二 救助失敗
崇仁坊、紫家――。
「ふぅ…。任務、疲れた」
そう言って縁側に座り込んだのは、紫家の主人、紫螺の一人息子・不知火だった。
先程任務を終え、帰って来たところだ。
「戻ったか、不知火」
「まだ報告には行ってないけれども取り敢えず休憩。…ん?客でも来ているのか?」
「あぁ…栄流殿が。丁度、不知火に話があるんだとか」
「俺に?」
「任務で疲れているところ悪いけれど、取り敢えず行ってくれるかな」
「分かった」
そう言うと少し重く感じる自分の体を引きずりつつ、栄流のいる部屋へと急いだ。
(でも…何なんだ?俺に話って…。草魏のことか?)
そんな事を思いつつ、栄流のいる部屋の襖を開けた。
「久しぶりだね、不知火」
「あ、はい。…すみません。お待たせしたみたいで」
不知火はそう言って栄流の向かいに座った。
紫螺は座ったのを確認すると襖を閉め、その場を立ち去った。
「えっと、どうなされたんですか?俺に話って」
「いや…草魏なんだけども」
「草魏が、どうかしたんですか!?」
「まだ何も話してないよ」
「あ、す、すみません」
「大丈夫大丈夫。…実は、不知火が帰ってくる数刻前に草魏は宮城へ行ったんだ」
(草魏が、宮城に――!?)
「な、何故にございますか!?」
「皇帝様から直々に文が来て、話があるという理由で草魏を呼び出したんだ」
その後の栄流の話はこうだった。
辰の刻に栄邸の前に馬車が来て、草魏はそれに乗って宮城まで行った。
話があるだけだからすぐに帰されると思ったが、今となればもう申の刻。
辰の刻から六時間たった今でまだ戻ってこない。
もしかしたら草魏の身に何かあったのかもしれない。
それを不知火にどうなっているのかを見に行かせたいとのこと。
「任務の報告ついでに、見てくれば良いんですね」
「良いのか?任務で疲れているのに」
「平気です。何とかしますから」
そう言うと不知火は栄流に対して柔らかく笑んだ。
正直ちゃんと笑えているという保証はなかった。
見てくるとは言ったものの結構疲れが溜まっている。
「じゃあ、頼むよ」
「承知しました。必ず、草魏を取り返します」
不知火はそう言ったと同時に、体に溜まった疲れが一気に抜けていった。
そして湧いてきたのは草魏を取り返すという決意だった。
何が何でも、取り返す。
そう心に言い聞かせた後、不知火は立ち上がり部屋を後にした。
(何が…何があったんだ…)
草魏――
想い人の名を心の中で呼びつつ、不知火は宮城へと急いだ。
所変わり、宮城・皇帝の部屋――。
「貴方の手から、逃れて見せます」
そう宣言はしたものの、草魏の心の中には不安で溢れかえっていた。
(今この時点で逃げ場はない…。もうすでに人質の身になってる…。どうしたら――)
どうしたら、此処を抜けれるの――?
肩越しに見えた皇帝は余裕の表情をしていた。
自分は勝ったとでも言うように。
と、その時だ。
いきなり鍵を閉められた扉が開け放たれた。
「皇帝様、紫不知火様がお見えです」
「な、何だと…!?不知火は任務でまだ帰って来ぬはずだ!」
「予想より早く片付いたとおっしゃってました」
「…始末しろ」
「始末ですか。…畏まりました」
「やめて!!!不知火を、殺さないで!!」
悲鳴とも取れるような声で草魏は叫んだ。
「不知火を殺すなら、私を殺してからにして!!」
「そなたは殺せぬ。私の嫁になるのだからな」
「何で決まってるの!?決まってなんか無い!私は、貴方様の嫁になど絶対になりません!」
「――草魏を黙らせろ。睡眠薬があっただろう」
「畏まりました」
「やめて!!不知火を、不知火を殺さないで!!」
皇帝付きの侍女が近づいて来て尚、草魏は叫んだ。
侍女の手にある布が草魏の口を覆うとしたときだ。
侍女の首筋に手刀が入り、その場に侍女は倒れ込む。
侍女の倒れ込んだ後ろから出てきたのは
「不知火…」
草魏を背後に隠すように不知火は前に歩み寄った。
「任務完了したのでここに来たのですが…。お上、貴方は今何をしようとしてました?」
思いっきりな笑顔で不知火は皇帝に向かって問いかけるが、目が笑っていなかった。
明らかに怒っている。
「草魏に触れない方が、身のためだと思うぞ。お上」
いつもとは違う、低音の声に突如変わった。
険が含まれているのも分かった。
「何のために草魏を呼んだのかは知らねぇが、取り敢えず草魏に手を出そうとしたのは事実だよな?」
「何を言っている。ただ話があって呼んだだけだ」
「にしては長すぎだよな。六時間も話すか?普通」
「込み入った話だったからなぁ」
「…っざけんな!!」
即座に不知火は抜刀し、皇帝の鼻先に剣の切っ先を突き付けた。
だが、それでも皇帝は笑みを崩さなかった。
(何処にそんな余裕があるの…!?)
「まだ分かっていないのか?不知火」
「何をだ」
「お前が此処に入ったときから既に密室になっているのだぞ?」
「どういう事だ!?」
「昨期まで開いていた扉が閉められているのに気がつかなかったのか」
「な…!」
「それに私に剣を突き付けても無駄だ。私の腕を甘く見て欲しくはない」
そう言うと皇帝も近くにあった刀を抜刀した。
「邪魔が入ったことは予想外だったな。…消えてもらおう」
「お上の目的は一体何なんだ!!」
「さぁな。草魏にでも聞けばいいだろう?」
不知火は、一旦剣をおろし草魏の方を振り向いた。
「何が、あった?」
「ちょっとこっちに来て」
「え?あ、あぁ…」
不知火が近くに来たと同時に、草魏は口を開いた。
「…皇帝様に、結婚の話を持ちかけられたんだ」
「け、結婚だと!?」
「跡継ぎのために私を嫁にしたいらしくて…。…皇帝様に気に入られてしまったみたいなんだ」
助けを求めようにも、不知火は任務で不在だった。
それに扉も閉められ密室状態。
最早逃げ場もない状態だった。
皇帝曰く、宮城の人間は好かないと言っていた。
確かに外の人間でも、内の人間でも嫁になる事は可能だ。
でも草魏には心に決めた人がいる。
その人以外とは絶対に結婚なんてしないと誓った。
でも、このまま断り続ければ執着される危険がある。
「私……どうしたらっ…」
「――跡継ぎのためなら、仕方ないな」
「え!?し、不知火…?」
「――なーんて言えるか」
「え?」
「大丈夫だ。絶対にあんな奴の嫁になんてさせねぇから。……策略に邪魔が入らないように、俺を任務に就け、遠ざけたんだろ」
「そこまで分かっているとは、流石不知火だな」
「褒め言葉なんざいらねぇ。…草魏には心に決めた人がいる。それを邪魔するつもりか」
「ならばその者から奪えばいい。傍に置いておきたいのだ。草魏のような真面目な女をな」
口の端を再び上げた皇帝は不知火を冷ややかに見下した。
「祝言の準備は出来ているぞ?衣装も調達しておいたからな」
「嘘…!」
そう言うと草魏はがくんと両膝をついた。同時に草魏の体が震え始めた。
だがそれに構わず皇帝は話を進めた。
「いつだって行えるのだぞ?今この場で着替えさせてやる事だって可能だ」
「…っそんな事させるか!」
不知火が必死になって抑えていた怒りがとうとう爆発し、その気持ちは剣にも宿った。
余裕の表情を未だ浮かべている皇帝に向かって不知火は剣を振り下ろす。
だがそれは皇帝の刀で易々と受け止められた。
「なっ!?」
「言っただろう?私の腕を甘く見るでないと」
そう言うと剣と不知火をまとめて弾き返した。
けたたましい音を立て、不知火の体は床に強打する。
「不知火!」
「大丈夫だって。お前は、そこでじっとしてろ」
「そんなの出来るわけ無いじゃない!」
「――草魏」
「え?な、何…?」
「絶対に連れて帰るって栄流殿と約束したから。大丈夫だって」
「――…ない」
「え?」
「そんな辛そうな顔で大丈夫って言われても、信じられないじゃない」
「……言ってるお前が一番辛そうな顔してんだろ」
「だってっ!」
「――大丈夫だって。…それとも何だ?俺が負けると思ったか?」
「お、思ってないけど…」
「俺は、お前から力もらってるから死なねーよ」
そう言って草魏に向かって微笑んだ後、不知火は立ち上がり皇帝に剣の切っ先を向けた。
その様子を見ていた皇帝は更に口の端を上げた。
後ろにいる草魏を見た後、口を開いた。
「――不知火」
「何だ」
「そなた、草魏と一緒になりたいと思っているだろう」
「なっ!?」
「其処までそなたが草魏に優しくするのはそれほど草魏を想っているため。違うか?」
「――っ」
「やはりそうなのだな。…だが、そうはさせない」
「何だと!?」
「言ったであろう。跡継ぎのためにこの者が必要なのだ。――最早草魏は我が掌中にあるのだ」
「逃げられない…って事か」
「そうだ。その掌中からそなたを消すなど容易い事よ。…我は皇帝だ。処刑など好き勝手に決めることだって可能だ」
「そんなこと…させない」
「草魏…?」
「不知火にそんな事させない!いくら…いくら私が貴方様の掌中にあるからって…油断なんてしない方が良い!何が何でも逃げてみせると宣言しましたから」
「…ならば先に不知火を追い出すまでだ!」
皇帝はそう言うと、高く刀を掲げ一気に振り下ろす。
その刀をギリギリで不知火は受け止める。
だが力にかなりの差があったらしく、そのまま不知火は弾かれ扉の外へと飛び出す。
飛び出したのを見て、宦官の一人が扉の方へと動く。
それを阻止しようと不知火は立ち上がるが、その時にはもう遅く草魏が見えなくなっていた。
「不知火ー!」
閉ざされた扉の向こうから悲鳴とも取れるような叫び声が不知火の耳に届いた。
「くさ…ぎ…」
放心したように、草魏の名を呼んで不知火はその場に崩れ落ちた。
(申し訳ありません…栄流、殿っ。草魏を、草魏を…守る事が、出来なかった…)
頼むと言われたことを、果たせなかった。
不知火の心に悔しさと悲しみが襲ってくる。
皇帝の力は権力だけじゃなく、刀の腕まで強い。
明らかにこちらは不利な状態。
(こんな状態を…どうやったら、抜けられるんだ…?)
頭を働かそうとしても全然働いてくれない。
「御免な…草魏…」
(でも、必ず助けてやるから…)
悔しさを噛み締めながら、不知火は立ち上がりその場を後にした――…。