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借りたい猫の手<2>

 母親にはなんだかんだ偶に抱きしめられるけれど、それよりもずっと、うろたえてしまう。

 同じようで、同じじゃない。植物のハーブに似た香り、上等なローブの触れ心地は驚くほどすべらかで、強い力ではなかった。頭に少し頬が触れている。耳元でささやかに、詩のような韻律が聞こえた。普段ならかわいいだとか言われたら絶対許せないのに、動けずにいる。


 だって、声が沁み込む度に、波が引いていくように、嘔吐感や頭痛が消え去っていくのだ。枯れた塊に水が与えられたみたいだった。なんて不思議な感覚なんだろう。

 浅い夢の中のような心地良ささえ生まれる頃、メル・カロンが離れた。


「あ……」

「やれやれ、標本に出来ないなんてもったいない。今度そういう研究しよぉ。解剖も久しくしてないし」


 マイペースに戻ってしまった魔女に何か言うタイミングを失い、一方で「メルって……ロイが好みなんですか?」とシリウスが唇を尖らせている。っていうかそういう問題なんだろうか。まあ、確かに綺麗だけど。今、治療してくれたのかもしれないけど。シリウスは真面目で性格もよくて、勇敢だし見た目も上級で、村でもかなりの人気だった。それが魔女に惚れるなんか、世の中何があるか分からないってことか。


「あは、分からないかなあ。猫と宝石を比べたってしょうがないということだよ、金色の少年」


 ぺろりと妖艶に唇を舐め、魔女は腰をかがめてシリウスの金髪を撫で回していた。俺ほど露骨じゃないけど、シリウスも容姿で愛玩されるのが好きじゃないはずなのに。頭を撫でられて嫌がらない姿も珍しい。とはいえ、その様子はやっぱり当然大人と子どもだ。


「じゃあ、俺は手伝いに戻ります」

 考えているうちに、シリウスは掃除に戻っていき、いつの間にか魔女と二人きりになってしまう。

 正直まだ、どういう関係が相応しいのかよく分からないでいた。友達でも仲間でも尊敬する大人でもない。


「まあ狭い部屋だが、好きなところに座るといいよ。もしくは一緒にお昼寝しようよ」

「じゃ、この椅子借りるから」


 まずは戯言を聞き流して、鏡台の前にある椅子に腰を落ち着ける。目の前の大きな鏡の中のメルは、たいして気にした様子でもなく、日のあたるベッドでごろごろと寝転がっていた。ベッドの向こう側にはアンティークな白い衣装棚が鎮座している。客に対応する気は全くないのはいつものことながら、無気力からは脱したらしい。

 白粉や水のような薄い緑色の液体、鏡台に置かれたたくさんの化粧品類を眺めながら、疑問をぶつける。


「魔女って、年取るの?」

「定義によるねぇ、それは。極端に老化はしない。魔術が使えることに何か審理があるのだろうけど、色々と迷走しているからまあようするにわかってないってこと。長生きはするよ」

「ふうん……何歳?」

「千歳」

「はいはい、すごいね」

「すごいでしょ」とは、寝転んで真っ白な髪の毛をいじりながら。

 平然とそんな風に言ってみせるから、皆がペースを持っていかれるんだろう。


 話半分、気にしなければいい。よく聞き分けてみれば明らかな嘘なんてすぐにわかる。からかわれるのが嫌いで、からかう方は問題ない俺は、そんな風に気分を切り替えて話すことにした。

 

「いつからこの森にいるの?」

「千年前かも」

「そういうのもういいから」

「おやぁ。不真面目だけど実は一概に否定はできない解答なのに。輪廻とかってさあ、言葉があるよね。生きて死んで生まれて消える。器が悪いから、増えて減って生死があるんだとしたら、器に入るものっていうのは、例えば魂とか精神は、一定量で、同じなのかもしれないし。だったら私は千年前この森の木だったっていいじゃん」

「なんなの、その屁理屈」

「えへ。基本的な挨拶」


 宗教が全く似合わないのに生まれ変わりなんか信じているものか。鏡の端で魔女は楽しげに短く笑うと、白いシーツをくしゃくしゃに抱いて、とろりと目をつぶった。

 急に静かになって、適度に暖かい日で、窓からの日光に照らされた魔女は繊細すぎて非現実的で、なんだか眠くなってくる。


「星を探しに来たんだと、言っていたよ」


 そして溶け込ませようとして、できなかった独立した声を聞いた。

 何のための台詞か、慎重に考えざるを得なくて、俺は身体ごとそちらを向き、短い言葉で返した。


「誰が?」


 今まで聞いたどんな声とも異なっていたから。よい意味ではなくて。


「世紀の魔女」

 まだ何も理解できず、「星って……?」と呟いて、

「なんのことだか。星の森……いわれも不確かだよね。大体、興味も無かったんだよ」

 彼女も同じように。

「……それは」

「私は付属物で、しかし結局、残り物となったというわけ。よくもないが悪くもない住み心地だと思うよ、ここは。魔術の滅びを眺めているのには丁度いいのかもしれない」


 ゆっくりと目を開きながらそんな風に言う。俺は、いつからこの森にいたのか、と聞いた。直接的な答えではないけれど、メルは少しだけ喋った。つまり、何かを探しに、星の森へ来て。それはメルではなくて、いう所によると世紀の魔女。しかしその魔女は何らかの理由でいなくなってしまって、その魔女についてきていたメルが、今でもここに残っているっていうこと。メルは惰性で住み続けていて、魔術が滅びるのを眺めている──って、隠棲じゃんかそれは。

 何だか、呆れるのとも違うんだけれど……うぅん。

 なんて言えばいいんだろう。


「満足、しているの?」


 ──寂しくはないの? 


 本当はそう聞きたかったのかもしれない。一人でって言ったら違うのだろうか。ハレーもいるし、客もたまには来るのだろうけど。でも、何か違う。意思がすごく薄い。

 メルが首を横に振った。


「そういうことじゃないんだよ。要するに優先順位の問題だね。行動するときにさ、どれが一番大事なのか決めなきゃいけないでしょ? 親、兄弟、恋人、友人、師、あるいは仕事、遊び、使命、平穏、健康。並べてみたときに、上のほうから順番に、どうってことなくなっていくわけ」

「つまり、メルはここで暮らすことで自分が満たされようがそうじゃなかろうが、どうでもいい……ってこと?」

「君は賢い。ますます美味しそう」


 だから、素直に「そうだよ」って言えばいいのに、回りくどい。それにしても……。


「じゃあ、なんなのさ? その最優先事項は」


 メルはじっと木の天井に目を凝らしているようだった。高くも低くもない天井には、当然骨組みと年輪くらいしかない。


「うーん……なんていうのかなぁ。意地、維持、頑固、ポリシーかなぁ。とりあえず魔術とか早く滅びてしまえって応援すること?」

「はあ?」


 ここに来て、さっぱり意味がわからない。魔術が滅びたら自分が困るんじゃないのか。嘘か。やっぱり嘘なのか。もうそろそろ曖昧な話には耐えられなかった。大体、忍耐強いほうじゃないのだ。真面目に話していたのに一気に気持ちが冷めて、胡乱な目をして視線を逸らした。


「あざとい。会話だけじゃなくても。今日だって、わざと家ぐちゃぐちゃにしてたんじゃないの? 僕らが遊びに来るってわかってて。お人よしの集団だから絶対汚してたら片付けてくれるって思ってたんだ」

「そして君はそういうことで使われるのが嫌だから、適当に逃れてきたんだね。ぜひ手を借りたかったのに」

「認めてるし」

「認めてるよ」


 似ているね、と魔女は笑った。人に利用されるのが嫌いなところ。

 今まで、どういう関係が相応しいのかよく分からないでいた。友達でも仲間でも尊敬する大人でもない。


「じゃあ、同士、ってことで」


 色とりどりの化粧品を並べてみながら、俺は自分の思いつきに一つ頷いて、ちょっとだけ鏡の中へ笑い返してみた。

 



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