二十三 喪
皇帝陛下、崩御なり――
この知らせは瞬く間に城内、そして城市にまで広がった。
喪の帳が降りた長安には小鳥の囀りさえも聞こえない。
勿論の如く草魏・水伊の婚約は保留、楼々の祝言は取りやめとなった。
それで内心喜んでいたとしても次の皇帝になった時にどうなるかが問題だ。
果たして次の皇帝の決断がどうなるのか。
***
道政坊・憂邸――。
宮城から逃げた漣葉は一人沈んだ顔をしていた。
実は皇帝は漣葉を育ててくれた愁家の頂点。
つまり、漣葉にとっては義理の父だ。
そしてその人物が亡くなったというわけだ。
放置しておく訳にはいかない。
でも此処まで悲しんでいる自分は何なんだ。
草魏を勝手に見初め、婚約しようと迫った身だ。
あまり良いことをしたとは思えない。
でもただ心が沈んでいる。
それは愁蘭の父故か。
「…漣葉?どうかしたか?」
「何でもない。…気にすんな」
「でも」
「……宮城に行ってくる」
「!?何言ってるんだお前!今行ってみろ!何されるかわかんねぇんだぞ!?」
「ほっといてくれ!事情も分からない奴に何が分かる!」
漣葉はそう言うと勢いよく立ち上がり憂邸を飛び出した。
今はただ一人になりたい。
良爽にさえ話していないこの事情を誰が知っているだろうか。
自分しか知らないこの事情。
素性を知られないためにも隠す必要があった。
(父上、様)
皇帝に向かって父上様と発したのはいつぶりだろうか。きっと年単位だろう。
喪に包まれた長安内に漣葉の靴音が響いた――
***
「皇帝様が…崩御、ですってね」
皇帝崩御に伴い一旦櫂々から過所を返して貰った水伊は旺家へと足を運んでいた。
水伊の体を包む服は黒や白だけ。
逆にその服装は裏の顔、賊の時の服装とそっくりそのままだ。
そんな水伊の前にいるのは水伊の恋人兼、水伊のいる賊の首領の要だ。
「あぁ。おかげで水伊の婚約は保留となってる」
「あくまで保留でしょ?次にどうなるかは分からない」
「確かにな。…宮城では早速次の後宮作りなどを始めているらしいな」
「前帝が亡くなったばかりなのに早いものね」
「まぁな…もう皇太子の奴が次の皇帝になる準備まで着々と進められている。彼奴が櫂々や輛麟と言った者たちにどう命令するかが問題だな」
「それによって私たちの将来まで左右しちゃうしね」
前帝が亡くなって喪が包んでいるのにもかかわらず宮城は大忙しだ。
「…面倒な事に巻き込まれちゃったわね私達」
「だな。…それに問題なのはこれだけじゃねぇ」
「そうね…あの蜂咏が何をし出すか。最近青龍坊に行ってないわ」
「行かなくて良い。行って何されるか知れた事じゃない」
「少なくとも襲われるのは確実よね。裏切りがばれたし。それだったら貴方も同じよ」
「まぁそうだな。其処ら辺は覚悟しねぇとな」
「しれっとそんなことを言い放てる要が凄いわ」
「だろ?」
「馬鹿。全然褒めてないわよ。…兎も角しばらくは宮城に行けそうにないわ」
櫂々がこの後どう動くかによる。
今この状況で宮城に向かったとして何をされるか。
青龍坊に行くと同じぐらいに危険度が上がる。
喪の帳があがりきるまでは――
「大人しく、しておくしかないわよね」
静かな旺家の一室に二人の溜息が落ちた。
***
所変わって崇仁坊・栄邸。
皇帝の元にあった過所を返して貰い栄邸に引き返した草魏。
栄流が吃驚して娘を見ていたがすぐに表情を戻した。
皇帝に見初められたことも全て話した後自室へと運んだ。
皇帝の死因については結核、としか書かれていなかった。
それは皆が言っていたことだろうから真実であろう事は確かだ。
それ以外にあるとしたら寿命だろう。
(桃莉様は、行けなかったのだろうか)
確か皇帝の部屋に足を運ぶと言っていた。
…其処でまさか、皇帝が死した瞬間を目の当たりにしたのか――。
それとも外で見守るしかできなかったのだろうか。
どっちにしろ桃莉にとっては辛い事以外の何事でも無いだろう。
幼い頃から一緒にいて桃莉は想いを寄せていた。
それ故に自分に嫉妬し、冷たく当たっていた。
事情を知って納得してから、さらに皇帝への想いが募ったのだろう。
それ故に病の床に伏せっていても、ただ死んで欲しくないと一心に願い部屋に赴いたのか。
誰よりも皇帝を想い、皇帝の傍にいた。
そんな桃莉にとっては心が割れるぐらいに悲しい出来事であろう。
正直なところ皇帝が身罷られて良かったとは思わない。
幼い頃に宮城の生活に慣れない自分を、助けてくれた人物だ。
言わば恩人となる。その人物がこの世を去ったと聞いて顔を真っ青にするしかできなかった。
結核と聞いたときもそうだったが、身罷られたときよりは少々マシな方だった。
結核となれば遠からず死に至ることは予想していたがこんなに早く死に至るとは思いもしなかった。
恐らく大量に吐血し、その後死したのだろう。
考えるだけで妙に気持ち悪くなる。
出来れば桃莉と幸せになって欲しかった。
誰よりも傍にいた時間が長い。
その一途な想いに、少しでも答えて欲しかったと。
桃莉の想いは儚く散ってしまったのだろうか。
もう戻ることは、無いのだろうか。
***
皇城・皇太子の部屋――。
其処には犀嚴も一緒にいた。
犀嚴は皇太子の重臣と言う立場に身を置いている。
「…次は、私が皇帝か」
「左様に御座います」
「――そういえば、婚約の話が出ていたと聞いたが」
「あれは皇帝様による、無理強いだとお聞きいたしました」
「無理強いだと!?何故にそのようなことを」
「前までいた皇子を斬り捨て、新しい皇子を立てようとお思いになられていたとか」
「前までの皇子の存在が確認されているのなら……連れて来たら良いではないか」
「わたくしもそうは言いましたが…聞く耳を持っていただけなくて。それに、きっと皇子として宮城に上がれと言っても、断るであろうとお考えになっていたようです」
「――…確かに、そうだな…。少し、考えるとする」
「承知いたしました」
犀嚴は頭を下げると、部屋を出て行った。
「――あの者達に、無理はさせとうない」
皇太子はそう呟いた後、目を伏せた。