[協力] -2-1-*
再び戻った砂浜は、昨夜此処で起こったことなど忘れてしまいそうな程に穏やかであった。静かに寄せる波も、漂う金色の魂達も平和そのものだ。天上を満たす逆さまの海も、まるで青空のように輝いている。砂浜を背にして振り返ったアーラ様が何かを発するのを待ちつつ、僕達は静かに佇んでいた。が、やがて頭上からの水飛沫が頬を濡らし、見上げれば人らしき手足が波の合間から覗き見えた。
「えっ! あっ!? いや、ちょっと……!」
驚き慌ててモカとティアを下がらせる。ゆっくりと顕わになる人のシルエット──男性と女性と……人魚?
「いったーい! 冷たっ!! 此処は相変わらず荒っぽいわね!」
アーラ様と僕達三人の間の波打ち際に落ちてきたのは、僕の両親とカミルおばさんだった!
「えーっ!? ちょっ……母さん!!」
「ん? あら……やだ。皆でお待ちかねだったのね」
母さんとは違い見事な着地を果たして、父さんは金色の砂をはたきながら立ち上がった。尻もちをついた母さんの手を取って僕に微笑みを返し、背後に落ちてきたカミルおばさんにも手を貸した。
「お久し振りね、アーラばば様」
体勢を整えた母さんが、アーラ様へと向かう。
「金の人魚は相変わらずじゃな。アメルも立派になった」
僕達が此処に落ちてきた時、モカにも発した同じ台詞でくっくと笑ったアーラ様は、懐かしそうな表情で母さんと父さんを迎えた。
「あの……母様、ごめんなさい……」
僕にしがみついていたティアは、おどおどした瞳でカミルおばさんに近寄った。未だ十日程前のことなのに、ティアが禁を破り、内緒で此処へ来たことなど、既に忘れてしまいそうなくらい色々なことがあった気がする。
「ティアラ……怒っていないわよ。それよりあんなに会いたがっていたアメルおじさんとルーラおばさんよ。ちゃんと挨拶しなさい」
一度は苦々しい笑みを湛えたカミルおばさんだったが、二人の娘の無事な姿に安堵したのだろう。母親らしい言葉を向けられて慌てたティアは、すぐに父さん達の許へ向かった。モカもおばさんに目配せして、僕の両親へ再会の喜びを伝えている。僕は独りになったカミルおばさんの顔前へ赴き、
「ティアラを帰さないで、すみませんでした」
と謝罪をした。
「貴方が謝ることではないわ、ジョエル。貴方達が旅立つ時、教えてもいないのに、アモールがプシケさえも通れる程の穴を開けて結界を出たことで、薄々気付いていたの。あの子がティアラをそそのかしたことも、それがアーラ様のご意志であることも……それにうちの娘達が二人本気になってしまったら、流石の貴方でも止められなかったでしょ?」
最後の台詞で見せた意地悪そうな表情は、少しモカに似ていた。やはりこの親あってこの子ありということか。そしてテラばば様の強い意志は、モカとティアにも受け継がれているのだろう。
「聞き逃さなかったわよ、母様。そそのかすだなんて人聞きが悪いわ」
「あら……聞こえちゃったのね」
モカがおばさんの後ろでふくれっ面をしていた。久し振りに見る母娘の愛らしいやり取りだ。
「さて……本題に入ろう。カミルもルーラも既に二回、アメルも一度此処を訪れているのじゃから、居られる時間はもう数時間じゃ」
微笑ましく六人の様子を眺めていたアーラ様の声色が変わった。そして短時間しかリミットのない僕達の親を呼び寄せてまで『数』を集めたのは、よっぽどの理由があるからに相違ない。
宙に浮かんだアーラ様を取り囲んで、僕達は固唾を呑んだ。隣に立った母さんがこそっと、大ばば様の遺した鱗が光って此処に導いたのだと教えてくれた。
「カミル、ルーラ、アメル……遠いところをすまなかった。此処へ集まってもらったのは他でもない、我の最期の願いを六人に叶えてもらいたかったからじゃ」
「さ……いご……?」
逆隣に立つティアの向こうのモカが呟いた。
「もう……時間がないのね?」
──母さん?
つぐんだ口元が震えていた。最期って時間がないって、それって──。
「うむ。肉体の限界じゃ。我の歳は既に二百四十を越えた。そろそろ消滅の時が来る。いや……正確には肉体のみの消滅じゃが。我の魂は此処に残るが、そうなればもはや今までのように、魔法を授けられなくなる。そしてこのラグーンも機能を果たせなくなるのじゃろう……皆には悪いが、結界を……神にお返しせねばならぬ」
「……」
アーラ様の告白に、誰もが言葉を発せずにいた。アーラ様が死ぬ……『いつか』と云われ続けた結界での日々が、ついに終わりを告げる──けれど『生きながら死に、死して尚生きる、現世にも死後の世界にも行けぬ生きた屍』と言ったあの言葉とはやや矛盾する告白に、僕の思考は一瞬戸惑っていた。いや……アーラ様はそう告げることで、皆の心配を自身に向けさせずにきたのか?
「……私が代わりになるわ」
「え!?」
父さん以外の全員が驚いて見詰めた声の主は、母さんだった。
「私が……私がアーラばば様の代わりになります。そうすれば暫くは結界に……」
「母さん……?」
いつも明るい母さんが俯いて、垂れた拳は強く握られていた。微かに見える唇を、口惜しそうに噛んでいた。
「私が此処を初めて訪れた時──未だシレーネであった時よ。私は人間と人魚が共存出来る世界を作りたいと思っていたの。人間は人間のまま、人魚は人魚のまま一緒に居られる世界……けれど結果は完全に分断された二つの世界を造っただけ。人魚が人間になって生きる世の中が生まれただけ……それでも中には人間にならない、なれない人魚がいる……こんな状態で外界へ放り出されても……それにアーラばば様を、これ以上独りになんてしておきたくないのっ」
母さんの後半の言葉は涙混じりで、それでも揺るがない想いが感じられた。母さんがそこまで人魚界のことを考えていたなんて──。
「ルーラが此処に留まると言うなら、私も従うよ」
「父さん……?」
僕の隣に立つ母さんの向こうの父さんが、優しい眼差しで母さんを見下ろしていた。
「え……? あ、駄目よっ、アメルまで巻き込む訳には!」
「君の居ない世界に生きろと言うの? そんなの生きていると言えない──」
「アメル……」
気持ちは分かるけれど、こんな状況で二人の世界に浸るのはご遠慮願いたい。
僕は少々苦笑混じりにティアと目を合わせて、
「いいんだ、母さん。僕達早々に結界を返すことに決めたんだ。アーラ様のことはまた別の話になるけど。先に言えなくてごめん……えと、その……」
「僕達って……ああ、あなたが人魚になることに決まったのね」
──!?
父さんの方から振り向いた母さんの面はティアと僕を見詰めて、にっこりと笑ったその表情は祝福を表していた……って──?
「あなたがティアラに恋していることくらい、私だってお見通しだったわよ?」
呆然としている僕の疑問を読み取った母さんは、自慢気に答えてみせた。ああ……そう。自分の鈍さにもう驚く気すら起こらないよ……。
「あのっ……ルーラおば様、私……すみません。私が人間になれないばっかりに……!」
隣のティアは申し訳なさそうに身を縮めて、母さんに事情を説明しようとしたが、何を何処から話したら良いのか分からなくなったように言葉に詰まってしまった。
「違うんだ、母さん……ティアが人間になれないのを知ったのは僕が人魚になると決めた後なんだ。僕は……」
「そんなに二人して心配しなくても大丈夫よ。貴方が人魚の世界の人魚のティアラに恋したこと、二人を見ていれば良く分かるわ。それより人間になれないって、シレーネを継ぐ為……ってことよ、ね……?」
母さんは穏やかな笑顔を見せながらも、語尾に困惑の表情を示したが、
「いえ……ルーラ、ごめんなさい。隠すつもりはなかったのだけど何だか言い出しづらくて……銀色の髪の人魚には人間になれる要素がないのよ……」
ティアとモカの背後で静観していたカミルおばさんが口を挟んだ。その表情もまた、ティアに良く似た心苦しさを表していた。
「そうだったの……こちらこそ気付けなくてごめんなさい、姉様……」
「でも! アネモス父様は言ったわ。あたしにちゃんと、母様が人魚のままでも一緒に居たいって!!」
「アモール!?」
「お主等……」
「あっ」
此処に居る全員が言葉を発したところで、会話を中断させたのは傍観していたアーラ様だった。低いトーンの口調で零した口元には苦々しい笑い。瞳には呆れ果てたといった感情がしみじみと滲み出ていた。
かなり中途半端な位置ですが、文章量が多いので、次回をお待ちください。
皆のコミカルなやり取りを止めたアーラの次の句とは?