惑ったように、こちらを見る。シリウスにはその理由が分かる気がした。だからなるべく声を押し殺して喋る。


「俺、なんだか……すごく、寂しくて」

「そう、なんだ」

「上手く言えないんだけどね」

「そっか……」


 アンクは似ている。

 どこがどうとは言えないのに、確かに似ている。空気や雰囲気といった部分であの人と同じ感覚がした。

 シリウスはそれを自覚してから初めて、自分は彼の事を本当には理解していなかったのだと気付いた。

 一歩一歩雪にブーツを埋めながら、話を続ける。


「アンクは、そういうことは、ないのかな」

「そういうことって?」

「寂しいような、悲しい気持ちになること」

「うーん……うーん? うん?」


 教会の少し手前で足を緩める。なるべく自然に。


「あの時は、どうして?」

「あのとき??」

「二人でヒメリエの薬をもらいに行ったとき、泣いてなかった?」

「──僕は、あれは、別に悲しいとか」


 アンクの声が途切れて、足音も止まって、シリウスは彼の顔を振り返った。困ったような、諦めたような、僅かな驚きや焦りの混じった、複雑な表情がそこにあった。探るように首を傾げて、何度か何かを言いかけたアンクは、最終的に軽くて白いため息を零した。


「シリウスは、思い出したんだ」

「うん」

「いつ?」

「倒れた後に」

「そっか」

「アンクは、いつ?」

「僕は思い出してないよ。だって、最初から忘れてない」


 やっぱりそうかと、唇を噛んだ。少し苦しかった。どうしてアンクだけ記憶を消されなかった?


「どうして……?」

「たぶん、あの人にはわかってたんだ。忘れてしまったら、僕はいつか壊れてしまうって」

「ごめん、意味がわからない」

「軽蔑……しないよね。シリウスなら」

「それは、今までアンクと一緒にいた俺の行動が答えとしか言えないけど……俺は、アンクの事信頼してるから」


 声が僅かに尖ってしまったかもしれなかった。焦っているのか。アンクに対する嫉妬だという気持ちも完全には否定できない。

 アンクが自嘲するように目線を斜め下に落として、微笑んだ。落ちてくる雪がやけにゆったりして見えた。


「ごめん、ありがと。今更大したことじゃないのかもしれないけど、僕にとっては、とても重くて、重要なことだったんだ。……僕はね、」


 言葉の隙間に視線が交わり、シリウスは息を呑んだ。不安定に揺れる、仄暗く悲しげなアンクの表情を、今まで知らなかったから。


「きっと、魔女の子どもだったんだ。魔女……魔術師。だから、教えてもらった。上手く魔力を使う方法を……それで、忘れるわけにはいかなかった」





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