[恋守] -2-1-*
「おはよ?」
「あっ……」
次の朝も早くから強い陽差しが降り注いで、甲板に用意してもらった生簀用コンテナの水面をキラキラと輝かせている。
「やだ……私、寝過ごしちゃった!?」
僕はコンテナの傍らで休んだが、夜明けと共に起き出して、徐々に光を纏い出したティアの寝顔を見詰めていた。モカは少し前に目覚めて、キッチンで朝食作りの見学中だ。
「いや、僕が早かっただけだよ。良く眠れた?」
慌てて半身を起こしたティアを制して微笑んだが、彼女は顔を紅くして俯いてしまった──昨夜のことを思い出したの?
「えーとっ、ああ……もしかして起こしちゃった?」
あれから船に戻って、何食わぬ顔で皆と合流したものの、ティアの顔も、何があったか察したようなモカの顔も、朝までは直視出来なかった。特にモカは……起きぬけ「おめでとう」と言いながらウィンクしてみせたが、本当のところはどう思っているのだろう?
いや……これでモカも踏ん切りがついたのだと思おう。外界に出たばかりのモカにとって、本当の人生はこれからなんだ。
「う、ううん。ちょっと眩しかっただけ……」
「良い匂いがしてきたね。アドルは未だ寝ているから起こしてくるよ」
僕は立ち上がってティアに背を向けた。けれど咄嗟に呼び止められて振り向いた目の前には、彼女の切なそうな瞳があった。
「あの……」
「ん?」
「夢……?」
『あれ』は夢の中の出来事だったのか、と訊いているの?
「違うよ……夢じゃない」
頤に掛けた指先が、ティアの身体を硬直させた。まぁ……二度目はもう少し後に取っておこうか。
「ちょっと行ってくるよ」
にっこり笑ってウィンクをして、すると船室からアドルを連れたマレーアが呼びに来たので、僕はおもむろにティアを抱き上げ食卓へ向かった。
***
「うん……そうだね。ラグーンの入口はいつも決まった場所ではないから、漁場に着いたら海へ帰るよ。沢山ご馳走になっちゃって、何も返せなくて申し訳ないのだけど……」
食後の紅茶を戴きながら質問者のマレーアに答える。彼女は目を合わせたアドルと共に淋し気な表情をした。
「ねぇ、モカ! ラグーンには長くても七日しか居ないんだよね? だったら帰りにも会える? 昨日みたいにまた僕を見つけてよっ」
モカは随分アドルに気に入られているようだ。彼女の腕を掴んでせがむ弟を宥めたマレーアは、今度はティアへ向けて、アドルと同じ質問をした。
「私は先に帰るかも知れないから……でももし姉さんと帰れたら是非再会したいわ」
そうしてまるで同意を求めるかのように僕を振り向くティアの向こうで、モカは強力な味方をつけたとばかりにニヤリとした。
「はいはい。僕も時間が有るから問題ないよ。但しその分結界へ戻るのも遅くなるのだから、カミルおばさんの説教は二人で受けてよ?」
まさしくお手上げといった様子で肩まで両手を揚げた途端、四人の歓声が上がった。──そりゃあ僕だって寄りたいさ。お陰でティアと長く旅が出来るのだから。
が、そんな平和な朝のひとときに、『奴等』はいきなり激しい衝撃と共にやって来た。
──ガタンッッ。
「わっ!!」
船に何かが衝突した──?
テーブルにしがみついて難を逃れた四人を残し、操舵室から甲板へすっ飛んでいったおじさんの後を追った。何だろう……この胸騒ぎ。嫌な予感がする。
「おじさん……?」
船室の壁に隠れるように立ち尽くすおじさんの背後から声を掛けたが、ゆっくりと振り返ったその顔は血の気が消え失せていた。
「……ジル。出来るだけ俺が喰い止める……皆を隠すか逃がすかしてくれ……海賊だ──」
「──!!」
おじさんの向こうには、船に喰い込んだ『奴等』の船首が見えた。がたいの良い派手な格好の輩が、既に数人こちらへ向かっている。
「親方~何もこんなちんけな漁船、獲物にしなくても……」
「うるせぇ! いいかげん腹が減ってんだよ! 人が居れば何か食いもんくらい有んだろっ……ほらっ、いい匂いがしてるじゃねぇか」
僕は無言で頷いて船室へ向かった。──四人が危ない。
「マレーア、アドル……海賊が乗り込んできた。二人は裏の甲板の扉を開いて、生簀の中に隠れてくれ。モカとティアは同じく裏から海へ飛び込んで……逃げるんだ」
極力静かに移動して、口を開きかけたアドルへ向け、鼻先に人差し指を立てた。焦燥を表した僕の顔つきが一番事の深刻さを物語っていたようだ。誰一人声も出さず音も立てず、先程の僕と同じく黙って首を縦に振ったが、ティアは何かを言いたそうに、不安な表情をこちらへ向けていた。
「さぁ、早く!」
密やかな声で皆を促す。まずマレーアがアドルを連れて裏の扉を押し開き、モカが戸惑うティアの手を掴んでそれに続いたが、その頃には既に僕の背後へ奴等の一人が迫っていた。
「ジョエル!」
ティアの叫びに反応して、後ろから殴り掛かる男を寸でで避け、みぞおちに一発入れる。床に倒れ込んでもがき苦しむその男の腰にもう一発喰い込ませると、瞬間気を失って動かなくなった。
「きゃあっ!」
そんなことをしている内に甲高い悲鳴が聞こえて、皆が逃れた扉の先へ飛び出したが、その視界では、髭面の大男が両手でモカとティアを吊り上げていた。
「ちくっ……しょ……」
「あれ~、親方、美人が二人も居ると思ったら、魚だったぁ~」
「人魚って言うんだよっ、このバカが。下半身が魚じゃ入るもんも入らんが、高い売り物になんだろ。縛っとけ!」
大男の話し掛けた先を振り向けば、未だ離れた船首の傍で数人がおじさんと格闘していた。今なら二人を取り戻せるか?
「二人を……放せっ!」
大男の腹目掛けて拳を振り上げ進む。斜視の片目が僕を捉え、右手で掴み上げていたモカを「いいよ~」と呟きながら僕に放り投げた。咄嗟に受け止めたが、途端左頬に凄まじい痛みを感じて、彼女ごと後ろへ飛ばされてしまった。
「ごめん……ジル」
腕の中のモカは無事なようだ。歪んだ笑みを作って彼女を降ろし、口の端を拭って立ち上がる。鋭い目つきで大男を見据えた。ティアは依然奴の左手で宙吊り状態だ。
「もう一回来るの?」
「……ああ」
自分でも驚く程の低い声だった。
右手から繰り出される大きな力を避けて、今度こそは腹の真ん中へ命中させたが、ほんの少しでもダメージを与えられた様子はなかった。胸座を掴まれ足先が浮かぶ。右眼にティアの心配そうな顔が見えたが、首が絞まって何の言葉も掛けられなかった。
「……ぐっ……」
彼女は僕の視界に入ったことに気付いたらしく、数回無声のまま口を動かして、何かを伝えようとした。──唄……か? いや今は未だ駄目だ。二人は聴いた人間を解き放す方法を知らない。
僕はどうにか首を振って、ティアに了解出来ない旨を伝えた。
「あれぇ~、これじゃ殴れない?」
「相変わらずバカだな、お前はっ! そんな小僧、こいつでやっちまえっ」
おじさんはどうなったのか? 背後で男が一人、こちらの状況に気付いて近付いてきた。会話の内容からして、僕を刺し殺すつもりだろう。やって来る方向を向いたティアが慌てて暴れ始めた。モカも男を止めようとしたのか、妨害を試みて跳ね飛ばされたらしく小さな悲鳴を上げる。僕自身も肢体全てを使って目の前の腕を外そうとしたが、一向に動く気配はなかった。
かなり中途半端な位置ですが、文章量が多いので、次回をお待ちください。
絶体絶命のジョエル・・・どうなりますか!?