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悲境に寄り添う落日<4>

 今更全部無かったことにしたところで、そうしたらもうメル・カロンという人格は最初から全てなかったことになる。それが恐いわけではないし、そこまで執着してもいないが。

 本当に? 

 嘘をついている。

 だって結局、出来ていない。


「…………」


 自分が何か呟こうとした気がして、メルは濁った池から一歩後ずさった。生ぬるい風が薄暗い空から舞い降りて肌に触れた。夢でもみていたらしい。とてつもなく、たちの悪い夢を。


「メル」


 それでも夢は終わらない。特に悪夢は、そう簡単に終わったりしない。


「久しぶりだ」


 名前を呼ばれて、声を掛けられて、挨拶をされる。

 たったそれだけのことが鳥肌が立つほど忌々しく、不快に思ったことなど未だかつてあっただろうか。ない。あるはずない。振り返りたくなくても身体が動いて、目がその姿を映しだす。

 声の主は変わっていなかった。城を背景に錫杖を持って佇むその男の姿は、記憶の中のものと全く同じだった。優しげでいてその実ちっともそうでなく、息を飲むほど美しいのに禍々しいほど醜悪で、知的に見えてふしだらで、高尚でいて残酷。黒で染め抜かれた衣装は先ほどフランシェスコが身につけていた祭服に似ていたが、まるで別物だった。こいつは違う。完全なる紛い物。完璧なる道化。


「──サンライズ……」


 ぞっとするような美貌を持つ黒髪黒目の青年を目の当たりにして、メル・カロンは文字通り吐き捨てた。なぜこんなところにいるのかという疑問も一瞬で失せ、思い出したくもない記憶が洪水のようにあふれ出して、憎悪が飽和した。塵の杖を握り締めて力任せに地面に叩きつけた。一つ一つの小さな欠片を組み合わせ、繋ぎ合わせて気の遠くなる試行の末に完成させたオリジナル配合の杖。魔女や魔術師は自らの魔力に合った杖を木や石や金属など様々なものを使って作製したり作製させたりする。塵の杖はメルの唯一の最高傑作であり、メルが魔術を使う過程を大幅に縮める。特に生物を操る事を目的とする「精神魔術」では他の誰にも追随を許さない。


「少し、話そうじゃないか。僕は君に会いたかったんだから。ね。それから遊ぼう」

「っ……」


 メルの意思に従いサンライズの身体を絞め殺そうと襲い掛かった植物達は、目的を達成する前にあっけなく焼き尽くされた。詠唱もなく自然魔術を操ってみせる技量に脳が警告を発する。分かっていることだ。知りすぎるほどに知っている。サンライズ。そんなふざけた名を名乗るこの男は、見た目よりも遥かに長い年月を過ごし、もう長い間魔術師達の世界で頂点に君臨し続けているのだから。

 魔術師の中の魔術師。世紀の魔女に続く最後の砦。サンライズは実力と冷酷さと不遇を評価され、恐れを込めてこう呼ばれていた。

 「日没の魔術師」と。


「何のつもりだ……話すことなどあるものか……。過去の仕打ち、忘れたとは言わせない」

「ああ、もちろん忘れたわけじゃない。あのとき君は優秀だった。とても楽しかったよ。僕が生涯で唯一敬愛する智の魔女ワンズの弟子に、ふさわしく」

「黙れ!」


 気が狂いそうになる。誰かがその名を口にすると、その事実を突きつけると、いかにも知ったような口を利くと、薄っぺらい仮面が剥れ落ちて己の中の全ての醜い部分が暴れだした。その醜さがメル・カロンの根源なのだと認識させた。死ね。死んでしまえ。殺してやる。簡単に死ぬよりひどい地獄に落ちろ。そう思った。

 ほとんど無意識に足元の水草達が蠢く。貫いて引き裂いて絞め殺してしまいたいというメル・カロンの感情に反応する。しかし、そんな感情的なだけの攻撃が通用するはずがない。自然魔術──地・炎・空気・水などの現象を操ることを目的する魔術を自然魔術と分類しているが、サンライズはそれを呼吸のように使いこなす。自然魔術は、他のどの魔術よりも殺傷能力が高く、戦闘に特化している。メルが極めた精神魔術も戦えないことはないが自然魔術ほど向いているわけではない。だからあのときも──負けた。


 一人になったばかりで、ハレーとろくな会話もなく星の森で時間をすり減らしながら、ここぞとばかりに襲ってくる魔女や魔術師たちの相手だけをしながら、過ごしていた時代。自分の実力をよく知らなかった。死んだらそれはそれで仕方がないと、そう思いながら相手を返り討ちにして壊した。あっけなかった。比べ物にならない。こんなものなのか──次第に現れなくなる略奪者達を褪めた感情で見つめながらそう思い、そんなときに星の森に来たのが、この男だった。

 サンライズはまるで別格だった。未完成の秘術まで使わざるを得なかったのに、それでも敵わなかった。年季が違った。片目を潰され骨を砕かれ皮膚を焼かれ精神魔術師のメルが身体制御をしてそれでもぎりぎり、生きていられる瀬戸際まで傷付け抉ってから、虫の息で朦朧とする自分へ向かって、日没の魔術師は優しく微笑んだ。


 ──流石だ。君なら、ワンズに匹敵するような魔女になるかもしれない。楽しみにしておこう。だから今は、骨は奪わないでいてあげよう。


 血の海の中絶叫することも出来ず一歩間違えばすぐにでも死ぬその状況で、何も奪わず去っていくサンライズを、これまでに感じたことのないほどの屈辱と怒りを味わいながら見送るしかなかった。次に会った時には絶対に殺してやる。そう思ったのは何年前のことだったか。十年、それくらいは経っているかもしれない。こんな場所で会うとは思いもしなかったが、あの時の感情は消えるはずもない。殺すか、殺されるか。それしかない。話すことなどあるわけもない。

 相変わらず慈悲深いと錯覚させる笑みを浮かべながら、サンライズは闇色の双眸を伏せた。


「僕を殺したいなら、もう少し落ち着くことだ。これでも、その辺の下等な魔術師というわけじゃあない。そう思われているのなら悲しいことだがね。それにしてもメル、年を重ねてますます綺麗になった。何ものにも染まらないその高潔な白が、よく似合っている。それが薄汚く血で染まるところを想像するだけで胸の鼓動が抑えきれなくなりそうだ」

「よくも、そんな戯言が」

「そうかもしれない。僕は、今でもワンズのことを敬愛しているし、その唯一の弟子だった君のことも少し特別だと思っている。君がワンズの弟子に相応しいかどうか、ふと気になりもする。あのときは合格だった。今はどうだろうね。気になって、懐かしくなって、会いに来たんだ。だから少しくらい思い出に浸って話をしてみたくなる気持ちもわかるだろう? メル」

 

 わけのわからないことを言う。死んだ魔女にいくら傾倒していたからといって、その弟子が代わりになれるわけはない。世紀の魔女が何人も世の中に出現するはずもない。それどころかもう二度と、あの人に匹敵する魔術師は生まれてこないだろう。それくらい、実際にあの人の時代に触れた魔術師なら分かるはずだった。

 気持ちが冷めて、魔力が研ぎ澄まされる。塵の杖を軽く握り、体制を整えて、鈍色の空に混ぜるようにして答えた。


「わからない。可哀想な人。今度こそ貴方を殺して、私は私の役目を果たす」

「ああ。やってみるといい。楽しく遊べるといいね」


 日没の魔術師の持つ錫杖が悠然と構えられる。銀色の錫頭に付けられたいくつもの遊環が、ぶつかり合って澄んだ音をたてた。





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