九 崩れた壁
すっごく甘いです…!
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宮城、水伊の部屋――。
祝言の準備が着々と進められているのを感じていた。
(これで、良いのよね…ううん。良い。跡継ぎを作れるなら)
そう心で言うと水伊はふっと笑った。
『本当にそれで良いの?水伊――』
「…え!?」
吃驚して左右を見渡す。
そしてその後、うしろを向く。
其処には透き通った女性が立っていた。
その容姿は水伊だってよく見たこと有った人物だ。
「か、母様…!?」
『貴方が本当に進みたかった道は、それで良いの?』
「何を言っているの?私はこれで良かったんです」
『水伊がそのような道を進んだら、大切な仲間を一度に傷つけることになるのです。それでも水伊はその道を進むのですか?』
「私はこれで良いって決めたから…後悔は、してないです」
『貴方の両親はそのことに反対してます。勿論私だって反対です。…旺殿が私たちを殺すのは想定済み。だから水伊はそれに関してあの方に恨みを抱いてはいけません』
「どうして…」
『あの人が将軍に付いたときから分かってはいました。いつか殺されるであろうと。だから要殿や李殿を恨んではなりません』
「でも……でも!私は母様達とずっと一緒にいたかった!あの楽しかった七年を、どうしてくれるの!?」
『私も同じよ。水伊とずっとずっと一緒にいたかった。でもね、あの七年よりもっともっと楽しい未来が貴方にある。だから、後先分からぬ宮城の人などと一緒になること、私は大反対です』
「母様……」
『要殿は貴方の言葉で酷く傷ついておられます。…水伊、謝るなら今の内。それと、本当の想いを打ち明けて?貴方は望んで等いないのでしょう?』
「違う…!私は、私は跡継ぎがいないって言われて、婚約を」
『間違っています、水伊』
「え…」
『心の壁を崩して良く考えなさい。貴方が本当に想っているのは、誰?李櫂々ですか?旺要ですか?』
(壁を、崩すなんて……)
水伊は寸刻答えを躊躇った。
でも…
(崩せば、甘えてしまうじゃない…)
『偽物の気持ちなんかでこの先過ごすのは、良くない事よ』
そう言われた途端、水伊の心にあった壁が一気に崩れた。
そして今まで感情すら出さなかった水伊の眦から涙が零れ落ちた。
水伊の実母・椅憂は水伊に向かって問いかけた。
『――水伊。貴方は何を望んでる?誰と一緒にいることを、望んでいる?』
「…要殿を幸せにしたい。あの人の、傍にいたい…」
『やっぱりそうよね。その方が私だって嬉しいわ。まずは要殿に謝るんです。そして二人で宮城から伸びる魔の手を凌ぐのです』
「分かりました、母様」
『じゃあ、またね……水伊。私たちの分まで、幸せに…』
「母様!…嫌!一緒にいて!傍に、傍にいて…!」
『大丈夫です。貴方があの笛を吹けば、私は降りてきます』
「あの笛…母様が火事の時に渡した…」
『そう。今ならあの曲、水伊でも吹けるでしょ?』
「――うん」
『なら、後で良いから吹いてご覧なさい』
そう言うと椅憂はだんだんと薄くなり消えていった。
それを見届けた水伊は、立ち上がり外へと飛び出した。
言わなければならない。
自分が偽りの気持ちで過ごしてきたこと。
本当は、誰よりも要を想っていること。
傍にいたい。彼を支えたい。
彼の想いを壊してしまったのは、自分だ。
全ての想いを拒絶してしまった。
それで負わせてしまった傷はどんな傷よりも深いはずだ。
(私……今まで、何を考えてたんだろう)
どうして本当の気持ちを壊そうとしてたんだろう。
――要を恨んでいる所為…?違う…ただ怖かった。自分を守りたかっただけなんだ…。
そんなことをして、人を傷つける以外何も出来ないのに――。
要の家の前に付いた途端、また涙が溢れ出す。
「要殿…!」
そう言うと扉を思いっきり開け放ち、要がいる部屋へと急いだ。
昨期の部屋にいるか、自室のはずだ。
昨期の部屋前まで来て肩で息をする。
結構距離があったからだろう。
数回深呼吸をしてその襖を思いっきり開ける。
そこで目にした光景は――
「要殿!?何を、何をやろうとなさってるんですか!」
要が自分の首筋に剣を当て剣を引こうとしているところだった。
「水伊…!?」
「止めて!そんなこと、しないで!」
「何でお前が止め…」
言葉はそこで急に止まった。
要の腕の中で水伊が泣きじゃくっているからだ。
「どうして…」
「私が間違ってた。……貴方を、傷つけた…。自分の気持ちに嘘をついてたから…本当は、ずっとずっと……貴方を支えたいのに……傍にいたいのに…!御免なさい。本当に…」
「お前の家族を殺そうと仕向けた俺が…そんな、謝られて…」
「それは、仕方がないこと。…将軍という立場は憎まれて当然だから…。だから、もう気にしてない…」
要の首筋にある剣を水伊は掴み、部屋の隅へと放り投げた。
「だから、死のうとするような事しないで!貴方が死んで、何人もの人が悲しむ!そんなの、私が許さない!」
「――――わかった」
「本当…?」
「当たり前だ。お前がそこまで言うなら…安心した。もう、許されないかと思ってた。最初の内、全然知らなかったし…ただ父のことは慕ってたしちゃんと従わないとって思ったから…だから…。俺がもし、殺さなかったらお前は今でもずっと楽しく生きてたのに…。俺が、お前の将来を潰してしまったんだな」
「確かにそうだよ…あの七年間を返して欲しいって思った。でも、これから先を楽しく過ごしたい」
――貴方と一緒に
「俺、と…?」
「うん…。私は貴方を幸せにする。傷つけてしまった分、ちゃんと償いたいから…」
そう言うと水伊は涙を拭き、要に向かって笑いかけた。
もう迷いはなかった。
要と一緒に生きる。水伊はそう心で決めた。
「……だから、少しお願いがある」
「え…?」
「私、李櫂々との婚約を許可してしまって…祝言がもうすぐ行われるんだ。だから…その、その祝言を止めて欲しい。手伝って欲しいの。…あの人はしつこいって、草魏殿から聞いてるから…何れは退治しないと行けないんだろうけども…良い、かな…」
「其処ら辺は噂で聞いた。その時はすっごいへこんだけど…。分かった。…絶対、彼奴の手にお前を渡さない」
「…馬鹿ね」
渡される前に、私が自分で逃げるわ。
「帰る場所は、決まっているから」
「…いつでも帰ってこい。ずっと、待ってるから」
そう言うと要は水伊の手を取りそっと中に引き寄せる。
「もう俺は…許されたんだよな…」
「私が許したから。…もう、大丈夫。縛られないから。過去のことに…だから、安心して」
「あぁ……。ってお前何で、考えがいきなり…?」
「……母様に、会ったの。霊状態の母様に。それで言われたんだ。偽物の気持ちなんかでこの先過ごすのは、良くないって…。だから、本当の気持ちだけを、引っ張り出した」
「それで…。お前の考えは、変わったんだな」
「うん。これ以上は、変わらない。…変えられそうになっても、貴方が戻してくれると信じてるから」
「分かってる。絶対に戻してやる。あんな奴に、お前を渡すものか」
「まだ言ってるの?私は渡されないって言ってるでしょ?」
「随分な自信だな」
「――だって」
貴方が其処にいるんだから、大丈夫なんだよ?
「そうじゃなきゃ、こんな事言えないから」
「そうか……。お前も、昔に戻ったな」
「……え?」
「言い方。いつの間にか敬語が無くなってる」
「あ…」
「そのままで良いから。…それも、悪かった」
「気にしてないよ。…あの人が年上に敬語を使わないことが気にくわなくて私にあんなことを言っただけでしょ?」
「そうだけど…。結局俺が伝えて水伊を傷つける羽目になって…」
「もう良いって言ってるじゃない。これ以上落ち込まないで。そんな要殿見てられないから」
「言ってくれるじゃないか。…泣いてる水伊を見てられないのと同じぐらいだな」
「なっ…!」
「こっちまで辛くなっちまうからさ。今だって、泣きかけだろ」
「五月蠅いっ…」
「今ならちゃんと慰められるから。…泣きたきゃ、泣きゃ良いんだ。ちゃんと俺が受け止めてやる」
「………と」
「え?」
「…ありがと…」
「…お前がまともにありがとうって言ったの、久々じゃないのか?」
「多分…。…あの、言いたいことが…」
「――言いたいこと?」
「傷つけてしまった分際でこんな事言えないけど……耳、貸して」
「え?あ、あぁ…」
一旦腕を解き、水伊の口元に耳を傾ける。
そこで囁かれた言葉はたった三文字。
それだけで十分だった。
それを言った後の水伊は顔が真っ赤だった。
「……可愛い奴だな」
「い、言ったなっ!?」
「本当のこと言っただけだ。文句あるか?」
「よくもまぁ赤面しないでそんなことを…!こっちは緊張したんだから!」
「…ばーか。俺がどれだけ感情隠してるのか、分かってんのか?すっげー恥ずかしいんだからな」
「何だ。赤面しないからどうしたのかと思った。やっぱ恥ずかしいんだ」
「テメェも言うときは言うな。…ま、俺だって言いたいこと有るけど。耳貸せ」
「またそんな乱暴な言葉使って。昔はどこか品があったのに。良家がそんな言葉遣いで良いと思ってるの?」
「うるせーよ。前みたいに戻せ何て冗談じゃない」
「それが、要殿だけどね…。で、言いたいことって…」
あ、忘れてたと言いながら要は水伊の耳元へ近づく。
其処で甘く囁かれたのは四文字の言葉だった。
「か、要殿…!」
「これぐらい言いたかったし。本当のことだ」
「――そう、なんだ…」
「水伊…?」
「え?あ、な、何でもないっ。泣いてなんか」
「泣いてるだろうが。ばーか」
「うっさい!………でも、ありがとう。すっごく嬉しかったから」
水伊はそう言うと赤くなった顔を隠すようにそっぽを向いた。
「――水伊」
「え?どうした?」
「俺はさ、その、お前を幸せに出来るか…?」
「…は?」
「『は?』は無いだろ、『は?』はっ」
「……出来ると思う」
「え?」
「前に言ったじゃない。何が何でも幸せにするから、って…。だから、出来ると思う。私は信じてるから、要殿のことは……って私、何言ってるんだろ」
そう言って水伊はまたそっぽを向いた。
そんな水伊を後ろから要は包み込む。
「ちょ…っ」
「御免。離すとお前が消えそうな気がした」
「…え…?」
「また前みたいに、消えていくんじゃないかって。戻ってこないんじゃないかって」
「もう何処にも消えないから。そう約束するから」
「本当か…?」
「何でよ。今此処に私がいるのに。ほんと人間不信ね」
「な!うっせぇ!」
そう言って憤慨するが、そんな要を水伊は止めた。
「――本当に、離れないから。だから、いつまでもそんな辛そうな顔しないの」
「ありがとう……水伊…」
「ううん。こっちこそ…貴方と過ごせる日々が、何よりの幸せだから。……こんな私でも、傍にいて良いのかな」
「いてくれなきゃ困る。水伊がいなかったとして誰を頼りに生きていけば良いんだよ」
「草魏殿達が可哀想ね」
「あくまで彼奴らは仲間だ。……でも水伊は違うから。たった一人の想い人だから」
「――知ってる。私だってもし要殿を失ったとして、誰を頼りに生きていけばいいの?そんなの…わかんないよ…」
「俺が死んでもずっと水伊の所にいてやる」
「うわ。死んでも付いてくるの?ちょ、止めてよ幽霊!」
「ひっでぇ扱いだな」
「…冗談よ。…その方が嬉しいかな。今日の、母様みたいに」
「……何かお前、いつもと違う」
「変わったんだもの。…あの時とは違う自分に」
「変わっても変わらなくても……俺はずっと、好きだから。ずっと想い続けるから」
「……またそんなこっぱずかしい事を」
「今なら余裕で言えるぜ?」
「連呼したら斬るからね?」
「つまりは口説くなって事か」
「既に口説いたのに何言ってるの」
「な!?」
「――今なら構わない。受け止めるから」
「わーってるよ、そんなこと」
「…要殿」
「待て、要で良い」
「え、叔父様に怒られるんじゃ…」
「良いって。俺が許すから」
「――要」
「何だ」
「その……結婚、してください」
二人の間に春の微風が入り込む。
いきなり言われたのか、要は驚きを隠せずにいた。
だが、直ぐに微笑みに変えて口を開いた。
「言われなくても花嫁にしてやる」
そう言うと、水伊を抱く腕に力を込めた。