プロローグ2
〜眼が覚めると俺は英雄だった〜
なんて話はあるはずもなく。見渡す限り背の低い草木の生えている平原だった。
ここがヴァルヘイム平原と呼ばれる場所なのだろう。所々戦火の跡が残されている。
剣や槍、あと、鉄の残骸なんかはよく見かけるが、生き物の死骸が無いのはどうしてだろう?
まぁ、とりあえずあのクソ女神はどうやら本当に戦場と化した場所へと俺を飛ばしたらしい。
しばらく歩いていると、体の違和感に気がつく。
明らかに筋肉の量が減り、どう見ても力は無さそうだ。近くにあった錆だらけの剣を試しに持ち上げてみようとしたが、無理だった。
まぁ、見た目でわかってたけどさ。
だって、この剣俺の身長くらいあるし。
近くの水たまりに顔を写して確信する。
まだあどけなさを残した顔。髭の剃り跡も一切ない。
若かりし頃の俺がそこにいた。
「本当に若返ってる…。」
水面に映った顔をペタペタと触っていると、不意にもう1人の顔が写り込んだ。
…何というか、とんでもない美人だ。
普段見ることのない真紅の髪の毛に色気のある唇。
俺は期待を持って勢いよく後ろを振り向く。
そして…、その光景に唖然とする事になる。
例えるならばまさに百鬼夜行。
化け物達の軍勢。
その美しい女性の頭には立派な角が生えており、その周りは大きな体を持つ牛の頭や、トカゲの様な頭を持つ二足歩行の化け物達が巨大な獲物を手に傅いていた。
…人間じゃない!!
先ほどまで見渡す限り平原だったのに、いつのまにか終わりが見えないほど多くの化け物達が隊列を組んで俺の目の前にいる。
その事実だけで俺の心臓は悲鳴をあげていた。
こ、殺される…。
「ば、化け物…。」
「なんじゃこやつは、何故こんな所に人間がおる?」
「え?」
「早く答えろ人間!!北の魔王レティシア様が聞いておるのだぞ!」
となりに控える牛頭の化け物が怒号を飛ばす。
「ひ…ひぃい!」
初めて向けられた殺気と、血液や肉片をこびりつかせた巨大な斧槍。
その圧力と死の匂いに、俺は恐怖と言うものを嫌と言うほど感じた。
怖いのに目を背ける事が出来ない。まるで、底の見えない穴の前で、穴に向かってじわじわと追い詰められていく様な感覚。
そんな逃げ場のない恐怖を感じ、俺は気がつくと漏らしていた。
俺の様子を見て、魔王と呼ばれた美女は牛頭の化け物を制止した。
「やめんかギュータラス。人間が怖がっておるではないか。」
「ハッ!申し訳ございません。」
魔王の言葉にギュータラスと言う牛頭の化け物は斧槍を引っ込めた。
「のう。人間。お主はどうしてこんな所におるのじゃ?それに、この戦場にあるのに妙に綺麗な格好をしておる。
察するに魔法使いどもに魔力が無くて間引かれたか?どうなのだ?人間?」
俯く俺の顔を無理やり自分の方へと向けて尋ねる魔王。
「早く答えんか人間ッ!!」
再びギュータラスから向けられる殺気。
「うわあぁぁあ!」
「やめんかギュータラス!!」
「ハッ!かしこまりました!」
その言葉にギュータラスは殺気を止めた。
「こ、殺されるかと思った…。」
「全く。妾の部下は気が短くていかん。
もう良い。
妾はこの小僧とは二人で話がしたい。
お主らは東の軍勢の方へと歩を進めておけ。妾はこの小僧との用事が終わり次第、転移魔術で向かう。良いな?」
「ハッ。かしこまりました!
皆の者聞いたか!今よりこの隊の指揮は北の四天王が1人、ギュータラスが受け持った!我が命に背くは死、あるのみと知れ!良いな!」
「「「かしこまりました!ギュータラス様!」」」
「では、行くか小僧。」
北の魔王レティシアはぽんと、俺の頭に手を乗せると、左手を前へと構えて呪文を唱えた。
『宙を漂う次元の粒子よ。我が命に従い、その門を開けよ。【ディメンションゲート】』
宙に魔法陣が現れたかと思うと、目の前に紫色の裂け目が出来た。
「ま、魔法!?」
「さぁ、小僧。一緒に行くとするか。ここからの言葉は慎重に選べよ。妾もそんなに気が長いわけではないのでな。」
レティシアは俺の肩を抱くと壊れ物を運ぶように一緒にゲートの中へと入っていった。
レティシアからはとても良い匂いがした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
到着した部屋は、石造りの建物だった。
どう見ても普通の民家には見えない。
豪華な装飾。床一面に引かれた真っ赤な絨毯。
ここはまさか。
「ようこそ我が城へ。妾が人間をここに連れてきたのは初めての事じゃぞ。光栄に思えよ。」
やっぱり魔王城だった…。
え?いきなりラスボス戦なの?
また俺漏らす自信満々だけど大丈夫?
「そう硬くなるでない。妾はお主に頼みがあってここに連れてきたのじゃ。」
「た、頼み?」
「そう。お願いじゃ。
お主は人間にしては容姿が悪くない。それに、魔力なしなら隷属させるのもそう難しく無いはず。」
「お、俺に何をして欲しいんですか?」
溢れ出る威厳から不思議と敬語になる。
「お主、妾のツバメにならぬか?」
「へ?」
「何度も言わせるな。妾のツバメにならぬかと聞いておるのだ。」
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【若いつばめ】
俗に、年上の女性の愛人となっている若い男をいう。(女にとって)年下の愛人。
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「つまり、愛人になれと?」
「まぁ、愛人と言うよりは、奴隷に近いがの。
裏切らぬ印として隷属の呪術を施してやる。そうすれば、仮にギュータラスがお主の首を切り落とそうともお主は死なない。
しかし、妾のそばを一定の距離離れればお主は死に至る。どうじゃ?お主がここで生きるには悪くない条件であろう?」
おそらくここを今のまま飛び出しても、殺されるだけだ。
まぁ、あの軍勢を見た後で抜け出す気も全然ないが…。
「あ、あの。一つ聞いても良いですか?」
「なんじゃ?妾も気が長いわけではないと言ったであろう?
まぁ、…仕方ない。ひとつだけ答えてやろう。」
俺の怯える様子を見て不憫に思ってくれたのか魔王は椅子に座りながら言った。
「どうして強制的に呪文を唱えないのですか?俺の意思に関係なく奴隷にする事など容易いと思うのですが。」
「ああ。それはな。
妾が魔王であるからじゃ。」
「?」
「妾は幼き頃よりこの強さであったがために誰とも対等な立場になった事がないのだ。
そこで、お主のような者に呪いをかけて、その穴を埋めて貰おうと考えたのじゃ。」
「つまり、魔王様も寂しかったって事ですか?」
「そ、それは別によかろう。ただ、対等な者が欲しかった。それだけじゃ。
それに、その呪法には使う際にひとつ条件があるのじゃ。」
「その条件とは?」
「術者と被術者が互いに同意している事。」
「つまり、俺がその条件に同意しないとその呪法は使えないと言う事ですね。」
「ああ。そう言う事じゃ。
無理は言わぬ。嫌だと言うならこの城から出て行っても良い。
ただ、妾はこの城のものにお主のことを知らせるほど親切ではないがの。」
「断らせる気が無いじゃないですか。」
「まあの。こんなに綺麗な人の子は初めて見たからの。誰にも渡すものか。」
魔王様はガシッと俺の両肩を掴んでキラキラとした瞳でこちらを見ている。
…なんだか照れるな。
前の世界では別にイケメンなんて呼ばれてなかったんだけどな…。
どうしてだろう?
「そうじゃ。聞くのを忘れておったわ。お主の名は何という?」
「はい。俺の名前は近衛 春人と言います。」
「む?妙な名じゃな。ハルトと呼べば良いのか?」
「はい。それで構いません。」
「それじゃあ、契約を結ぼうかの。
ハルト。そこの魔法陣の奥側に立っておれ。」
あれ?俺いつのまに同意したんだっけ?
と思ったが、俺は言われるがままに魔法陣の奥側に立った。
『我、古の契約にて命ず。其に在るはコノエ ハルト。此に在るはレティシア・シスリア。双方の意を持って絆と為す。永遠にその楔。愛し逢うまで千切れぬ事を。』
【愛だけが終わらせる輪廻〈エンドレスラブリピート〉】
俺と魔王様は光に包まれた。
俺の首にハートを形どった枷がどこからともなく嵌められる。
そして、その先には鎖。鎖の先は魔王様が持っているのだろう。
ああ。これから奴隷生活の始まりか…。
しかも、魔王の奴隷だ。どんな目に合うかなんて想像できない。
ギュータラスに毎日刻まれたり、魔王様に慰み者にされたりするのか…。
いや、後者は別にむしろバッチコイだけど。
果たして俺の運命やいかに。
そして、光が少しずつ晴れて行く。
其処にいたのは鎖の手綱を持ったスタイル抜群の魔王様…。
ではなく。ちんまりとした幼女だった。
立派だった角も髪の毛に隠れてしまうくらいのサイズになってしまっている。
しかも服がずり落ちてまさかの全裸である。
「え?」
「な、なんじゃこりゃー!!!」
ジャラジャラと鎖を手放し涙目で体を隠す魔王様。
「わ、わりゃわの体が縮んでおる!
ハルト!わりゃわに何をした!」
「い、いや、別に俺は何も。」
そう言って取り敢えず目をそらす。
…思いっきり見てしまった。
「そんなわけなかろう!わりゃわは四魔王の中でも最も強いと言われるの北の魔王じゃぞ!いくら隷属の呪法と言えど、わりゃわの魔力でここまで力を吸い取られるなぞありえぬ!」
「まぁまぁ落ち着いて、わりゃわちゃん」
「こりゃぁー誰がわりゃわちゃんじゃー!この人間風情が!消し炭にしてくれる!」
『其は天空より照らす気高き陽炎。その輝きを彼に放て【フォーカスコロナリア!】』
しかし、何も起きない。
「な、何故じゃ!何故わりゃわの魔法が発動せん!?」
『そりゃあ、当たり前さぁ。アンタの魔力はもうツバメ君に吸い取られてすっからかんだからね。』
突如地面から溶け出すように現れた蝙蝠のような翼の生えた金髪の男。
男はニヤリとキザな笑みを浮かべると魔王様の方を見て言った。
『いやぁ。驚くほどうまくいったね。全く。女神の落し物がこんなに役に立つなんて思っても見なかったなぁ。』
「お前は東の魔王サイラス!」
『そう。僕はサイラス。君の憎っくき敵さ。まぁ、もうどうでもいい事だけどね。
だって君ら、もうすぐ死ぬし。』
「は?何を言って…」
『ほらほら、もうすぐ城の兵たちが来ちゃうよ。逃げなくて良いのかな?』
「どうして逃げねばならぬ。ここはわりゃわの城じゃぞ!」
『今の君の魔力量と体格で誰が北の魔王レティシアだと気がついてくれるかな?
そもそも魔物社会は弱肉強食。魔王が弱ったとなればその首を取りに来るものは大勢いるだろうね。』
「なっ!」
その言葉に魔王様は口を開けている。
『そのままの姿で殺してしまうのもオツだけど。今回は逃してあげようかな。』
「ど、どうして?」
俺が端的に問うとサイラスは愉快そうに行った。
『憎っくき仇が素っ裸のまま逃げて自分の部下たちに陵辱される姿を見るなんて、最高だろ?僕は君に出来るだけ苦しんで死んで欲しいんだ。
今の僕は影だけの姿だけど、君を殺すことくらい造作無い。でも、それをしないのは君が愉快に嬲られるのを見たいからさ!』
「こいつクズ野郎だな。」
そう言った瞬間。
俺の首が飛んだ。
何故わかったか?
それは俺の体の全身が自分の目で見えたからだ。
『ああ。君は要らないよ。だからもう喋らないでくれ。』
「ハルト!」
魔王様が俺に駆け寄ってくる。
首から上だけになった俺を小さな手で抱き抱えるように拾うと魔法を唱え始めた。
同時にいつのまに拾ったのか丸い玉を握りつぶした。
『なっ!魔宝玉か!』
『宙を漂う次元の粒子よ。我が命に従い、その門を開けよ。【ディメンションゲート】』
その瞬間俺の意識が途切れるとともに、見えている景色が変わって行ったのがわかった。
『あの土壇場で逃げの一手に撤するとは、やはり魔王らしからぬやつだ。レティシア…。
しかし、これから面白い事になりそうだ。
ふふふ!はははははは!
どこまで逃げ切れるか、楽しみにさせていただこう!』