[再会] -2-
翌日、父さんは予定通りに出航し、我が家では意外なほど何も起こらない日々が三日続いた。再び仕事を終えた父さんが戻った次の日には、トロールのご主人が港へお迎えに来ることになっていた。彼女は熱心に人間らしい生活を学び続けたが、一週間振りに再会する恋人を想うと日毎に何も手に着かず、焦ってみたりニヤけてみたりと忙しい素振りだった。
僕が逃げ出したあの時の疑問は、その後も誰にも問い質されることはなかった。トロールが勝手に想像をして話した展開を両親は納得したのか、ならばむしろ突っ込んでくるに違いないのだから、彼女は何も話さなかったのかも知れない。
夜にはお隣も招いて、賑やかにお別れパーティが開かれた。美味しい料理に沢山のプレゼント、そして楽しいお喋り……けれど別れる淋しさと愛しき人との再会に、主役であるトロールは複雑な心境だ。僕達は此処でそんな表情をする元人魚達を何十人も送り出してきた。が、僕自身にもいつかそんな日が訪れるのだろうか。
「ジョエル……起きてるかい?」
ノックと共に扉の向こうからトロールの声が聞こえてきたのは、パーティもとっくに終わり皆が寝静まる頃であった──眠れないのだろうか?
「うん……どうしたの?」
「もう明日には暫くのお別れだからね。先日の続き、話しておこうと思って」
トロールが僕のベッドに腰掛けた途端、ギシッと音を立てて深く沈んだが、とりあえずは大丈夫そうだ。
「先日の続きって……だって」
──「あんたが誰かを好きになったら」って。
「あたいに誰かっていうのは想像ついちゃいないけどね。あんたが誰かに恋していることは分かるからね」
トロールはいつになく真面目な顔をしていた。真っ直ぐ正面を向いて、まもなく言葉がまとまったように語り出した。
「上手く伝えられるのか分からないけれど……『あの時』──アメルとルーラはサファイア・ラグーンへの旅で、お互いを思い遣る気持ちに目覚めたそうだよ。アメルはその旅の間ルーラを守ること、シレーネになった後も守り続けたいと。そしてルーラもその気持ちに気付いて嬉しく思った。だけどあの娘は果たしてアメルに守られるだけで良いのか? と思い改めたんだ。神に守られ結界に守られ……更にアメルに、人間に守られる人魚──いつも守られているばかりで良いのか、と。もちろん人間の協力なくして結界を手放すことなど不可能……でも守られることと助けを貰うことは違うと思った。人間と人魚が同じレベルに立てる世界を目指そうと誓ったんだ。一方アメルもそんなルーラの気持ちに気付いていた。だから彼女を守ろうと行動し、それが叶った時も、心の奥底では何処か違和感を覚えていたそうだよ。やがてルーラがシレーネとして活動する中、二人はそれぞれ違う想いに辿り着いたんだ」
「違う……想い?」
それまで横顔を見せて話していたトロールがこちらを向いた。
「そう……ルーラはアメルから守られるだけでなく『アメルを守りたい』と。アメルはルーラを守るだけでなく『ルーラから守られる』ことも受け入れたいと。──自分も守れる存在になりたい。自分も守られることを恥じるべきではない。──あの子達はその結論に到って、やっと再会を果たせたんだ」
トロールの小さな瞳が潤んでいた。唇は少し震えながら幸せな微笑みを湛えていた。
「あたいの説明じゃ分からないかね。でも、きっといつか分かるよ。あんたも誰かを守りたいと思ったらさ」
トロールは照れたように目を擦って、おもむろに立ち上がった。
「トロール……」
「ん?」
「あの……ありがとう。トロールも見つけたんだね。母さんが父さんに対して紡いだ想いと同じ物を」
「ああ……そうだね」
トロールは目を細めて笑った。
「おやすみ、ジョエル」
「おやすみ、トロール」
彼女はポンポンッと二度ほど僕の肩を叩いて静かに退室した。
きっと僕は一割も理解出来ていないのかも知れない。──それでも。
『心』という物が形を持って存在するのならば、此処に違いない。僕は胸の内がほんのり温かくなるのを感じていた──。
度々後書きに登場しまして恐れ入ります(汗)。前作をお読みいただいている方はお気付きかと思いますが、そちらにて残しました伏線の回収一つ目が今章になります*
十二章にて、アメルが喝采の輪に入れなかった理由がこちらでした。その頃は続篇を書く予定ではございませんでしたので、この伏線は読者様なりにお考えいただき、解決していただいても良かったのですが、物語を進める事が出来ましたので、今回作者として彼の想いを結論づけさせていただいた次第です。
あの時はまだ十七歳の少年だったアメル、彼の守りたいという気持ちはまだまだ一方的な物でございました。ルーラと会えなかった二年半が彼の想いに進化をもたらし、成長した事で再会に到れたのだと思います。
これをジョエルがどう受け留めるのか、そちらはもう少々お待ちくださいませ。いつも本当に有難うございます!