二十五 一時の消失
皇城、皇帝の棺室――。
「……父上、様…」
漣葉は皇帝の娘であると告げ、中に入れて貰っていた。
棺を目の前にし、ぺたんとその場に崩れ落ちる。
自分の名を笑顔で呼んでくれた頃が遠く懐かしい。
拾い子だった自分を良く思わない者がいた。
そんな不安を取り払ってくれたのは義父だ。
『漣葉は漣葉らしく生きなさい』
そう言ってくれた人が。
『何も心配することはないよ』
そう言ってくれた義父が――
もう帰らぬ人となってしまった。
誰が。誰がこんな事を。
だが病気だと聞いたからどうとも言えない。
…決して良いことをした人じゃない。
草魏に手を出したことなど良いことをしたとは絶対に言えない。
…それでも。
それでもただ悲しかった。
自分が慕っていた人物がまた消えた。
義姉、義父と…。
そんな事を考えると無性に自分の所為だと思い込みたくなってしまう。
今回の場合は違うと分かっている。
結核が原因だと宮城でも聞いた事だ。
身罷られてしまった今、言える事は――
「どうか、安らかにお眠り下さい……父上様…」
そう言った後頬に一筋だけ涙を流した。
***
長安東市。
良爽は楼々に頼まれた買い物をしに来ていた。
頭の中は漣葉のことでいっぱいになっている。
漣葉と皇帝の間に何かある。
其処は薄々と感じていたがどういう関係なのかまでは分からない。
「…余計に心配になってしまうだろ」
ぽつりと呟いて空を仰ぐ。
この傾いた心さえも気にせず流れていく。
それの様子を見てて無性に苛立った。
「良爽ー!」
「え?れんよ……じゃなくて龍盈!?どうかしたのか?」
「あ、あのさ…れ、漣葉と皇帝て親子関係なんだって!皇帝は漣葉の義父にあたるけど…!」
「……嘘だろ…?」
「本当だよ!羅華さんから聞いたんだよ!漣葉と皇帝は親子関係だって!」
「だから彼奴宮城に…!?」
「え!?もう宮城に行っちゃったのか!?」
「あ、あぁ」
「羅華さんが言ってたよ。漣葉があの様子を見たらまた自分の所為だと思い込んでしまうから止めろって」
「…漣葉が、危ない…」
「急ご、良爽!俺達も宮城へ行こ!」
「お、おう!」
買い物の報告は後だ。
自分の所為だと塞ぎ込んだら大変なことになる。
塞ぎ込んだときに来る場所も決まっている。
其処は漣葉が二度も生死を彷徨った場所だ。
あの場所が落ち着くと言っていたが危険以外の何物でもない。
(行かせるものか…!)
「って龍盈」
「ん?何だ?」
「羅華って何でそんなこと知ってるんだ」
「…漣葉には言わないで欲しいんだけど羅華さんは漣葉の死んだ義姉の愁蘭さんなんだ」
「え!?」
「火事の際に賊に逃がして貰ったんだって。漣葉を探していたときに羅家の人に引き取られて名を羅華と改めたんだ」
「だから其処まで細かいこと知ってるのか。……え、じゃあ羅華も宮城に来るのか?」
「ううん。漣葉に正体を見破られる危険があるから行かないんだと」
「正体明かさなきゃ行けないんじゃないのか?」
「既に漣葉は愁蘭さんが死んだと思っているから姿を現しても無駄なんだって言ってた」
「――漣葉は、生きてると言ってる」
「え?」
「漣葉、前に『姉さんは死んでない。ちゃんと生きてるんだ』って言い切った。だから死んだとは思っていない」
「そう羅華さんに言ったけど…同じ返答が返ってきただけで…」
「……そうか…。っておい、宮城の警備凄すぎるじゃねぇか」
「皇帝がなくなられたって言うから妙な輩は入れまいと厳重にしてるんだな」
宮城の四方八方宦官だらけだ。
侵入しようにも場所がない。
「…ねぇ良爽」
「あ?…な、何だお前その怪しげな笑みはっ。こえぇよ!」
「俺さ、前に地下から宮城に入れる道作っちゃったんだ」
「はあ!?地下から宮城に!?」
「しーっ!声大きい!…こっち来て」
「お、おう」
何という試みだ。
地下から宮城にいく道を作る等。
崩れて無くなっていないことを祈っている自分がいて少しだけ苦笑する。
だが良く地面を掘って宮城に出る事が出来たものだ。
「良爽、此処此処!」
「…うわ。でっけぇ」
「これ作るのに一月は掛かったかなぁ」
「へいへいお疲れさんした」
「取り敢えず行こう!こっからなら宮城に入れる!」
そう言って二人が穴の中に入ろうとした瞬間――
「――何で二人が此処にいるんだ」
力のない声が二人を止めた。
二人が振り向いた先には漣葉がいた。
「漣葉…」
「漣葉を心配して此処まで来ただけなんだよ!羅華さんから漣葉の詳細を…ふがっ!」
羅華のことを今此処で離すわけにはいかないと良爽は龍盈の口を手で塞ぐ。
「今此処でそれを言うな!…取り敢えずお前の様子を見に来ただけだ」
「――余計なこと、しないで」
「…漣葉?大丈夫?何か力が入ってない声だけど…」
「おい、漣葉!しっかりしろ!」
良爽はそう言いながら漣葉の肩を掴み揺らす。
その手を「離せ」と漣葉は力強く払う。
「どうしたんだよ漣葉!」
「俺のことはほっといてくれ!誰から詳細を聞いたか知らないけどお前等に話すことは何もない!」
そう言うと二人の制止を振り切って漣葉は走り出す。
「漣葉、一人になりたいのかな…」
「――分からない」
「別に死ぬことはなさそうよ。…そっと、しておきましょう」
「…そうだな」
寂しそうな良爽の顔を龍盈は見ていられなかった。
***
長安道政坊、憂邸。
その一室で楼々は一人黒や白の服に身を包んでいた。
「…すっかり喪に包まれちゃったわ」
辺りに喧噪はなく、静まりかえっている。
鳥の囀りさえも聞こえなくなり、かなり寂しい状況になった。
小さな音まで妙に恋しくなる。
(…そう言えば)
漣葉や良爽はどうしたのだろう。
昨期から姿が見えない。
…燐達に聞けば分かるのかしら。
(呼んでみるっきゃないか)
「燐!豹駕ー!春稜ー!いるー?」
「…楼々お姉ちゃん?」
真っ先に燐の声が聞こえ、ぱたぱたと足音が迫ってくる。
それは楼々のいる部屋で止まり襖ががらっと開けられる。
「ど、どうしたの楼々お姉ちゃん」
「漣葉や良爽、知らない?」
「それがねぇ、あたし達朝から探してるけどどっこにもいないの。龍盈お姉ちゃんまでいないし」
「龍盈も?ああもう何してるのよっ」
「今豹駕や春稜がさがしにいってるんだけどね…。あたしもさがす限りさがしたけどいないの」
そう言うとしゅんと肩を落とした。
「そう落ち込まないの。…あの三人が揃うと何しでかすか知れた事じゃないし…。帰ってくるのを待ちましょう?」
「うん…!」
たちまちぱっと笑顔になり燐は大きく頷いた。
「…ほんっと、何処に行ったのかしら…」
窓の外に目をやりながらぽつりと楼々は呟いた。