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悲境に寄り添う落日<2>

 秋の都にはミザミ・カサブランカの主がいた。王である。

 今年で四一歳を迎えるイグドル王は稀に見る賢人というわけではない、とミザミは認識していた。もともと暗殺された兄に代わり即位することとなった彼は、しかし、そのことを自覚した上で、この半島に堅実な統治を布く度量はあった。そのためか総じて有能で忠実な者を囲う傾向にある。

 そのイグドルが見出した父は五年前に死んだ。そして、後継者だったミザミの兄は役目を継ぐことに怖気づき、母親と共に王を裏切ろうとした。ミザミは兄を摘発して処断し、母を追放して当主の座に着いた。その状況を絶望した姉は行方知れずとなり、今はもう生きていないかもしれない。世間はミザミを哀れみ、嘲り、敬遠した。

 後悔したことはない。

 これからもしない。

 一人になっても、当然のことだと思った。父の死以外、何も悲しむべき事はなく、裏切り者を憎む気持ちさえ涌くことはなかった。何を指針とするか、それを見極めろと父親は言い、ミザミも頷いたのだから。

 王の親愛なる手足。自分がその一部なのだとしたら、己を見出した高潔な血、その唯一にのみ従う。その唯一を決して崩させない。それが今のミザミの揺ぎ無き信念であり、そのためならば多少の犠牲など厭わなかった。


 雪。

 王城に向かうための馬車の側に立ち、灰色の空から零れ落ちる破片を、見上げる。

 今年初めの雪。国を縦断する河を越えれば、ほとんど降ることは無いという。この街には、似合う。だから王国の人間は、この沈みきった冷たい都市を、時に冬の街と呼ぶ。


「当主」


 名を呼ばれてゆっくりと振り向いた。

 音もなく歩み寄るその人影は、まるで小さな白が舞う間だけ、存在する幻影のように見えた。

 純白の、首元まで隠す清楚で禁欲的なドレスを纏っている。混じりけのない陶器のような肌に、緩く結われた白髪の一房がやんわりとかかっていた。白い手袋に包まれた右手が、無限の欠片を集めたような杖を持ち、細やかなレースの裾が揺れると、わずかに細い足首が覗いた。

 もしこのとき初めて会うのなら、その儚い美貌を現実とは思わなかったかもしれない。

 星の森から来た魔女は、雪の化身をなぞるような笑みを浮かべ、小さく首を傾げた。


「城に入っても、おかしくはない格好かな」

「そうだな」


 むしろ、誰も護衛で魔女だとは思いもしないだろうとミザミは憮然とした。どこの傾城だと注目さえ集めるかもしれない。麗人は緩やかな笑顔で儀礼的なミザミの手を取り、馬車へ乗り込みながら呟いた。


「ありがとぉ。でも、暗愚で小賢しい大人は大嫌いだから、何か言われたら魔女だと言っていいよ」

「……人の頭の中を勝手に覗くな」

「身体的接触があるとほぼ自動的に分かっちゃうものなんだよ、精神魔術師って奴はね。だから知らない魔術師に会ったら握手しないで、その日の晩御飯の予想をしとくべきなんだ」

「はあ……」


 メルの相棒悪魔人形のハレーは、普通の人間世界では目立つという理由で留守番している。秋の都に行って帰るまで、つまりつっこみ役はいないという訳だった。



*:;;;;:*:;;;;:*:;;;;:*:;;;;:*:;;;;:*:;;;;:*:;;;;:*:;;;;:*



 秋の都というものは、熟したものが腐り落ちていく寸前の華やかさに満ちている。冬の街のように厳格に固まりきっているわけでもなく、かといって夏の都市のように隆盛の只中というには、人と活気に不快な老獪さがありすぎる。

 そんな、微妙な均衡の街を無機的に眺めながら、ミザミ・カサブランカとメル・カロンは王城へと辿り着いた。精神統一と嘯いて道中爆睡していたメルは、地上に足をつけると寝言のようなことを言う。


「ところでミザミちゃん何しにきたんだっけぇ?」

「……定期会議とでもいうか、王は北方の国々の考慮もされているようだし、こちらに興味があるのだろう」

「はあ? こちらって、こちら? 無理があるよ」

「それは、ある程度分かっていただけていると思うが──」


 仕事柄気安く言えるようなことでもない。手を振って詮索するなと合図し、迎えの兵士としばらくやり取りをする。魔女はいかにも粛然と控えているようでいて、その実面白くも無さそうに城内の様子を眺めていた。


「おや」


 そして案の定、というのかどうか。ただ佇ませておくには、少々綺麗過ぎるのだと頭が痛くなる。

 魔女に目を留める男が一人。


「どうも、申し訳ない、不躾に。つい、目が引き寄せられてしまいました。どこかでお会いしましたかね」


 メル・カロンに声を掛けたのは通りがかったいかにも軽薄な貴族で、ミザミは呆れ気味に眉を寄せた。まだ二十代だろう、顔は知らないが親が有力な臣下に違いない。もしこれが計算なら社交の天才という場合もあるが、どうやらその可能性はなさそうだった。

 メル・カロンは微笑むでも答えるでもなく、甘い茶色の双眸をそちらへ向けて曖昧に首をかしげる。子どもや魔女達には比較的甘いのだが、メルは人間の大人に対して驚くほど無関心を貫く。

 男は返答が得られずばつが悪くなったのか、少々引きつり気味の顔で言い直した。


「あ、怪しいものではありません。南部で少々土地を預かっているディーク・クアルブと申します……貴女は、その、どちらの?」

「……名乗るほどのものでは。単なる護衛、雇われの従者ですので」

「は?」


 動揺が困惑に変わる。メルはまるで虫に話しかけられたかのような迷惑そうな目でこちらを見た。そこまで毛嫌いすることもないだろうに。

 ミザミは兵士にちょっと待つように頼み、助け舟という名の脅しを掛けようとして、


「なんとも──面白い組み合わせですね。カサブランカ殿」


 割って入った声に、タイミングを失った。



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