借りたい猫の手<4>
気になる人? うーんと、えーっと? 私が気になる?
思わずお湯に顎まで浸かって、上目遣いでメルに疑問符を送る。隣で困ったように笑ったのはディアナだった。
「ヒメリエは、あんまり考えたこと無いんでしょうね、そういうことは……ほら、俗に言う好きな人で、例えば意識してしまう異性とか、一緒にいると楽しい、もっと長く一緒にいたい人だとか、いないですか?」
「んんん〜」
なるほど、そっかあ。ディアナにとってのドライセンみたいな感じだね。
解説してもらって、やっとぴんときて、わたしはたくさん考えてみる。
意識してしまう男の子は、特にいないかなあ。シリウスやロイは村の女の子達に人気だけど、わたし自身はそんな風に気にしたことはない。一緒にいて楽しいのは、その時々によって違って、でも大体、この七人のメンバーでいることがやっぱり楽しいよね。誰か一人って言われても、誰が欠けても何だか楽しくないし……。う〜ん?
ぶくぶくと沈みかけていると、わたしの髪の毛を撫でながら、魔女さんが笑った。
「なるほど、まだまだそういう時期ではない、もしくは自分からの恋愛ではないタイプかも。でも、もったいない……ヒメリエの動物全般を懐柔できる体質なら誰でもいけるっていうか、それでなくても天真爛漫でかわいいし、ペットにして飼いたいんだけどさあ」
「だ、だめですよ……?」
優しい笑顔につられて、えへっと笑っていると、ディアナが確認するように釘をさした。メルの家に住むっていうのも、ちょっと楽しそうだって思ったのばれちゃったかな?
その後メルが髪を洗ってくれるというので、喜んでお願いした。家族とはまた違って、ツボがわかってるって言うのかなあ、すごく丁寧で気持ちがよかった。洗髪料をお湯で流してもらいながら、綺麗な秋の森に囲まれて、色々と楽しそうに提案をされる。
「ヒメリエはねえ、そう、案外にヤジャと相性がいいと思うんだけどね〜。実はしっかりしてるし気が利くし、ヤジャはきっといい旦那さんになるよ」
「ヤジャはね、遊んであげる相手なのっ!」
「他には〜、シリウスは今のところ年上がいいみたいだからだめでしょ、ドライセンはディアナの守備範囲だし、ロイは実にかわいいけど、おしとやかな感じの子がタイプって気がするから、」
「アンクはとっても面白いよ!」
「そっか。その子ともいい加減一度じっくり話してみないとね」
メルは手早く絹糸みたいな白髪を洗い流し、温泉から上がってシンプルなドレスを身につけた。わたしもメルに身体を拭いてもらって着替え、ディアナが身支度を整えるのを待って、一緒に家までの道を辿る。すっきりして気分がよくて、ちょっと走り回ったりしていると、畑の手前辺りに見慣れない人影が見えた。ぽつんと待っている様子。二人だ。あ、それと人形の黒羊ちゃん。まっすぐ飛んできながら、何か喋っている。
「メールー、丁度よかった! 人形商人が来たぞー」
「ん、そっか、そうだった。ご苦労様」
自分の手の甲にハレーをとまらせて、魔女さんは少し離れたところに立つ二つの人影に目を向けた。
えーっと、一人はどこにでもいそうな気弱そうなひょろっとしたおじさん。くたびれた茶色のローブを着て、つば広の帽子を被っている。それよりも、控えるように立つもう一人はずっと印象的だ。小柄な少年に見えなくもなくて、でも顔の目に当たる部分に何重にも包帯を巻いていて、右側の頬から首にかけて青い複雑な刺青をしてある。とても重たそうな荷物を抱えているけれど、目が見えているのかなあ?
わたしの疑問をよそに、メルはゆったりした歩調で二人に近づくと、気安げに話しかけた。
「やあ、デッドキーパー。申し訳ないが、ちょっと待っていてくれるかな? 今日は来客が多くてね」
でっどきーぱー、と呼ばれたおじさんが、ぺこぺこと頭を下げる。見た目を裏切らず、腰が低いみたい。羊ちゃんの言うとおりなら、商人さんだからかな。
「いえいえ、お気になさらず、白の魔女様。待つのは案外好きでございますから……。それに、白の魔女様の霊薬を手に入れられないと、他のお客様の機嫌をそこねてしまいます、はい」
「それは気の毒に」
メルが会話をしている間に、わたしはそうっと、じっと控えている男の子に近づいてみる。肌は青白いくらいで、やっぱりどうみても包帯で両目は塞がれている。でも、全然困ってない感じで、わたしが五歩くらいの距離で軽く首を傾げると、男の子は無機質な様子でこちらに顔を向けた。
「私のモノに間違っても傷をつけないようにね、デッドキーパー」
メルはそう言い置いて、一度家の中へ入っていったようだった。残されたのはわたしとディアナとおじさんと少年。
「お嬢ちゃん、あまり近づかないでおくれよ。マスティマはそれなりに大人しいが力が強い」
こわごわわたしの服の裾を掴むディアナに大丈夫だと笑ってみせて、わたしは困ったように言ったおじさんに聞いてみる。
「マスティマっていうの?」
おじさんは頷き、一度ちらりと少年の方を見て、
「そうだよ。ちなみに、悪魔人形なのさ……ほら、カロン様の、ハレー君と同じ……」
「ええ?」
ハレーと同じ、というくだりでディアナがびっくりしたように口元を押さえる。うんうん、確かに全然違う。マスティマは、言われてみるとそんな風にみえなくもないかも!
悪魔人形、かあ。
でも、生きているよね?
わたしはおじさんに尋ねた。
「悪魔人形って、お人形?」
「ああ、同じようなものだよ……器に、悪魔を閉じ込めて使役するって言って、わかるかな……?」
「うん、なんとなく」
きっと、お人形に魂だけいれて家来にしているっていうようなことなんだね。それなら、心はある。
わたしは一つ頷き、マスティマに向き直ると、いつものように笑ってみせた。
「わたし、ヒメリエっていうの。よろしくね!」
「やれ、お嬢ちゃん、こいつは返事なんて──」
商人のおじさんが困ったように頭を掻きながら呟き、
「…………」
表情はわからないけれど、マスティマは確かにじっとこちらを見て、声は出さないまま、軽くゆっくり頷いてくれた。そっかそっか、声は出せないとかかな?
納得して、もっと色々と聞きたくなって、思い立ったら吉日、思いとどまることなくその通りに質問をぶつけていた。
「包帯巻いてても見えてるの?」
首が縦に振られる。
「荷物重くない?」
首が縦に振られる。
「マスティマも商人さん?」
首が横に振られる。
「羊ちゃんも悪魔に見える?」
小首が傾げられる。えへ、やっぱり。
そうこうしているうちにメルが戻ってきたみたいで、状況を理解すると、心底愉快そうに笑いだす。
「おやおやぁ、ヒメリエは悪魔まで懐柔できるのだね。素晴らしい」
「いやぁ……流石に、白の魔女様のお客人……驚きですよ、はい。マスティマはあの悪魔博士に何とかお譲りいただいたものですから……使い勝手もよく、従順なだけかと思ってましたが」
「ノヴァの悪魔人形なら高かっただろうねえ。ま、私はハレーで十分だけど」
聞けば、シリウスたちもハレーの案内で温泉に行ったらしい。うん、じゃあ、その間はマスティマと遊べるってことだよねっ!
「メルの家、面白いものがいっぱいあって、さっき並べたんだよ! 見に行こっ」
わたしはマスティマの手を取って、家に向かって駆け出した。ヒメリエ、と驚いたような声がした気がしたけど、振り返らなかった。
だって、少しだけ握り返してくれた手の方が、ずっと大事な気がしたから。