十 募る切なさ
「あの、桃莉様…?」
「え、あ、何よ」
「ですから何故私の言うことを、嘘とお取りになるのですかと聞いているのです」
宮城・後宮の一室。
桃莉に呼ばれ草魏は赴いていた。
「…李都様のお傍にいる人は、誰も許せないから。それだけよ」
「――私が皇帝様に想いを寄せているとでも思われましたか」
「李都様がああ言うんだから。そうじゃないの?」
「違います姫様」
「海天?」
「前にも言った。草魏殿には不知火殿がいると。ただ李都様に振り回されているだけなのです」
「振り回されている!?李都様にそんな口の利き方しないで!」
「でも、事実では御座いませぬか?婚約を無理矢理迫られておいでです。……姫様、貴方はそれを止める立場なのです」
「私が止める…?」
「私からもお願いします。今は解放されてますが、いつまた捕まえられるか分かりません。…だから、お願いします」
そう言うと草魏は桃莉の前に深々と頭を下げた。
「海天、千蓮、蘭竜、貴方達が協力するなら」
「私と千蓮は既に協力するとお伝えしています」
「……今まで疑っておりましたが、私も同じく。ご協力いたします」
「そう。…草魏」
「は、はい」
「良いわ。協力する。…その代わり、約束して」
「え…?」
「もし、不知火様と祝言を挙げるときは……その、呼んでくれるかしら。まだ、心の奥深くでは信じれていないみたいだから」
「勿論に御座います。ちょっとお恥ずかしいですが」
「だったら良いわ。尽力する」
「ありがとうございます」
そう言うと草魏はまた頭を下げた。
(よかった……やっと、伝わった)
「そう言えば草魏」
桃莉に呼ばれ、がばっと頭を上げる。
「え?あ、はい。何で御座いましょうか」
「不知火様は確か、李都様の僕と聞いたんだけど…」
「あ、はい。…本当は不知火のお父上様の紫螺殿が赴くはずなんですが、病弱故に長期任務には出られぬとのことで不知火が変わりにやっているのです」
「そう言うこと…。…草魏、貴方は不知火様が好きなの?」
「今なら言えますが、本当に好きです。傍にいたいって、不知火を支えてあげたいって。…そう思ってるんです。桃莉様も、同じでしょう?皇帝様のお傍にいたい、支えてあげたいと」
「……負けたわ、貴方には。でも…皇帝様のお傍にいるというのは」
「それは、申し訳御座いません。ただ、端の方によっておけと言われた故に…」
「もう良いわ。私が誤解してたみたいだし…。何か、匂いしない?昨期から」
徐にそう問われ、草魏は一旦言葉を止める。
(そう言えば昨期から何か、匂いが…)
「姫様はそこで待っていてくださいませ。私どもが見てきます」
「私も見てきます。桃莉様は其処でお待ちください」
「そんな時に待ってられないわ」
「姫様…」
「桃莉様…」
「……待って!この匂い、血じゃない!?」
「血!?」
「誰かが血を流していると言うことですか!?」
桃莉が一番早く血の匂いだと察し、急いで外に出る。
それに続いて海天達や草魏も外に出る。
だが其処に匂いの発生源は見つからなかった。
「どこから来てるのかしら。取り敢えず海天と千蓮は左側を。蘭竜は反対側を。私と草魏で右側を見てくるわ」
「承知した」
「お任せください」
「桃莉様、私たちも急ぎましょう」
「えぇ」
右側に向かって思いっきり走り抜ける。
角を曲がって、一つの光景が見えた。
「嘘…!楼々と、漣葉…!?」
二人の正体を見極めた後、草魏は大急ぎでその二人の元へと行く。
「楼々!漣葉!しっかりして!」
誰にこんな手酷くやられたのだろうか。
楼々の場合、心臓付近から大量に出血している。
漣葉は顔・腕・足などに怪我をしている。
「お、じょう…」
「楼々!ちょっと、しっかりして!桃莉様、漣葉をお願いします!」
「わかったわ」
「楼々、何があったか…話せる?」
「いい、けど…。で、も…分からない」
「分からない…?」
「最初、硫璃とか言う女に襲われて……逃げているところで、蜂咏が、来て……。それで剣で思いっきり刺されて」
「姫様!何事ですか!?」
「お方様!何があったのですか!」
左側と反対側に行っていた海天・千蓮・蘭竜が騒ぎを聞きつけて戻ってきた。
「憂楼々殿ではないか!」
「一体何が!」
「取り敢えず介抱することが優先だと思います!」
「どうなさったのですか!?」
突如、聞こえた声は海天達でもなかった。桃莉でもなく、草魏でもない。
見覚えのない宦官だ。一度たりとも顔を合わせたことがない。
髪は見た限り青、そして短髪。
「あ、あの…出来たらで良いんですけど太医殿の所に連れて行ってはくれませんか」
「分かりました!」
その宦官は楼々をそっと抱き上げ、太医の元へと走っていった。
(あれ…?あの宦官、何か見たことある気が…)
「じゃあ私は漣葉殿を連れて行くわ」
「お願いします」
「海天、太医様の手配を」
「承知した」
海天は軽く頭を下げた後、一目散に走り出した。
「楼々…漣葉…」
草魏はそう呟いた後、立ち上がる。
「千蓮さん、蘭竜さん、私たちは先に戻りましょうか」
「そうですね」
「承知しました」
そう言うと三人の面影は後宮の一室へと消えた。
楼々は見覚えのない部屋へと入れられた。
「一体此処は何処ですか…?」
「太医殿が忙しいというわけで、私自ら手当を」
「え?良いのですか?」
「えぇ。手当は慣れていますから」
「ありがとうございます…」
(でも何でだろう…。柳耀に、似てる…)
雰囲気までそっくりで、思わず泣きそうになってしまう。
それに手当が慣れているという点も柳耀は一緒だ。
「りゅう、よう…」
「え…?」
「あ、な、何でもないです」
(そんな訳ないよね……)
「取り敢えず、止血しますね」
そう言い終わったと同時に顔の方に冷たい布が当たる。
(冷た…)
「……私の、想い人に似てますね」
「そう、ですか…」
「雰囲気とか、凄く似てて……何か、切ないんです」
「え?」
「会いたいんです。今、意識不明で。……また私の名前を呼んでくれる日が来たら。…それまでずっと待ってるんです」
止血されながら、楼々は語った。
(柳耀……何処に、何処にいるの…?)
「そう言えば、貴方の顔…傷だらけですね…どうなさったのですか?」
「いえ。良く敵と戦うものなので…傷が沢山なんですよ」
「そうなんですか…」
「あ、包帯の方は、どうします?」
「いえ。結構です。止血できたら、それで良いので」
「お部屋にお戻りになりますか」
「えぇ。休みたいので…」
「ゆっくりお休みになってください」
「あ、はい。ありがとうございました」
楼々はそう言うと、部屋へと戻る。
これ以上長くいると、泣いてしまいそうだった。
柳耀が目の前にいるんじゃないかと思って。
部屋の扉を閉め、溜息をついた。
「柳耀…私、言いたいことが、沢山あるのに……どうして、帰ってこないの…?」
だがそんな楼々を激しい眠気が襲った。
(疲れたし…寝よ…)
そう言うと楼々はその場に寝ころんで、微睡んでしまう。
「りゅ…よ…」
そう呟きながら夢の中へと身を投じた。
辺り一面が夕焼けに染まっている。
其処に楼々は一人突っ立っていた。
「…あれ?此処、何処…?」
「楼々ー!」
そんな声が聞こえ、楼々は声のする方に勢いよく振り向いた。
「柳耀っ!?」
「何処にいるの!?楼々!」
「柳耀!?私、此処にいるって!」
そう言って柳耀の元へ走り、手を握ろうとした。
「…嘘…私、透き通ってる…そんな……」
その場に膝をついて涙をこぼす。
「そんな…私、此処にいるのに。どうして、手が届かないの…?」
柳耀の声はどんどん遠くなっていく。
それを背中に受け止めるしかなかった。
「柳耀ー!」
そう叫んでも届かない。
振り向くことさえもない。
「柳耀っ!」
楼々は想い人の名を呼んで飛び起きた。
だが其処で妙な違和感を覚える。
下を見れば敷き布団、楼々の体には掛け布団が。
「――あれ?私、布団なんて引いたっけ…?ってもうこんな時間!?周りが全然見えない…」
いつの間にか辺りはまっ暗に染まっていた。
月の光だけが、この部屋に差し込む。
時々吹いてくる風の音が聞こえるだけで、静かだった。
「…やっぱ、いるはず無いよね」
そう言って楼々は悲しそうに笑った。
「って、誰かいる…!?」
風の音以外の音が、聞こえた。
誰かの息づかいだ。
(また蜂咏達…!?ってまず何処にいるの!?)
取り敢えず部屋の中を探す。
一番隅の方を探したとき、なにかが当たった。
「…誰…?」
襖を開けて、月の光に頼る。
誰かがこの部屋で寝ている。
壁に背を預け、不規則に寝息が繰り返されている。
月の光がようやくその人物を照らした。
蒼い髪をして、短髪。
顔には止血を止めるために使われたと見られるものが当てられている。
「どう、して……」
楼々はその言葉しか発せ無かった。