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[ School days to the next ]*

 ホームルームを終えてにわかに活気づいた教室は、高く昇った陽に照らされて、むっとした暑さを見せ始めていた。


 終業式も兼ねたこの日が過ぎれば、暫くは学園ともお別れだ。明日からは長い夏休み──人生最後の夏休み──。


「ねぇねぇ、ジル! 明後日出発のナポリ旅行、行けるって本当? わ、私達も行くことに決めたんだ。ねっ、何処かで待ち合わせしない?」


 鞄に筆記用具を収めて立ち上がったジョエルの後ろから、甲高い少女の声が引き止めた。振り返った先に映ったのはクラスメイトの三人の女の子。見上げる瞳はいつになく輝いている。


「え……? ごめん、何の話……か、な?」


 右肩に掛けた鞄をひとまず机に置いて、ジョエルは少々苦笑いをした。以前にも同じようなシチュエーションを得たことが有る……その時は事前に設定を聞かされていたから、仕方なく悪友共に付き合ったが、「今回は何も言われていないよな?」と、咄嗟に記憶を手繰り寄せた。


「えーっ!? 嘘っ! だって、クルトが言ったのよ!! やだぁ……ジルが行かないんじゃ……どうする、ヴィオラ?」


 真正面で大仰に失望を顕わにしたエレナに対して、ヴィオラはその問い掛けに一瞬驚いたようだった。彼女の右肩に隠れるように俯き、哀しみを浮かべた瞳を揺らす。


「どうしてぇ? 何か用でもあるの? 言ってみれば卒業旅行じゃない! 最近のジルって付き合い悪くない?」


 エレナを中心に逆隣に立つミランダが、抗議の眼差しで睨みつけていた。いつになく執拗な追求に、思わずジョエルはたじろいでしまう。


「げーっ……何だよ、ジルの奴、もうバレちまったの? やっぱりホームルームの前に話しておけば良かったな~」


 そんなピリピリとした空気を変えたのは、『事』の張本人クルトだった。後頭部を掻きながら、三人の男子と共に輪に加わる。が、「わりい」と目配せするその笑顔には、少しも悪びれた様子はない。


「お前が行くって言えば、女子の食いつきは断然良いからさ。誘う前にこんなで悪かったけど、最後の旅行だぜ? 行けるんだったら一緒に行こう?」


 女性陣に代わって質問を向けたクルトに、ジョエルは申し訳なさそうな表情を見せた。


「ごめん、明日から父さんの船に乗るんだ。今回の航海は多分半月ほど掛かると思う」

「えっ……?」


 其処に居た全員が驚きの声を洩らす。父親が海洋貿易で大きな事業をしていながら、息子のジョエルは今まで一度も船乗りになりたいなんて、ついぞ口から零したことさえないのだ。どういう風の吹き回しかと、皆が揃って慌て出した。


「うっそ……! お前、船乗りになるのっ!?」

「え~どうしよっ、船乗りの奥さんって大変じゃない?」

「誰が奥さんになるって!? 先に自分の顔良く見とけよー」

「何よっ失礼ね! 願望くらい持ったって良いじゃない!」


 目の前で展開するコメディみたいなやり取りに、呆れながらも笑みが溢れた。こんな友人達との楽しい会話も、半年後にはなくなるのだ。それでもそれを惜しいとは思わない、確固たる自分が此処に居る。


「船乗りにはならないよ……来年早々までは船に乗るけど、ちょっと違う理由で勉強させてもらうだけなんだ」


 ガヤガヤと騒がしかった視界が刹那にシンと静まり、再び全員の視線がジョエルに集まった。


「……その後は……?」


 そんな沈黙の中、ジョエルと同じく傍観していただけの大人しいヴィオラが、珍しく口を挟んだ。


「え……と。う、海の向こうの親戚の所で、生活する……のだけど──」


 ジョエルが言い淀んだのは、人魚であるティアラの許へ行くなどと、明言しづらいこともあったのかも知れない。けれど一番の理由は、ヴィオラの今にも泣きそうな切ない瞳が、自分に向けられていたからであった。


「親戚……?」

「ジルの親戚って何処に居るの?」

「えーっ、海の向こうって、もしかして外国とか?」

「生活するってどういう意味だよ、まさか結婚するって訳じゃないよな?」

「あ」

「──ええっ!?」


 的を射た攻めに、見事な反応を示してしまったジョエル。全員の驚きの声の中、口元を両手で押さえたヴィオラは、とうとう(きびす)を返して走り去ってしまった。


「ヴィオラっ!!」


 慌ててジョエルも、その背を追いかける。


「あー……ヴィオラ、ジルのこと、本当に好きだったものね……」


 後ろからそんな言葉と皆の溜息が聞こえて、ジョエル自身も常々感じていた我が身の鈍感さを、改めて思い知らされていた──。




 ◇ ◇ ◇




「ヴィオラ……?」


 レンガ造りの校舎の角で、彼女のスカートの白いひらめきを見つけ、ゆっくりと歩み寄った。ジョエルの声に気付き、再び駆け出そうとする小さな影が、今一度の呼び声に押しとどめられ立ち尽くす。


「ヴィオラ……あの──」

「ジョエル! わたし……わたしっ」


 近付いた彼の胸元に、いきなり少女の額が押し当てられ、背中を包み込むようにか細い腕が絡みついた。普段は自我を出さないひっそりとした態度の彼女なのだ。声を荒げてこんな大胆な行動に出たのを見るのは、何年もの時を共にしたジョエルにとっても初めての経験だった。


「ごめん……何か期待させるようなことを言ったりやったりしたのなら謝るよ、ヴィオラ」


 頭上から注がれるジョエルの戸惑う言葉は、既に自分を受け入れる余地がないことを意味している。そう考えたらもう、取り乱して涙に濡れた顔を見せる勇気などなく、抱き締めた腕に力を込めることしか出来なかった。


「ちが……ジョエルはいつでも、誰にでも平等に優しかったっ……!」


 それもまた、或る意味『罪』なのだと、ジョエルは思う。『あの時』だって……そういう自分がティアを苦しめていた。


「わたし……入学した時からずっとジョエルのことが好きだった……ずっと……なのに、居なくなっちゃうなんて……卒業しても、同じ町に居られると思ってたのに……っ」


 今この手の中にあるぬくもりは、自分の物にはならないと頭では分かっていても、どうにかならないものだろうかと心が右往左往していた。どうにか──自分がどれだけ彼を好きだということを伝えても、ジョエルの気持ちがきっと変わらぬことは目に見えているというのに。


「ヴィオラはこの町に残るんだね」


 暫くの間ジョエルは言葉を発しなかった。が、やがていつも通りの優しい声を少女に向けていた。


「うちの果樹園、人手不足だから……」


 一方的に感情をぶつけても、彼は変わらぬままでいてくれた。ヴィオラはいつしかそう感じ、すると(かたく)なな心がほどかれて、きつく握っていた拳も和らいだ。


「ヴィオラの畑のマンダリンは、凄く美味しかったのを良く覚えているよ」


 微かに上げた赤らんだ頬に、向けられたジョエルの笑顔は少しだけ淋しそうに思えた。まるで自分との別れも、彼には辛いことなのだと伝えたいように。


「親戚のお家へ行っても、たまには戻ってこられるのでしょ? そしたらまた皆で……」

「ううん。きっと戻ってくることはない……僕は人間でなくなるから」

「えっ?」


 聞き間違いだろうか? そんな調子で勢い良く真上の彼を見上げたが、


「あ、いや……少なくとも、イタリア人ではなくなるってこと……」


 慌てて言い直したジョエルは、困ったような苦笑いをした。


「……本当に結婚、する、の?」


 遠くへ行ってしまっても、せめて「あれは冗談だった」と言ってほしかった。


「うん」


 けれどジョエルがためらうことなく肯定をしたのは、これ以上ヴィオラに淡い希望を(いだ)かせない為だったのかも知れない。


 ズキンと胸に何かが落ちてきたような衝撃を感じて、少女は再び顔を(うず)めた。校舎が作り出した日陰は涼しく、制服のシャツ一枚越しの彼の体温は、温かく心地良かった。こんなに長い時間を一緒に過ごしてきたのに、多分今まで触れたことなどなかったのだ。最後くらい、その彼女に全てを持ち去られる前に、独占してもバチは当たらない筈だ。


「いつから……好きなの? わたしがジョエルを好きになる前から……?」


 好意を持った時間の長さが、好きだと思う気持ちの強さに比例する訳ではないことを、彼女自身も気付いていた。それでも何か優越感を得たい気持ちになったことは否定出来ない。


「信じないと思うけど。彼女が……生まれた時からだよ」

「えっ……?」


 再び交わされたジョエルの瞳は眩しそうに細められて……そしてヴィオラを見てはいなかった。きっと瞼の裏にはその彼女が映っているのだ。生まれた時からだなんて──もう出逢った時には自分の入り込む隙間などなかったのだと思うと、驚き以外の何物も生まれなかった。


「その()は幾つなの?」

「今は十五歳と半年。十六歳になったらって約束してる」


 十五年も……。優等生ながら、いつもは男子とふざけているばかりのジョエルが、そんなに一途だったなんて知りもしなかった。どれだけの想いを今まで内に秘めてきたのだろう。きっとクルト達も知らなかった筈だ。


「そっか……よっぽど素敵な女性(ひと)なのね」


 ヴィオラはやっとジョエルを解き放す気持ちになれて、それから両手で自分の目元をごしごしとこすった。もう見せられる顔じゃない。でも……ちゃんと彼を祝福したいと思っていた。


「あの……遠くへ行っても、元気でいてね。幸せになれるの……祈ってるから……」

「まるでこれが最後の挨拶みたいだね。その前に航海から無事に帰ってくるのを祈っててよ?」


 くすくすくす。


 いつもの笑い声が降りかかってきて、慌てて彼女は大きく頷く。笑いを(こら)えるように口元に当てられたジョエルの拳が、ゆっくりと下げられて、ふと少女の両肩が温かく包まれた。


「ありがとう、ヴィオラ」


 何だか急に恥ずかしくなって、思わず俯いてしまう。でもいつもの自分なら隠し通してしまう想いを伝えられたのは、多分そんなジョエルだったからこそで、こうして伝えることが出来たのは、きっと良いことだったのだと心から感じられた。


「航海を終えたら、時間ある、かしら……皆でビーチに行けたら良いなって思って……」


 少女の口を衝いて出たのは、まるで最後の想い出作りだった。


「いいね。僕も行きたいと思う」


 砂浜で皆と戯れるのも、自分の足で泳ぐのも、もうそれが最後になるかも知れない……ジョエルもそんなことを思いながら、その誘いに快く応じた。


「さ、行こう。皆も心配してる」


 目の前に差し出された手に手を伸ばしたかったヴィオラであったが、


「顔、洗ってから戻るわ……皆と教室で待ってて」


 火照(ほて)った顔でにっこりと笑って、ジョエルの心配そうな瞳を逸らすように、背中を押して促した。


「ヴィオラ……」

「大丈夫、大丈夫」


 やがて戸惑いながらも歩を進めたジョエルの後ろ姿が、小さく、そしてぼんやりと潤み、少女は方向を変えて、目の前の木立に手を着いた。


 ──ちょっとだけ……せめてあと五分だけ──。


 思いきり泣いたら、顔を洗って皆に笑顔を見せよう。

 そしてわたしも歩き出さなくちゃ。




 ジョエルのいない、新しい『未来』に──。




挿絵(By みてみん)




 『ヴィオラ』とは、弦楽器のヴィオラも意味しますが、花の『スミレ』でもあります。小さく可憐な印象から、その名を使いました。

 大して抑揚のないお話な上に、前作エピソード短編『γ(ガンマ)』のイレーネほど、ヴィオラを救ってあげられずに失礼致しました(汗)。

 元々はジョエルの学生生活を書きたくて臨んだ作品なのですが、どうしても恋バナになってしまい・・・本編でも「二人も振っているのだから、これ以上はもう良いだろう、ジョエル(怒)」って感じではありますけれど(苦笑)。


 少し話が長くなりますが、ジョエルの一途さ・鈍感さ・モテ振りは、実はルーラから受け継がれたものでございます*

 前作はアメルの、ルーラに対する愛情が描かれた物語ですので、分かりづらかったかと思われますが、実際アメルを最初に見つけたのも、ずっと恋してきたのもルーラだったと思うのです。

 彼女は人間の身体を手に入れてから、父ジョルジョの許に四ヶ月暮らすくだりがあるのですが、其処で案の定、町の青年達の憧れの的となります(笑)。で・・・ジョエル同様それに気付かず沢山の男性を失意の淵に落とすという・・・(爆)。


 しかし此処までキャラ達と付き合ってきた結果、一番凄いのはアメルでもジョルジョでもなく、ジョエルなのでは? と気付かされました(笑)。何せティアラを生まれた時から好きだったのですから!!

 次話はそんな二人のムフフ♡ な物語です♪ どうぞお楽しみに☆




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