カサブランカ家の奇怪な同居者<2>
だが、とりあえず最大の難関はここで切り抜けたとも言える。
まさか部屋のドアを開けるだけで死に掛け、メルを殺気立たせ、その上諦めの境地に追いやることが出来るなど、おそらくこの世で劣悪の魔女マフィーとあと一人くらいだ。
メルは無造作に流しただけの白髪を梳きながらぼやく。
「なんだろうな……癒しって必要だよね。マフィーもかわいいときはかわいいけど、基本的に終わってるよね。だから私はキッチンへ行く」
「はあ……」
キッチン。厨房。
普通こういう館だと使用人とコックしか立ち入らない場所だ。
ところがこのカサブランカ家は違った。一階に下り、奥にある厨房へ向かうと、さっきとは比べ物にならない芳しい食べ物の匂いが漂ってくる。
「いい匂い……一年ぶりにお腹すいてきた」
「俺はさっきとのギャップに感動してきた」
ハレーは星の森の魔女と共にテンションを取り戻しながら厨房へ入った。
昼食が終わったばかりの時間だったため、下働きも数人しか見受けられない広々とした部屋の中、一人目を惹く人影が立っている。レンジ(オーブンとコンロが一体になった箱型のもの)の前で変わった形の鍋を眺めている黒いドレス姿の女性だ。
彼女は、非常に肉体としての美しさ──艶やかといえる見事な肢体を持ち、それを最大限に生かすようなドレスを身につけていた。顔立ちもふさわしく、ぷっくりと赤い唇に気高い肉食獣を思わせる容貌。結い上げられた黒髪は一房垂れて白い肌にかかり、妖しさに磨きを掛けている。まさに、人々が思い描く美しい魔女の像そのものだった。
ただし、それも全て彼女がいかにも庶民的なエプロンを身につけていなければの話だが。
「オリーブちゃん! 何作ってるのっ」
「きゃう!!」
色気漂う美女なだけに、冷酷に毒物でも作っているような印象を受ける(エプロン以外)彼女に、メルは忍び寄って背後から抱きついた。一見無謀感漂うその行為は、案の定予想を裏切る。美女は思わぬかわいらしい悲鳴を漏らし、すぐにそのことを恥じるように顔を紅潮させてばっと振り返ったのだ。魔女は見かけによらない。彼女ほど安全で親しみの湧く魔女を、ハレーは他に知らなかった。
「あ、め、メル? どうして、あ、今日到着したのね……? それはお疲れ様──じゃなくて、い、いきなり驚かせないで欲しいわね……! まったくっ」
「だってせっかく当主で補充したのにマフィーが台無しにしてくれやがったからここはオリーブで癒されないとこの先生きていけないなって。わーい、相変わらず綺麗なプロポーション。私にはムリだろうけどちょっとうらやましーよー」
「きゃっ! 変なところ触るのやめなさぃ……!」
ぺたぺたと無邪気に触るメルを、顔を真っ赤にして怒る彼女は、名前をオリーブと名乗っていた。やはりミザミ・カサブランカの庇護を受ける自然魔術系の魔女なのだが、実際はほとんど魔女として機能していなかった。なぜかといえば、オリーブの趣味と才能による。
ちょうど、一人のメイドがオリーブの下にやってきた。
「料理長! 本日の茶菓子はいかが致しましょう?」
「ああ、ドライフルーツとナッツのパウンドケーキを焼いてあるから、お出しして、あと山龍茶を例のガラス製の茶器に入れて──って、何度言えばわかるの私は料理長じゃないわよ!」
「了解しました料理長!」
「うぅう!」
真面目くさった顔つきのキッチンメイドは、ほとんど慣れた口調で答え、作業に取り掛かる。要するにそういうことだった。
オリーブは料理を至上の趣味とし、本来の料理長を押しのける腕を持っていたのだ。魔術自体の腕が三流、性格もそれらしくないため魔術師達の世界で肩身の狭い思いをしていたオリーブに、ミザミ・カサブランカが声を掛けたという。衣食住を提供、厨房も自由にしていいという破格の条件に、オリーブは嬉々として館に移り住んだ。魔女特有の追求癖を十分に発揮し、礼代わりに厨房で腕を振るう内に、本来のシェフは彼女にその座を明け渡してきたというわけだ。オリーブは認めていないが。今ではミザミ・カサブランカが試しに経営した飲食店が彼女の提案によって大変な人気を博している。「美食の魔女」とはやはりメルが最初につけたあだ名だが、今ではその飲食店を通して、むしろ一般市民の間で広く知られていた。
以上のような状況から、がっくりと落ち込むオリーブの肩を宥めるように叩き、メルはさっきからおいしそうな煙を吐き出している鍋を指差す。
「ねーそれでこれは何作ってるの?」
「あっ! そうよ私の肉饅頭っ……!?」
「にくまんじゅう?」
「なんだそれ?」
聞きなれない料理名に揃って首を傾げたメルとハレーだが、オリーブはわき目も振らず時計を確認し、ほっとしたように息を吐いた。鍋とふたの間に白い布を挟んでいる。水蒸気を取るため、とオリーブは説明し、もう一度時計を確認してそっとふたを開けた。中には手のひらに乗る大きさの、白くて丸いお菓子のようなものがいくつか入っていた。オリーブは手際よくソースを作ると、湯気を上げるそれを一つ取り出して、メルに差し出した。
「軽くたれをつけて食べて。熱いから気をつけてね」
「へえ〜、見たことないなぁ」
「東の大陸の伝統料理よ。ひき肉や野菜を刻んで発酵した生地で包んで蒸したもの。まだまだ研究中だけど、上手くいったら気軽に食べられるおやつになるんじゃないかしら」
「あつっ……あ〜でも、美味しいね! なるほど、お菓子っていうよりは軽食に近い感じ」
「そうかもしれないわね。現地では食事として食べられてるらしいから。もともとは儀式で生贄として子どもの頭を川に流してたのが、改められて頭を模したものに代わっていったみたい。神を欺く欺瞞の頭ってことで、肉饅頭ね」
「ほう。確かに子どもの頭はだめだね、もったいないから」
つっこみどころはそこなのかと思ったが、ハレーは生暖かい視線を向けるだけにしておいた。メルが珍しくあっという間に食べてしまうと、オリーブがさらに鍋から別の料理を取り出してみせる。同じような形だが肉饅頭より一回り小さく、白にほのかな桃色の着色があり、緑の葉も表現されていた。
「これは?」
「桃まんじゅう。こっちはお菓子かしら?」
甘くておいしい、と目を丸くするメルに、オリーブは桃まんじゅうの由来を語った。それによると、ある漁師のおじいさんが海で魚を釣っていたところ、大きな桃が流れてくるのに気づいた。おじいさんが驚いて近づいてみると、なんと桃には赤ん坊が乗せられている。子どものいなかったおじいさんは、喜んで桃と赤ん坊を家に持ち帰り、おばあさんと育てることにした。桃は腐らないうちに食べてしまった。女の子はモモコと名づけられた。モモコは美しくよい子に成長したが、あるときおじいさんとおばあさんが自分が乗っていた桃を食べてしまったことを知る。実はその桃は、桃の精であるモモコの生みの親だったのだ。悲しみ怒りに駆られたモモコは、復讐することを決意し、ある日桃をかたどったまんじゅうを作った。そこに毒を入れて、おじいさんとおばあさんを殺害しようとしたのである。モモコを疑わない二人は、喜んでまんじゅうを食べようとした。しかし、直前になって育ての親を殺すことに耐えられなくなったモモコは、二人を制止し、自らそれを食べて命を絶ってしまった。
「というわけで、これはモモコの供養の品というわけよ※」
「壮絶だね?」
なんだか教育上よくなさそうな話を聞かされた。メルが食べ終わると、オリーブは肉饅頭を二つ包んで差し出す。
「ノヴァにもせっかくだから届けてきてくれないかしら。昼食もとっていないようだから」
「任せて。ごちそーさまでした!」
「お粗末さまでした」
美味しいものを食べてすっかり元気を取り戻したメルとともに、ハレーは厨房を後にした。
※嘘です。