揺らがぬ摂理の世界<1>
:・:・ アンク ・:・:
守ってくれることと、恐れていることは、きっと結構似ていると思う。
少なくとも僕にとっては──
「アンク、どうかした?」
「え? だれが??」
薄暗い森の、木々の隙間を眺めていた。あまりにぼーっと歩きすぎたのかもしれなくて、シリウスに脇から声をかけられ、僕はいつものように明るく返事をする。
「あ、その、アンクがだけど……」
けれど、何かかみ合わないことを言ってしまったみたいで。シリウスは困ったように頬を掻いている。
うん、実は全然聞いてなかったから適当に言ってみたけどやっぱり駄目だ。相変わらずシリウスは予想し辛い。まあ、でもきっと大したことではないよね?
とりあえずそう結論付けて、にっこり笑って聞き返す。
「僕がどうかしたっけ?」
「……えーっと。いや、それが聞きたかったんだけど、そうだね……方向大丈夫かなと思って……」
今は星の森の中で、今日はシリウスと二人でメルさんの家を目指していた。ドライセンは留守番、ロイとディアナは家の手伝いがあって、ヤジャは街へ買出し、ヒメリエは風邪で寝込んでいる。
ちょうど暇になったときにシリウスに会い、ヒメリエのためによく効く薬をもらってこようと、一緒に行くことにした。
とりあえず軽く辺りを見回す仕草をして、二度頷いてみせた。
「大丈夫だよ〜、あと五分くらいで着くんじゃない?」
「そっか、ありがとう。やっぱり俺は森なんてどこも同じにしか見えないよ」
森に迷ったことのあるシリウスはぼやくように言う。まあ、シリウスの言うことも最もかもしれない。僕だって記憶力はいいようだけど、流石に全て頭に入るわけじゃない。
曖昧に、口に出した途端忘れてしまうような会話をしながら森の一軒家に辿り着く。もうすっかり冬の準備を迎える晩秋の森の中、ぽっかりと丸い空間が青空を切り取っていた。
ぴり、と五感の外にあるような特有の感覚を強く感じながら、ノックをしてドアが開くまでを待った。あれから随分と見慣れた白とチョコレート色の魔女は、僕らを招きいれながら小首を傾げた。
「いらっしゃい。今日は少ないんだねえ」
「こんにちは、メル。ヒメリエが風邪を引いてしまって……」
家の中に入ると、とても気持ちが落ち着いた。それがどういうことなのか僕にはほとんどわからないけれど、彼女がそういう風にしているのかもしれないとも思う。
この間整理した大部屋は、古いけれどみすぼらしいことは無く、どこかの工房の雰囲気に似ていた。メルさんとシリウスが話している間に、壁際の本棚の前に立ってざっと題名を眺めてみる。小難しかったり見たこともない文字だったりやっぱり僕が知りたいような内容はみつけられない。
すると奥から悪魔人形のハレーが飛んできて、僕の左肩に着地した。ハレーはキイキイと高い声で、
「よう、二人か?」
「うん、そうなんだ〜風邪引いちゃってシリウスが薬だって!」
「……。半分しか理解できない」
あ、そうだ。本のこと聞いてみればわかるかな?
「そうそう、本、魔術師の」
「話題転換が不自然!!」
なんだかわかんないけど怒られた。なんでだろ。やっぱり長年の付き合いじゃないと会話って難しいんだねぇ。
僕はしばらく考え、けれどやっぱり思いつかず、困った。
「えーっとだから……魔術師の本、ある?」
「そりゃほとんど魔術師の本だよ! もっと細かい情報がないと絞れないってーの! 錬金術とか、薬学とか、色々あるじゃん!」
「そうじゃなくて……魔術師について?」
「まだ漠然としてるなあ……っていうか、メルに聞けばいいだろそれなら」
「だって……あんまり話したくないよね? メルさんは」
「は? そう言われたのか? 子どもだったら別に何でも許されるんじゃねえの」
「言われなくても、わかるでしょ?」
「わかるわけねえ!」
やっぱり怒られた。えーと、言われなきゃわからないって、そういうことに関してだよね……。僕はため息を堪える。飲み込む。言い聞かせる。誤魔化す。
そっか。きっとわからないんだ。わかるはずない。自分でそう思ってしまうだけで、別に、本当にわかっているわけじゃないんだって、そうは、思っていた。
でも──大体なら、言われなくてもわかるんだともっと幼かった頃は思っていて……今でも、普通っていうフツウが理解できているわけではなく、これからもそうなんじゃないかと思う。『だから守っているの』そう囁かれたのはいつだっただろう。
フツウじゃないから、守る。
違うから、恐い。
恐い存在だから、ひとり。
僕は何に従えばいいのか考えている。この家をはじめて訪れてからずっと。
“難しい問題だね”と、そう心に流れ込んできた気がして、思わず振り返った。初めて、彼女の茶色の目と真っ直ぐに視線が合った。星の森の魔女は、その目に複雑そうな光を湛えてこちらを見ていた。
「ハレー、シリウスと薬の材料を揃えてきて」
一旦視線をはずし、メルさんは悪魔人形にそう命じた。シリウスは一瞬僕の方を不思議そうに見て、それから何か言おうとしたけれど、何も言葉が出てこなかったようだった。戸惑いながらも、ハレーと共に家を出て行く。ドアが完全に閉まり、少し間を空けてから、メルさんは僕に再び声をかけた。
「君は」
短く一度言葉を切って、星の森の魔女は呟くようにして。
言った。
「素質があるんだね。魔術師としての」
離れていくのに、縛り付けてきた声。偽善に満ちた臆病な声。欲しかったのに大嫌いだった声。
『だから守っているの』
ずっと、決して誰も教えてくれなかった理由を、ようやく僕は手に入れる。