外の世界。
実は気になっていた事がある。
「ところでさあ、紫」
「なあに?」
「ここ、どこ?」
俺達が今いる場所である。
こんな丸太小屋、俺は今まで見たことがない。勿論八雲邸ではない。
今朝も外に出てみた時、空気が少し淀んでたような気がしていた。森の空気でも相殺しきれていなかった。
幻想郷の空気とは違う。
崩壊したことで、何かしらの異常が発生してこうなったのかもしれないけどさ。
紫はキョトンとしていた。
「あれ、言ってなかったっけ」
「聞いてない」
「あれー、おかしいな。ちょっとボーッとしちゃってるわね」
ははは、と苦笑する紫。
仕方ないか、と俺は思う。
妖力が枯渇して力が入らない状態なんだ、ボーッとしていてもおかしくない。
だから俺も特に何も言わず、「ははは」と同じように苦笑した。
「ここは外の世界よ」
あっけらかんと言う。
…………………………………………え?
「ええぇぇーっ!!?」
俺の絶叫が小屋の中、次いで小屋の外にまで響き渡る。
え、いや、外の世界?
いやいやいや、何で。どうして。
訳わからんぞ。
「圭吾、うるさいわよ~」
紫は顔をしかめ、耳を塞いでいた。
「いや、えと、何で外の世界にいるんだってばよ?」
「語尾が変よ」
しまった。驚きのあまり、つい。
「幻想郷が崩壊して、私達が巻き込まれなかったといえば、自然と行き場は限定されるでしょう?」
そういえば……そうだな。
可能性は3つあった。
1つ目は、ここが幻想郷という可能性。しかしそれは崩壊の巻き添えを逃れたという事実から除外される。
2つ目は、次元の狭間にいるという可能性。まぁ、俺もそれはないと思ってたが。
そして最後は、ここが外の世界という可能性。それが最も建設的な意見である。
「ここが……外の世界ってか」
くるりと周りを見回す。次いで窓の外を見る。
窓の外は鬱蒼と佇む森。その景色だけでは、ここが外の世界と判別できない。
「ここは山の森の中だからね。ちょっと分かりにくいけど、森を抜けたら外だってちゃんと分かるわ」
後で見てきたら、と紫は言った。
俺にとっては外は馴染みがない。未開の地だ。
紫は当然知ってるのだろうが、どんな世界なのか、正直想像もつかない。
200年くらい違うと紫は言ったが、それはそれで離れ過ぎて皆目見当つかないものである。
だから、実のところちょっと楽しみなのである。
「と……随分と本題から外れちゃったわね」
いけないいけない、と舌をペロッと出してお茶目く紫。可愛くない。
それに本題って……何だっけ。
そんな俺の疑問を感じ取ったのか、紫が小さく溜め息を吐いた。
「あのねぇ……仕様がないなあ」
「悪い悪い。で、何だっけか」
その本題は。
「圭吾をここ…外に連れてきた理由よ」
ふむ……そんな事言ってたような気もする。
俺は顎に手を当てて考える。紫はそんな俺を無視して続けた。
「幻想郷は今次元の狭間でバラバラの状態。それも、私の管理外の中にある。となると、もう一度誰かが一つにまとめる必要がある。 今動けるのは私か圭吾の二人。けど私は妖力の枯渇で動けない。もう人材は必然的に圭吾しかいないの」
ああ、そうだったな。そこで俺が、俺以外のやつを選べばよかったのに、と言ったんだったな。
そこから脱線してたのか。なんか悪い。
「……これから圭吾に重大な役目を与える。いや、背負わせねばならなくなる」
紫はキュッと目を閉じ、再び開いた。凛としたその瞳には、決意の色が見えた。
「バラバラになった幻想郷を一つにしてほしい。無くなった私達の故郷を取り戻してほしい。無責任なのはわかってる、身勝手なのは重々承知してる。圭吾はただ連れて来られただけでそんな事をする義務なんて全然無いのに、無理やりこんな役回り押しつけられて訳わかんないのはわかってる。
……でも、これしか方法がないの。もうこれしか方法が残ってないの。圭吾しか、出来ないの……」
さっきの雰囲気はどこ吹く風。
張りつめた空気と紫の真剣な面もちに、俺は自然と背筋が伸びる。
もう方法がない、か……
紫が言うんなら本当に無いんだろうな。
俺が知る紫に、出来ない事などなかった。やらない事は多々あったが、それは他の人にでも出来る事だったからだ。
幻想郷の管理者。
妖怪の賢者。
俺は紫の妖怪の面はほとんど知らないけど。
数々の異名が付くほど、紫の実力は凄まじい。
そんな彼女でさえ、もはや方法が一つしかないと言う。
「…1つ質問。それは、俺でも出来るんだろうな?何の力も持ってない俺でも出来るんだな?」
最大の懸念事項だ。
こんな無能力な俺でもその大役は務まるのか。
幻想郷を取り戻す事ができるのか。
いつも紫という傘に隠れてた俺が、今度は助ける側になる。
皆を助ける側になる。
「大丈夫。“宝珠”の起動に関してはアテがあるから。それに、圭吾にしか出来ないって言ったでしょ」
───俺にしか出来ない。
その言葉は俺を特別な存在へと仕立て上げる甘い言葉だが、同時に多大な責任を負うことも意味する、魔性の言葉だ。
けど、俺は興奮していた。
俺にしか出来ない、という言葉に酔った訳ではない。
俺はいつか、紫の元から離れようと考えていた。
いつまでも子供のままじゃいられない。
俺だって、もうじき大人と呼ばれる年になる。
通過儀礼にしては規模が大きすぎるが、この出来事は紫の元から巣立つには都合がいい。
紫や藍や橙、八雲家はとても楽しかった。人間である俺に優しくしてくれた。
その優しさに甘えちゃダメだ。
「───わかった」
俺はその場を立った。
「俺にしか出来ないっていうんなら、やろう」
「ホント…!?」
「ああ」
紫はパアッと笑顔になった。
うれし涙で涙を流しつつも、紫は笑顔だった。
……打算的な考えを持っていたが、結局俺は紫の笑顔が見たかっただけなのかもしれない。
俺も、こんなにも笑っているから。
◇
紫と俺が話し始めてから1時間くらいだろうか。正確な時間は分からないけど、結構話し込んだ気がする。
「で、具体的な行動なんだけど…」
俺がやると言ってから、紫の口調がどことなく軽くなった気がする。
やはり、紫にとっては苦しい決断だったのかもしれない。良き哉、良き哉。
…と、物思いに耽ってる場合じゃないな。聞き漏らさないようにしないと。
紫はこほん、とそれっぽく咳払いをして、言葉を続けた。
「圭吾にはね、バラバラになった幻想郷を探してほしいの」
「それは、さっき聞いたぞ」
「最後まで聞いて。どうやって幻想郷を探すか、分かってないでしょ?」
まあそうですが。
「普通次元の狭間になんて行ける訳がない。でも、境界を操る私なら行ける。より正確に言えば、境界を操る能力があれば行き来は可能。つまり、境界を操れさえすれば圭吾だって狭間にある幻想郷に行ける」
「ムチャクチャな暴論だなおい」
理論的には大丈夫に違いない。
だが前提条件がムチャクチャだ。境界を操りさえすればってそれがまず不可能だ。
そんな事、俺でも分かる。
「俺が境界を操れる訳なんてないだろうが」
「それがそうでもないのよね~」
ふふん、と勝ち誇ったような顔をする。
いやいや……普通無理だろ普通。
子供でも分かりますよ?
今頃俺は呆れ顔をしているのだろう。
とうとうボケたかこの管理者様は、と。
「失っ礼な事を考えてるわね……」
まぁいいわ、と紫は溜め息を吐いた。
「確かに、私の能力を完璧に使うのは無理よ。でも断片だけなら、何とかなるわ」
「……マジ?」
「本当に断片、片鱗だけだけどね。桜の木に対して花びら一枚くらい」
少なっ。
それはあまりに少なすぎるだろう。拍子抜けだ。
だから断片だけ、か。
「“スキマ”だって当然使えないわ」
「それだけしか使えないのに、幻想郷に行けるのか?」
「大丈夫。そこは安心して」
本当にそれだけで幻想郷に行けるのか、イマイチ不安だが……信じるほかないか。
「それでね、探すのが大変なの」
真面目な顔をして、紫が言う。
「バラバラになった幻想郷は日本のあちこちに散らばっちゃって場所が特定出来ないの」
「……それって、俺も日本のあちこちを探さなきゃいけないっことか?」
しかも、場所も特定出来ずに。
それは…あまりに厳しい。
大陸に比べれば遥かに小さい島国といえど、隈無く探すとなると話はまるで違う。
一体何年かかるのか……下手すれば一生かかってしまうかもしれない。
「そういうこと。でも、見つけて“宝珠”を起動すれば、保険が働くから私自身の妖力を使用しなくて済む。幾つか起動すれば私も“宝珠”の位置が特定できるから、残りを探すのは楽になる筈よ」
「そ、そうか。そりゃ良かった」
俺は安堵の息を吐く。
いや、本気で助かった。
おじいさんになって探せる気力と体力が残ってるか分からないからな。
「で、紫の能力ってのはどうするんだ?想像すらつかないんだけど」
「私の能力の一部を印にして圭吾に書き写す。今は疲労でちょっと厳しいから、出立の時にでもやってあげる」
印か……
自分の能力を印にするなんて、普通は無理だ。
流石は紫、といったところだろうか。
「幻想郷に入るのは、ちょうど幻想入りと同じ事ね。外の世界を回って何とか幻想入りを果たして、幻想郷に行って、“宝珠”を起動する」
「全部集まったら?」
「私と霊夢で最後の仕上げをするわ。博霊大結界の再構築ね」
それで解決、と紫は締めくくった。
苦労するのは、やはり幻想入りするまで外の世界を旅しなければならない点か。
世界がどんな風なのか分からない。
だからこそ不安が募るし、それに少しだけワクワクもする。
知らない世界だ、興奮するなというのが無理な話だ。
「私の話はこれで以上。長く話して疲れちゃった、とりあえず、眠らせて……」
「あぁ」
長広舌だったが、紫は本来病人だ。ゆっくり眠っているべき立場なのだ。
俺は「ありがとう」と言って、布団を深くかけてやった。
小さく微笑んで、そして紫は寝息を立て始めて眠った。
俺は窓の外を見上げた。
森の木々しか見えないが、かろうじて今がまだ昼近くだということが分かった。
「する事ないし……俺ももう一度寝ようかな」
昼寝なんて普段はしないが、今日ばかりはいいだろう。
外を見てみたかったが、紫が寝ている以上遠くには出かけられない。必然的にする事がなくなる訳だ。
床にゴロンと横になり、目を瞑った。
慣れない環境だったため疲れていたのか、意外にも早く眠りは襲ってきたのだった。
◇
───この時圭吾は気づいていなかった。
───一個の存在として存在していた幻想郷が、自然に壊れる筈がないのだということに。