揺らがぬ摂理の世界<2>
喪失感や虚しさなんて瞬き一つの感覚で消え去り、僕は僕が予想したよりもずっと高揚した気持ちで事実を受け入れることができた。偽物の優しさに辟易していたんだろう。自然に微笑んでいた。
「そう……そう、なんですよね。ずっと、知らなくて。自分だけが変なんだと思っていて。いつも一歩世界から身を引くようにしていました」
「そうか……それもまた、辛いのかもしれないな」
メルさんは対照的に疲れたようにいすに腰掛けると、僕にも座るように促した。素直にそれに従うと、その間に言葉を選んでいたらしい彼女はすぐに口を開いた。
「君は、どれくらいの能力があるんだろうね……かなりの素質があるのはなんとなくわかるけれど」
「人の気持ちが汲み取れたり、植物達が色々と教えてくれて」
森で迷わないのは、記憶力や方向感覚というよりそれが一番の要因だった。
「それなら私と同じ……精神魔術という分野が適性かもね。生き物に作用する魔術のことだが……私に会うまで、魔術を知らなかった?」
「知らなかったです。全然。だから、今はとにかく魔術師のことが、知りたくて」
一体どうしたら魔術師になるのか。いつからメルさんは魔女なのか。何が特別なのか知りたい。
僕のそんな心を読み取ったのか、メルさんは本をなぞるような口ぶりで大筋を語り始める。ずっと聞いていたいような綺麗な声で。
「主に魔女の場合になるが……大抵、魔女はある程度の実力を手にすると、弟子を持つようになる。それは君のように、素質のある子どもをさらってきて無理矢理教え込む場合がほとんどだ。素質があっても目をつけられなかった子どもは、成長するにつれて次第に才能を失っていくようだから、放っておけばその内忘れてしまうだろう」
そうだったのかと、目を丸くする。思わず自分の手を眺める。でも、忘れたいと思うようなことでもないのに。
「もし、さらわれて弟子になったら?」
「……その場合、師匠が生きている間は決して一人前の魔女や魔術師とは認められない。あくまで半人前として扱われる。魔術師どもはとにかくプライドが高い上に長生きだから、サバトという集会が月に一度ほど開かれるんだが、そこでは見栄と愚弄と自慢のオンパレードでいつも吐き気がしたよ。序列を競って相手を陥れるためのものといっても過言じゃない」
「じゃあ、一人前になるには、教えを受けて師匠が死ぬまで待つっていうことですか」
メルさんの細い人差し指が、石のテーブルを軽く叩いた。黒い鏡のように滑らかで固い石だ。無意識なのだろうか、何気なくそれをみていたけれど、「いや」という否定の声に、引き寄せられるように顔を上げた。
「大抵、殺す。弟子は基本的に不遇だから。師を殺して成り上がることが、一種のステータスでさえあった」
泥沼のような底のない目をしていた。
殺す?
ステータスとして。
濁った冷たい塊が、彼女の奥にこびりついているのが見えた。僕は、遠い世界の出来事のようにしか感じることは出来ないでいて。そんな世界だとは思わなかったから。魔女にさらわれるとひどい目に合って、それで、いつか師を殺してしまう。その連鎖は、なんて薄暗い──
「メルさんは」と呟けば、彼女はなんでもないように頭を振った。僕には痛いくらいに感情の波が感じられた。
「私の師は勝手に死んだ。私はさらわれ、そして魔女になったのだよ。あの頃はまだ可能性があったのかもしれないが、もう魔術が隆盛することは無い。じきに魔術師はいなくなる。君は残滓の時代に生まれたんだね」
「どうしてですか?」
「以前争いが……摂理抗争と呼ばれる、魔術と聖教の戦争があったのさ。そこで、魔女や魔術師達は聖教の聖人達に負けた」
聖教。大陸で呼吸のように根付いている宗教のことだ。古登の村でも信仰しており、村の皆は信者ということになっている。
その聖教の偉大な聖人様が、魔術師と争ったっていうこと?
「魔術は、悪いこと、なんですか?」
『だから守っているの』 だから。だから。だから──違う──恐い────
僕の中にあった得体の知れない大きな不安が、触れることの出来るような嫌な感情に変わっていく。ようやく理解する。要するに、守るんじゃなくて見えないようにしていたんだということ。魔力を持つ人間は罪人と同じ、いや罪人そのものとして。僕は孤児だけれど、シリウスも同じで村にはそういう子ども達がけっこういる。そのせいで疑問に思ってもみなかった。もしかして僕は最初から、魔女の子どもだったのだろうか?
メルさんは驚くほどあっさりと答えた。
「悪いことだろうね。今じゃ完全に。摂理ってわかるかい? 自然の法則、神の意志というような意味だが、聖教の信者達は魔術がそれを乱して悪い方向に導くと結論付けた。それで摂理抗争って呼ばれるんだけど」
「でも……例え魔術でも、曲げられるものが本当の摂理ですか?」
「ふむ、それは真理なんじゃない? とりあえずあの頃はサバトも一番ひどかったみたいだから、摂理抗争を引き起こしたのは悪行を働いて品行を乱した魔術師達の自業自得とも言える。摂理抗争はもう十年以上前に終結したけど、もともと魔術が隆盛する可能性なんて塵みたいなもんだったと思うよ。たぶん、今の私みたいにひっそりやっていつの間にか消えるような感じが似合ってたんだ」
「それは……」
簡単に結論付けるメルさんに、言いたいような言葉が上手く見つからない。
やっと手に入れた答えの先に何もなかったら、僕はどうしたらいいんだろう。このままずっと囚われたまま生きる? そうすればいつか何も感じなくなる?
何ともいえない焦燥感から反射的に口にしそうになった言葉を、どうにかして小さな疑問にすり替える。
「魔術に人が敵う術があったということですか」
戦争をして、負けたということは。
尋ねると、メルさんが微かに眉を寄せた。
「摂理抗争が勃発した最初の頃は──私もよく知らない。そもそも私は摂理抗争の間一人前じゃなくて、ワンズ……師が中心人物だっただけだから。おそらく初めは魔術師の絶対数は少なかったものの、せいぜい聖教ができることは隙をついての暗殺だけだっただろうね。魔術はそれくらい強大な武器だ。でも、その内聖教側は魔術を応用して摂理を曲げない方法を生み出した」
「摂理を曲げない?」
「もともと魔力のある人間を使って、逆に魔術が効かない人間を作り出したってこと。それが聖人と呼ばれた」
「聖人って……ヨハネス様、ですか」
「……。今聖教ではどう教えているのか知らないけど、ヨハネスは摂理抗争で一番の活躍をした聖人だ」
「そう、なんですか」
「ヨハネスは魔術師側の中心人物だった世紀の魔女と戦って、それを破った。その魔女が負けた時点で摂理抗争の負けは決まって、魔術の終焉も決定したのだと思うよ。今思えばね……」
どこか辛そうに、懐かしそうに、蔑むように、求めるように、悲しむように、憎むように。
整理できないものがごちゃ混ぜになった感情で彼女は言ったような気がした。
僕は。
そんな彼女に。
「納得して、いますか? もうずっとこのままここにいるのですか?」
聞いた。
彼女は皮肉気に口元を歪めて、頷いた。
「納得かどうかは知らないけど、このまま魔術が消え去るのをここで見ているだけだろうね。きっとそれが私の役割だったんだ」
僕はまだ始まってもいないのに。どうしてだろう? どうしたいのかもわからないのに?
「メルさんは……弟子をとらないん、ですか」
未来が見えないから。
どうしても押し止めて置けなくて、ついに口に出していた。
声がかすれて、震えた。祈るような焼け付いた感情で。
もしこの時彼女がそうしてもいいと言っていたら、きっと僕は、これまでの生活をあっさりと捨てていたに違いない。
「とらない。私は魔術を終わらせるよ」
すっと、白い手が伸びて、僕の頭に触れた。そのまま、撫でられた。優しい感触だった。
『だから守っているの』
そう言ったあの人も、一度だけ同じことをした。今思い出す。信じていた。疑っていた。本当は信じていなかったけれど、心のどこかで慕っていた。それが僕を世界から孤立させた。答えを手に入れたから、憎しみが溢れ出した。これは決して悲しみじゃない。だけどメルさんは、全てを捨てさせてくれることなんてなかったんだ。
「ただいま──アンク?」
ドアが開く音と共に聞きなれた声がした。木の扉からすっかり冬の気配を含んだ外気が流れ込む。
「やあ、おかえり。早かったね……」
メルさんが立ち上がって僕の姿を半分隠した間に、僕は耐え切れずに零れた雫を右手で拭った。
ここまで六人の一人称でしたが、非常に書き辛かったです;;
何かおかしい文章などありましたらお気軽に指摘して下さい…!