-A thaw- 望まぬ時間
「それでね、私は今こそ復讐の時だって都を滅ぼそうとするサンライズに言ってやったの。そんなことするくらいなら魚食ってろ! って」
「魚っ!?」
「そこつっこみどころじゃねー」
「うん。そこに池があったから。でもサンライズは魚を生で食べる習慣なんて許せんって言いやがったから私達は壮絶な死闘を繰り広げたの」
「サシミは美味しいもんね!」
「うん。それで私が焼き魚にされようとしていたときミザミちゃんが来て、この人の代わりにぜひとも自分をって愛の告白を」
「ひええ!? プロポーズ!?」
「するわけあるか」
「そして私は相思相愛だったのが嬉しくって愛の力でサンライズを撃退して、なんとか生き延びてるの。おわかりですかー?」
「うん! メルってやっぱりすごいねっ!」
「嘘に決まってんじゃん。ばーかばーか」
「ええーー!?」
そして負傷して数日後、うっすらと雪積もる冬の街に帰還したメルは、劣悪の魔女マフィー・リーフィー相手に笑顔で全く事情を歪曲させながら喋り終えたのだった。ちなみにどれが誰の台詞かは……。
普通の人間なら確実に死んでいた負傷をどうにかこうにか治していきながら、メル・カロンはやっと今日固形物を食べられるようになった。三日、秋の都でほとんど昏睡状態で養生した後、馬車でミザミの屋敷に戻り、今度は部屋のベッドで日がな一日大体昏睡状態で過ごしていた。ミザミとハレーには少しだけ話したが、他の同居者には何も言っていなかったということで、メルはストレス解消に壮大なストーリーを語ったのだ。嘘だけど。
カサブランカ当主は赤々と燃える暖炉の側のソファに足を組んで座り、呆れたため息を吐いた。
「ともかく……あの、日没の魔術師がな……。未だに信じられんというか、なんというか……」
「ミザミちゃんも後姿くらい見たんじゃないの? みかん担いだ大男なおじいちゃん」
「みかんっ!」
「そこつっこみどころじゃねー」
「まあな。流石に……あの距離でも、圧倒されるような男だった。悪魔どもに囲まれて……」
「うさぎさんの悪魔人形だったよー」
「かわいいねっ!」
「うん。マフィーって馬鹿でかわいいね」
「うえーん!?」
メルだけがにこにこと笑顔で、マフィーは百面相をし、ハレーとミザミは黄昏ながら窓の外の雲の数を数えていた。明らかにアレだ。いつにも増して言動がひどすぎる。会話にならない。サンライズとの殺し合いでどこか打ったかよほど腹に据えかねたか寝すぎかマフィーへの復讐か。全部か。
黒髪の少年はハレーとお手上げの視線を交わしあい、お互いの苦労を微かに分かち合って、立ち上がった。
「マフィー、今日はもう行くぞ……話すだけ無駄だ」
「ぐすんっ……」
部屋からミザミとマフィーが出て行く。広い部屋に静寂が戻ってくる。ぱちぱちと薪が燃える音が聞こえる。
窓の外は、静かに絶え間なく降り続ける雪が街を覆い隠している。
メルは暖かく柔らかいベッドに収まりながら温度差で曇った窓ガラスを見ていた。
「嘘みたい」
だるく、ぼんやりする身体を抱えながら、メルは呟いていた。ハレーが窓枠の上に降り、無言でこちらを見つめた。
「生きてるの。屈辱だし。また負けたのに。死んだ方がよかったかな」
「よくない」
胸の中に尖った小石のような感情が生まれる。
「なんで?」
「俺は、やだ……そんなの、」
「じゃあ、仕方ないね。でも、案外その方が楽かもしれないよ」
「楽ってなんだよ?」
「なんだろうね」
窓辺から小さな悪魔が舞い降りてくる。雪よりも確かで、唯一の現実で、メル・カロンの始まりからの片割れである人形。思えばずっと一緒にいて、ただ一人支えてくれていた。そうしてメル・カロンを、この現実という名の地獄に留めておく悪魔であり続けている。
「おかえり」
胸の上に乗って、震える声で言うハレーを、反射的に抱きしめる。
「ただいま」
帰る場所。
もしまだ自分にもそういうものがあるのだとしたら、それはこの悪魔人形の元しかないのだろうとメルは思う。だからもう言わない。言いたくない。ずっと一緒にいて、一緒に朽ち果てればいい。
不意に、ひどく幸せな気持ちになった。
「……早く、終わりが来るといいね……」
「……そう、だな」
目を閉じる。
その暗闇が終わらなければいいと、まだ、願っていた。
。゜※゜。゜゜。゜※。。゜※゜。゜゜。゜※。。゜※゜。゜゜。゜※。。゜※゜。゜゜。゜※。。゜※゜。゜゜。゜※。。゜※゜。゜゜。゜※。
そうして、美食の魔女オリーブの作った料理を食べながら、マフィーと適度に遊びながら、ノヴァに召喚魔術を教わったりしながら、メル・カロンは冬を越した。サンライズとの死闘以上の大きな事件もなく、平穏な時間は過ぎていった。雪が融けた日のある朝、小さな新緑が庭に覗くのを見て、魔女は気まぐれに荷物を纏めた。ミザミにだけ簡単な別れを告げると、少年は言葉少なに頷いて見せた。
「いつでも部屋は空けておこう」
「ありがとミザミちゃん、愛してるよ〜」
最後に当主を撫で回し、ためらわず西行きの馬車に乗り込む。
ほんの少し緩んだ気温が、陽光に当たると感じられた。
春がくるのだ。とても、嫌いな季節が。無慈悲で騒がしい、始まりという名の終わりの季節。忌まわしさに、メルは窓の外から目を逸らした。
あの人と出会った季節だった。
その他のことは何も思い出せないのに、あの終わりの日の春の断片だけは今でも思い出せる。
輝く春の庭。覚えたばかりの歌。微笑む老女。風の吹きぬけた草原。手の平から零れ落ちた、赤い野苺―――
美しい女は優しげににこりと微笑む。
″見つけた。とってもかわいいね″
上等そうなローブから白魚のような手が伸びて、女の子の頬に触れた。夢のような感覚は、少し冷たかった。
そうして女の子はメル・カロンとなり、ワンズという魔女に壊し尽されたのだ。
少し短かったので妄想してみました……m( )m↓
<―蛇足―もしもメルが男でシリウスが女だったら(プロローグ)>
「諦めるのはまだ早いよ。往生際は悪ければ悪いほうがいい。なぜなら他人の無駄な足掻きを見るのはなかなか愉快だから」
「そんな……えっ!?」
声、がした。
あまりに自然に話しかけられたものだから、思わず会話しかけて、シリウスは硬直してしまう。
「ふ……え……?」
いつの間にか後ろに誰かが立っている。
反射的に振り返って、二度目の驚愕に見舞われた。
年の頃は二十に届くか届かないか――彼は、肩につかないほどの特徴的な真っ白な髪をしていた。繊細に整った白皙の造作に薄く品のよい唇、優しげなチョコレート色の瞳。白い服の上に同じチョコレート色のゆったりしたローブを纏い、頭までフードを被って半分以上その綺麗な白髪を隠していた。手には無限の小さなかけら達が集まったような杖が握られている。そう、穏やかで天使のような笑みを浮かべたその人は、見たこともない綺麗な青年だったのだ。
森の、精霊さま?
シリウスが何も言えずただただ見とれていると、その人は感心したように顎に手をやり、目を見開いて
「ほぉう? これはおいしそうな子どもだ。美しい」
「はい!?」
悪い魔法使いだ! この人絶対悪い魔法使いだ! 今これ以上なく腑に落ちた!
シリウスは一瞬でも精霊などと思った自分を心の中で激しく叱責する。なんてことだろうか。よりにもよって悪者なのか。逃げないと食べられる。でも……。
シリウスがなぜか立ち去り難い思いに捉われているうちに、彼はもう一度穏やかで純粋な笑みを浮かべていた。とくんと心臓が跳ねて、目が離せなくなる。動くことを忘れてしまう。少しなら食べられてもいいかな、なんて、一体何考えてるんだろう。
「うん、子どもは好きだよ。興味深いし何よりかわいい。その上君は上玉だし。目の保養になったということで、入り口まで連れていってあげよう。よかったね?」
いつの間にかその手が自分の髪に触れているなんてとても信じられなかった。心地よくて、どこか物足りない僅かな感触。上等そうなローブから不思議な草の強い香りがした。
固まるシリウスを笑顔で撫で、でもすぐに彼は離れて手に持っていた杖で地面を強く突いた。その瞬間心臓を軽く揺すられたようなえもいわれぬ衝撃が走る。次に、彼は探るような眠ってしまう寸前のような目をして聞いたこともない言語を歌う。短いそれを終えるとまた柔和な表情に戻り、シリウスの後ろに向かってにこやかに喋りかけた。
「やぁケルピー。ちょっと森の入り口まで一っ走り頼む」
「わあ……」
振り返って本日数度目の驚愕。
いつの間にか青灰色の馬がぎらぎらした目でこちらを伺っていた。
いや、馬?
ちょっとおかしい。尾が、大きな水色の魚のような。たてがみも魚のひれのような。毛に藻がたくさん付着しているような。ようなじゃなくて目がおかしくなければ間違いないのだけれど。
彼にケルピーと呼ばれたそれは、一度不満げに鼻を鳴らしたが、手招きされて仕方なさそうに近づいてくる。
「なんだって? 食べたい? その意見には同意するが食べたらなくなっちゃうんでね、これは気に入ったからダメだね。後で肉あげるから頼むよ。君人乗せるの好きだろう? 交歓交換」
とそんな若干違和感を覚える会話を繰り広げながら、彼はケルピーの背中に飛び乗った。馬上からシリウスに向かって手を伸ばす。操られるように手を取り、一息に彼の前に座っていた。背中に触れる包み込むような感触と温かい体温に顔が熱くなる。
ケルピーが走り出し、シリウスは慌ててひれのようなたてがみにしがみついていた。風が耳を切るような信じられない速度だった。後ろから陽気な口笛が聞こえた。
それにしたって。
「いいなあこの躍動感。水の中に引きずり込まれるときのスリル満点」
「え゛」
さっきから、いや初めから容姿と言っていることのギャップが天と地ほどかけ離れている。それでも不思議なことに、嫌な感じは少しもない。恐ろしさを感じさせない。それどころか逆に、気になってしょうがなかった。今まで状況が状況だけに流されてしまったがようやく落ち着きはじめ、シリウスは意を決して半分振り返りながら尋ねた。
「あの、あなたはっ?」
「これは申し遅れました。星の森の恐い恐い残酷な魔術師でございます」
「わたし、古登の村のシリウスって言います。名前聞いてもいいですか?」
「ほぉう、シリウス。確かに相応しい名ではあるね。星の森に最も輝く星が落ちるとは、重畳至極」
「どうもありがとうございます。それでお名前は?」
「あぁ、魔術師って名前ないんだよ。知らなかった?」
「え? そうなんですか……すいません」
「どういたしまして〜もちろん嘘だけど」
「え?」
シリウスは一瞬耳を疑い、次に口元を引きつらせていた。もはや──マイペースなんてかわいい言葉では言い表せない。
からかわれているより遊ばれているという方が正しく、むしろことごとくペースを乱してやるのが当たり前と言わんばかりに。
シリウスが軽く自失している間に、ケルピーはものすごい勢いで森の始まりに辿り着いていた。魔術師は優雅に馬上から飛び降り、無造作にシリウスの手を引っ張った。
「ひゃっ……!」
意識半分だったから簡単にバランスを崩して、ケルピーの上から彼の胸に飛び込む形になる。彼は意外にしっかりとシリウスを受け止め、シリウスは青年に抱きしめられたような体勢になっていた。間近に迫る楽しげなチョコレート色の瞳に引き込まれる。絹みたいな白い髪がすぐ傍にあって。綺麗な手がそっと、シリウスの髪を触った。
「いいね……光みたいな髪。ちょっとだけ欲しいな」
シリウスは、逆に、彼の髪を綺麗だと思っていた。それに、髪だけではなくて全てが特別な人だった。
「ご、ごめんなさい……」
見とれている場合ではないことを思い出し、シリウスは動揺を押し殺して身体を離す。その間にさらりと尋ねる。
「そうだ、名前なんでしたっけ?」
「んん?」
魔術師はわざとらしく首を傾げた後、穏やかな笑みを浮かべてシリウスを見下ろした。
「忘れてしまったよ。名前ってなんだっけ?」
もしかしたら不意打ちで答えるかもしれないと思ったのだが、相手のほうが何枚も上手なようで。容姿で愛玩されるのは好まなかったが、シリウスはこうなったらプライドを押し込め、大抵の大人が陥落する極上の儚い笑みを浮かべてやった。
「どうしても教えてくれないんですか……?」
「かわいいなあ! ほんとに美味しそうだ! ぜひとも持って帰りたい!」
「ちょっとなら、大丈夫です」
「おやおや、なんと素敵な誘惑。でも大丈夫さ、昨日の子どもがまだ残ってるから。腐らないうちに食べないと」
「それも嘘ですよね?」
「ほんとほんと。骨までいけるんだよ。今夜のスープが楽しみだ」
白とチョコレート色の魔術師は、笑って答えながらケルピーに飛び乗る。鬱蒼と広がる星の森。
行ってしまう。
シリウスは大きな声で伝えた。
「助けてくれて、ありがとうございました! 今度は名前教えてくださいね!」
彼は面白そうに笑った。
それは今までで一番自然な笑みに見えた。
「教えない。さようなら、金色の妖精さん」
結論 : ロリコン
でもシリウスがかわいいのでいいと思います。